(わたしは大切なあなたの存在を忘れてしまっていた)
暫く静寂が続いていたが、七瀬が少し悩んでから口を開いた。
「……雀部先輩に会えよ。青也君」
七瀬がそう言えば、青也は悔しそうな顔をする。
先程、この姉弟が話したとき、朱理告げた事実を、青也は受け入れられなかった。朱理のことだから「君ってお姉ちゃんって居る?」みたいに、気さくに聞いたんだろう。
しかし、彼は居ないと答えた。それから、きっと色々あったんだと、彩鈴は青也の思考を読んで悟った。今の彼を見ればそう思わざるを得ない。
「あの人の、走っていった後ろ背中は、俺を拒絶してるように見えた…。俺と会うことで、余計に傷つけてしまう…」
そんなことない。彩鈴はそう言いたいのだが、言えない。自分自身が、忘れているかもしれないことが、あるかもしれないからだ。
変な慰めや同情は、よけいに相手を辛くさせるだけ。
何も言えないでいると、七瀬が話を続ける。
「そんなの関係ねえよ。お前が覚えていないとしても、元々は一緒に過ごした家族なんだろ? 一度どんな縁の切れ方をしようが、いつかはきっと許せるはずだ」
彼が言った言葉が、思わず沈黙を作る。
「雀部先輩は、かつての家族に忘れ去られて、今も生き続けているんだ」
思わず青也が七瀬の方を見る。
「お前に会って傷つくことよりも、お前に合わないで泣き続けることのほうが、どれだけ辛いか分かってやれ」
そう言い放った彼の表情は、真っ直ぐだけどどこか悲しげで。
この言葉は、青也だけに向けて言った言葉なのか。
つい、そう思ってしまう雰囲気だった。
青也はその言葉を聞いて、思わず黙り込む。
(俺は、忘れているだけだから、まだ楽かもしれない)
彼女のことを思い出せば、思わず考える。
自分が忘れたら、悩まないでいい、何も苦しまないからだ。
だけど、相手はそうじゃない。人間は忘れられることを恐る生き物だ。それが大切な人なら、尚更。
それを相手がそう思ってるのを知ったら、自分はその痛みを知りたくはない。
彼は、朱理と会って、彼女が傷つくことを、怖がっている。
「……俺一人が楽しようだなんて、ひどいよな…」
「竜峰さん…」
「俺、やっぱりもう一度話し合おうと思う」
「……そうですね。それが良いと思います」
彩鈴がそう言って笑みを浮かべれば、彼は微かに笑みを浮かべた。
「きっと、あの人は知ってると思う。なんで俺が忘れてしまったのか、なんで別れたのか」
「そうかもしれませんね。少しずつ、聞いていけば良いのではないでしょうか」
「あぁ。お前も、聞いてみたらどうだ」
「……今回はやめておきます。また、近いうちに」
「そうか」
彼はそう呟けば、椅子から立ち上がり、教室から出ようと扉に手をかける。
最後に、こっちの方を見て、小さく呟いた。
「……ありがとう」
そう言うと、彼は最初は小走りで、段々と速度を上げて走っていった。
……忘れてしまった理由か。
人間は、自分が受け入れたくないと思ったことは、忘れてしまうことがある。
昔聞いたことがあるのですが…。それと関係あるのですかね。
彩鈴が暫くボーッとしていれば、七瀬が口を開いた。
「南さんは行かなくていいのか?」
「そうですね…。もう少しで下校の時間になりますし…」
腕時計で時間を確かめて、確かにもう少しでいつも帰る時間なのを確認する。
結局練習出れませんでしたね。
小さくため息を吐けば、七瀬はぷすっと吹き出した。
思わず彩鈴が睨めば、小さく体をふるわせながら謝る。
「悪い。そうだ、南さん知ってるか?」
「何を…?」
「この学校の七不思議みたいなやつ?」
時羽学園の七不思議。
しかし、生徒の大半はその存在を知らない。
現に彩鈴も、そのうちの1人だ。
「なんか『この学校の生徒は昔の記憶を消されることがる』的な感じ」
「はぁ…そんなのあったんですね…」
今まで興味なかったです…。
そう呟けば、彼は苦笑いを浮かべる。
ですが、こんなベストタイミングで思い出すとは…。彼、狙ってたわけではないですよね。
彼はそれだけを呟くと、口角を上げて笑みを見せる。
「ま、理由は分かってるけどね」
「え、そうなんですか? それ七不思議でもなんでもないですよね」
「知ってるのはごく一部ってことさ。七つ目ってやつじゃない?」
ゾクッとした。
彼の笑みが、表情が。
思わず、彩鈴に冷や汗が垂れるのが分かる。
そんな姿を見て、彼はそんな雰囲気を消し、柔らかい雰囲気に戻った。
「ま、そんな学生の考察だけどね」
「そ、そうですか…」
「じゃ、オレはもどるよ。じゃあね!」
また会ったら、また話そうね。
そう言って、七瀬も走り去っていった。
彼が出たと同時に、彩鈴も出る。
「……失礼します」
彩鈴は小さく謝ると、彼女は彼を視野に入れ、思考を読み漁る。
しかし、
「……無理ですか」
最近多いですね、こういうの。
さっきまでの会話も、読み取れたのはほんの少し。以前は普通に見えていたのだが。
小さく歯を食いしばる。
昔は嫌だった能力も、使えなくなるとまた嫌になる。恐怖が押し寄せる。
そう感じる自分も嫌になる。
歯を食いしばったのを止め、力んだのを緩める。
彩鈴は暫く七瀬が去っていった方を眺めてから、自分の教室に戻った。
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