階下のスナックから戻り、見慣れた扉を開けると、薄暗く沈んだ室内が新八を出迎えた。
 廊下の途中にある台所に入り、買ってきたものを適当に冷蔵庫や戸棚に放り込む。そして惣菜の入った袋と、お登勢に貰った消毒液だけを持って居間に行くと、社長椅子に座る神楽が見えた。定春はソファーに転がっている。

「神楽ちゃん、電気つけないと駄目だよ」

 遅くなってごめんと付け加えながら、新八は居間の電気をつけた。今まで薄闇の中にいた神楽は眩しそうに瞬きを繰り返した。その顔はどこか不安気だ。テーブルの上にはマグカップ入りの飲みかけのココアと、酢昆布の箱がある。

「遅いアル、だからお前は新八ネ」
「何でだよ、繋がりが全くねーよ」

 確かに万事屋を出て一時間と、随分時間がかかってしまったけれど。
 新八は消毒液を救急箱に直し、テーブルに惣菜を並べた。本当は皿に盛りつけ直したい所だが、食器を昼に使ったままなので仕方ない。

「お惣菜買ってきたよ」

 早く食べて寝ないと駄目だよ、ここ最近まともに寝てないでしょ。新八は神楽の目の下に出来た隈を見ながら言ったが、その新八にもくっきりと濃い隈が出来ていることを気付いていないようだった。
 惣菜を並べ終えたにも関わらず神楽は手をつけようとしない。神楽は何か言いたそうな顔をしてちらりと締め切った和室の襖を見やった。そしてその視線を新八にずらし、彼女らしくもないか細い声で言った。

「銀ちゃん、またうなされてたヨ」

 ああだからあんな不安そうな顔をしていたのか。
 新八はふぅ、と軽く息を吐くと、救急箱を持って立ち上がり、襖を開けた。四角く切り取られた居間の明かりが畳を照らすその向こう、薄闇の布団の上で銀時が眠っている。今まで気付かなかったが確かに小さく呻き声が聞こえる。電気をつけるが、明るい光に照らされても銀時は目覚める気配が無い。
 かけていた布団を捲ると、身体中に巻いている包帯の一部に血が滲んでいた。軽く汗も掻いている。神楽にタオルを持ってくるように指示を出し、自分は包帯を付け替える作業に入った。
 背後でくうんと鳴き声がして見やると、定春が開け放していた襖から中に入ってくる所だった。定春は新八を押しのけるように銀時の頭近くへ移動し、そこでふわぁと欠伸をして目を閉じた。

「新八、タオル持ってきたアルヨ」
「ありがとう神楽ちゃん。体拭いてあげて」

 この私にものを頼むなんて良い度胸アルナ。いつもの軽口にもどこか元気が無い。時折手を止めて銀時の顔を見つめるその顔は、今にも泣きだしそうな子どもの顔だった。きっと自分もそんな顔をしているのだろう。神楽が身体を拭き終えると、新八は包帯を巻き直す。その間にも銀時は呻き声を上げたり、酷いと身体を捩じらせたりする。

 銀時がこの状態になったのは二日前からだ。
 江戸城での一件が一応の収束を見せ、戦闘で大怪我を負った銀時は将軍茂々の好意により城内での応急処置を受けた。そして一旦戻った吉原で気絶した銀時は丸一日眠り続け、万事屋に戻ったのは昨日の昼過ぎである。遅い昼食をとった後に銀時は再び倒れ、そのまま今も目を覚まさない。万事屋に神楽と、気を失ったままの銀時を残すのは(階下にお登勢がいるとは言え)しのびなく、お妙に許可を取り万事屋に泊まった。お妙も手伝おうと行ってくれたが仕事があり、その代わりに黒焦げの差し入れを持ってきてくれた。
 両腕を落とされた舞蔵は今も江戸城で意識不明の重体だと言う。吉原の鈴蘭も半日に一度眼を覚ませば良いほうで、一か月持つか分からないという宣告を医者から受けたと、昼に月詠から電話があった。
 空に昇る月はもう満月では無い。日を追うごとに徐々にかけていく月と銀時の呻き声のせいか、こんな事を考える。

(もしもこのまま銀さんが目覚めなかったら)

 そんな事を思う度に有り得ないと否定する。だって銀時はどんな大怪我を負っても必ず回復した。今回もきっと大丈夫だ。銀時が怪我をして気を失う度に考える事を今回もまた考えている。

「新八ィ」

 神楽の声で我に返り、新八は顔を上げた。神楽は定春を撫でていた手を止めて、じいと新八を見つめる。青空の様だと言われる神楽の瞳が、深海の色のように見えた。

「銀ちゃんには、内緒にしとくアル」
「何を……、あ」

 聞き返そうとして、すぐに分かった。
 自分達が銀時の過去を、部分的にとはいえ知ってしまった事だ。
 吉原にいる間、気絶していた銀時は、何度か譫言である名前を繰り返した。せんせい、先生と、名前と言うより役職を。新八と神楽が銀時の過去について何も知らされていなかった事を、月詠は知らなかった。うなされる銀時を見て師を呼んでいるのかと呟いた彼女に、それは何だ、どういうことだと二人で問い詰めた。二人の剣幕に押された月詠は、「銀時は寛政の大獄の折に師を奪われた、遺児らしい」と言った。それ以上は何も知らない、すまないとも彼女は言った。 

「いつかきっと、銀ちゃんはちゃんと話してくれる」

 新八ではなく、自分に言い聞かせるような言い方だった。

 銀時は自分の領域に踏み込まれるのを酷く嫌う。だから三人は自分の過去の事を何も話してこなかった。彼は日常のある場面で、何食わぬ顔をして自分とそれ以外の、例えば新八や神楽の間に一本の線を引く。無邪気に入り込みすぎた二人に“これ以上は入ってくるな”と無言で言うから、二人は何も知らない子どものふりをして線の後ろへと下がっていった。
 寛政の大獄が起きたのは、今から十年以上昔の事だ。その時に銀時が奪われた“せんせい”はきっと、銀時や高杉や桂の追い求めてやまない人で、彼らの原点で、そして銀時の超えてはならない線の内側にいる人なのだろう。自分達の知らない、知ってはならない、銀時にとっての聖域。復讐に走る高杉も、改革を望む桂も、護ることに固執する銀時も、今ではばらばらの方向に進んでいる三人の歩いてきた道を逆さに辿ると、やがて一本になってきっとその人の元に辿り着く。何も知らないのにそう思った。そして多分それは間違っていない。
 眉間に皺を寄せて譫言を言う彼は、もしかしたら“せんせい”を奪われた日の夢を見ているのかもしれない。

「だからそれまで、私たちは何にも知らないフリをすればいいだけアル。今までと何も変わらないネ」
「……そうだね」

 面倒なひとだなぁと、新八は軽く銀時の頭を小突いてやった。それに続いて今度は神楽が銀時の髪を引っ張る。うう、だか何だか銀時が呻いた。その時だけ、銀時の中に強く残る“せんせい”に勝てた気がした。妙な例え方ではあるけれど。
 
 月は欠けてしまって満月ではない。しかし消えてはいない。確かにそこにある。
 あんたがここにいてくれるなら、ただ笑っていてくれるなら、僕らはあんたの為に笑って知らない振りをしてあんたを迎えるから、だからはやくはやく。

「「早く起きろよ、このマダオが……」」

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