その日、殿を務めた銀時とその部隊が戦場から引き上げたのは一番最後で、日は傾いて空は夕焼けに染まりはじめていた。

「あーもう無理。今スグ風呂に入りてえ」

 返り血や自分の血がぱさぱさに乾いてひどく不快だった。気だるい体を引きずって辿りついた本陣では、庭先に十数人の先に引き揚げてきた志士たちがたむろしていた。その中には桂、高杉、坂本もいて、銀時の帰還に気付くとこちらへ来いと手招く。頬や腕の傷の手当もせず血まみれのままの彼らを見て、何かあったのかと訝しむ。

「何。どしたの」
「あの子がおらんようなったぜよ」
「はぁ?和月が?」
「昼から姿を見せていないと鬼兵隊の負傷兵に聞いて、高杉が部屋へ行ったのだ。声を掛けても返事どころか気配も無く、中へ入ればもぬけの殻だったと」

 銀時は空を仰いだ。じきに日が沈む。この辺りは獣も盗人も出るし、何より戦が終わってすぐだ。幕軍や天人軍が彷徨いていてもおかしくない。つい先日まで戦場付近で暮らしていた和月が知らないはずがなかった。

「あのガキが後生大事に持ってやがった刀も無かったぜ。……出て行ったんだろうよ」

 高杉の言葉は聞いていたし、その可能性も有ることは充分に分かっていたが、銀時は和月がひとりでここから出て行くようには思えなかった。
 銀時は三人に背を向ける。

「ちょっとその辺探してくるわ」
「銀時」

 わしも行くぜよー、と坂本の声が追ってきたが、足を止めずに歩いた。昨日の和月の途方に暮れたような表情が脳裏に浮かんで消えない。足を止めない理由が、和月が出て行ったと思えない理由があるとしたら、あの表情だけだった。
 門を出た銀時は、和月はどこへ行くだろうと考えつつぐるりとあたりを見渡した。やはり戦場だろうか。

「銀時、わしは村の方へいくぜよ」

 後から追いついて来た坂本が近くの村へと続く道へ向かおうとするのを、ちょっと待てと止める。

「村には行かねぇよ。ーーわかんだろ?」

 銀時の言葉に坂本ははっと目を開いた。人に怯えるあの子が、わざわざ人里へ近付いて行く可能性は限り無く低かった。

「俺ァ戦場の方へ行く。辰馬、お前は森のほう行け」
「任しときィ!」
「銀時、俺は残るぞ!」

 桂の声に頷いた。和月が戻ってくるかもしれないし、負傷兵の手当てをしなければならないからだ。そして銀時は、高杉も後ろから歩いて来ているのに気付いて鼻で笑った。

「なにー?晋ちゃん。あんなに邪魔そうにしてたくせに探しに行くのかァ?」

 首だけ後ろを向き、ぷぷぷーと指さして笑ってやると鋭い目で睨み付けられ舌打ちされた。その高杉の他にも、数人の仲間達が探しに行こうとしてくれている。
 そして、皆がそれぞれ和月を探しに行こうとしたとき、何気なく木と草の生い茂った獣道に目をやった銀時は、その背丈のある草が風とも違う何かで揺れているのに気付いた。

(動物か?……いや、)

 やがて草を掻き分け獣道から銀色の小さな子供が飛び出して来た。

「和月!」

 銀時が叫ぶと仲間達も一斉にそちらを見、和月も弾かれたように顔を上げた。夕焼けの中でもわかるほど蒼い顔をして、怯えて泣きそうな表情をはりつけて、呆然とその場に立ち尽くしていた。左腕を布で吊り、右手に刀を抱え、全力で走って来たのか荒い息で胸を上下させている。

「和月、おいどうした?」

 怯えさせないように距離を測りながら近付いていくが、和月は逃げようとするそぶりは見せなかった。ただ目線が合わない。

「どこ行ってたんだ?遊びに行くのはいいが暗くなる前に帰って来いよ、次から」

 和月の目は銀時の後ろを見ていた。今まさに和月を探しに行こうとしていた面々を眺めている。気付いたのだろうか、自分を探しに行こうとしていたのだと。あちこちに草やら葉っぱやらをつけていた和月の、銀色の髪に乗っていた葉を取ってやる。

「ほら行くぞ」

 手招きをして、銀時は踵を返した。二歩、三歩と進んだところで、背後から消え入りそうなほど小さな声が聞こえた。

「どう、して」
「あ?」

 和月の口から零れた言葉に振り返った銀時は、その顔を見て動きを止めた。困惑した、何が何だか分からないといった顔。振り向いた銀時の目からその表情を隠すように俯いて、和月はぽつりと呟いた。

「私、わから、ない」

 刀を握りしめる小さな手が小刻みに震えている。銀時が声をかけようとする前に、俯いた顔を上げた和月は、今度は銀時から目を逸らさず捲し立てた。

「どうして私みたいなやつを探しにいこうとしてくれてるの?どうしてここに置いてくれてるの?なんでみんな、そんなにやさしいの」

 銀時も、そのすぐ後ろの桂も、まわりの高杉や坂本をはじめとする志士たちも何も言えず和月を見ていた。どこからそんな声が出せるのか、小さな身体で全身から声を出しているかのように叫ぶ。

「わかんないよ、なんで私みたいなやつ助けたの?お父さんとお母さんと日向に会えるなら死んでもいいやっておもったのに!なんで私、ここにいるの。なんで私だけ生きてるの」

 血の繋がりも無いどころか顔見知りでもない赤の他人なのに、どうして死にかけていた自分を助けて手当をして、お礼の言葉一つ言えない生意気なこどもを置いておくのか。今日だって、ただ思い立って外へ出て、気付いたら日が暮れかけていただけだ。その夕日に忌まわしい記憶を蘇らせて恐怖に震えたことなどこの場にいる皆は知らない。彼らからしたら、助けてやった子供が突然いなくなった、ただそれだけのはずだ。それなのにこの白い男は、坂田銀時は、戦のあとなのに探しに行こうとしてくれていた。彼だけではない、他の志士たちもだ。和月が出て行こうとどこで死のうと関係ないはずだ。どうして、どうして。

「なんのために生きてるの!」

 形容し難い感情が奔流となって溢れ出し、身体を濁流に引きずり込んで行くように思えた。鬼だばけものだと罵る声がすぐそばから聞こえる気がする。その幻聴を振り切るように和月は唇をかんで俯いた。少し前まで温もりに包まれていたはずなのに、護ってくれる人の消えた世界は、掌を返すように暗く冷たい寂しい場所へ変わった。人間は優しく尊いものだと信じていた幼子は、人間は残酷で冷淡なものだということを知った。それなのに急に優しい言葉をかけられて、暖かいご飯を与えられて、居場所をくれて、和月が戸惑わないはずがなかった。

「……俺ァお前の事情は知らねーけどよ」

 静かな、気の抜けたような銀時の声が頭上から降る。上目遣いに見ると、紅い瞳と目が合った。

「怪我して死にかけているガキを助けるなって方が無理だろうよ。あの時俺がお前をここに連れて来た理由はそれだけだ」

 和月は何も答えなかったが、俯いていた顔を少し上げた。揺れる金色の目に銀時の姿が映っている。銀時には和月が幼い頃の自分自身のように見えた。何も持たず何も知らず、鬼だと呼ばれていたかつての幼い自分。

「お前がどうしてここにいるのか、何の為に生きているのかなんて俺にも誰にも分からねぇ。顔上げて背筋伸ばして前見て生きてりゃ、いつかそのうち分かんだろ。……たぶん」

 和月には銀時の言葉の意味が分からなかった。銀時も今の自分も分からないことが、いつかの未来で分かるようになるとは思えなかった。独りで生きるようになってから、その日を無事に乗り切るだけで精一杯で、未来のことを考える余裕も無かった和月にとって、それはとても途方のないことのように思えた。
 和月は瞬きを繰り返した。

「……いつか、おおきくなったら……わかる?」
「生きてみりゃ分かるかもな」

 いい加減だと、その場にいた全員が思った。
和月は銀時から目を反らせない。途方もないことだと思ったけれど、銀時の言葉が耳の奥に染み込んで何度も繰り返すのだ。
 ーー生きていれば。

「ほら行くぞ。もう日が暮れちまう」

 頭を掻きながら銀時は陣へ振り返って歩き始めた。夕焼けに銀時の白い背が赤く染まっている。その後ろには桂、高杉、坂本をはじめとする攘夷志士の面々がふたりを見ていた。血しぶきを浴びて日々戦場を駆る彼らは何のために戦っているのだろう。何のために生きているのだろう。

「……ぎ、ん」

 紅い夕焼けに染まった世界が怖くてここへ戻ってきたはずだった。血を浴びている彼らも、銀時の双眸も同じように赤いのに、どうして今は恐怖を感じないのだろう。
 銀時の背中を見ていると込み上げてくる感情がある。どうしようもなく叫びたくなる。進まなければならないような気がしてくる。

「――ッぎ、銀時兄っ!!」

 感情のまま銀時を呼んだ。はじめて呼ばれた呼称に、銀時は目を丸くして振り向いた。そして振り向いてすぐ、こちらへ駆け寄る和月が視界に写った。またあの泣きそうな、何かを堪えるような顔をしている。それでも今までと違うのは、和月が真っ直ぐ銀時の目を見つめていることだった。

「――何?どうした?」
「……た、」

 言いたいことは山ほどあるのに上手く言葉に出来ない。和月は必死に言葉を手繰り寄せて紡いだ。今一番銀時に、銀時をはじめとする皆に言わなければならないこと。

「たすけてくれて、ありがとう」

 銀時は死んだようだった目を丸くした。何度か瞬きを繰り返したあと、顔を真っ赤にしている子供を見て唇がゆるやかな弧を描く。和月はその表情を知っているような気がした。長い間見ていなかった、慈しんでくれる優しい目。
 なぜ家族みんなが死ななければならなかったのかも、自分だけが生き残った理由も、何のために生きるのかも、ここにいれば分かるだろうか。生きてみれば分かるだろうか。
 陣へ戻ることを促すように和月の髪を撫でた銀時の後を追って、一歩踏み出した。


20151221
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