ルーク・シルバーは数時間前には眠っていたはずの彼女がベッドから半身を起き上がらせている様子を目にとらえたとたん、自分の心臓のあたりが幾分か軽くなったのを確かに感じていた。それはひとえに、まだ成人にもならない少女ふたりを連行しろという今回の任務に抵抗感を感じせざるを得なかったからだ。携帯電話の通話ボタンを押し、頑固者特有の声で指示をされた際、彼はその場にいた仲間ともいえる自分の部下が首をかしげるほど顔をしかめたものだった。けれども一般兵ならばともかく、彼は戦場に立ち、現地で直接軍の指揮を執る役柄であったため、断るに断れなかった。嫌だと断ってしまったら 下の者に示しがつかない。しかし任務にはとてもではないが意欲的にやろうとは思えない。彼はこのような葛藤を これまでに幾度か経験させられてきた。彼は将軍という若き容貌ながら大変高い地位を持つ人間であるのと同時に、心優しき精神を持つ青年であった。
しかし、どうだろうか。先ほど自分が捕らえ、今目の前でベットに半身を置いている少女は ひと目で見ても軍事のほうに関係があるとはとても思えない。細い腕は眩いほどの白皙を持ち、その顔や肌のどこにも昔からの傷痕などは見かけられない。頬や腕に張ったかすり傷用の絆創膏、特に足に巻いた包帯の姿は、彼女を痛々しい少女へと一変させている。捕らえたもうひとりの少女の姿と比べると、まるで鏡に映したような正反対だ。彼が見たレティは睡眠薬に寄っての眠りから覚めるまで監視をしていた軍人に、噛み、叩き、殴りなどをして抵抗の意思を見せていたため、ぼんやりと意識をどこかに浮かばせているような彼女の様子は異様なものに思えた。「ミス.カフィ」敬意を払った呼び名を使えば、彼女はゆっくりとこちらに顔を向ける。窓のないこの部屋で まるで視線の先に窓枠が立てかけられているというようにそちらを見ていた彼女は ずいぶんとぼんやりとした目でルークを捉えた。それまで寝ぼけていたというように、彼女の瞳が者を認識し始める。「どこか気分がすぐれないなどはあるか?」目を瞬かせ、驚いた姿をしている彼女は黙って首を横に振る。レティだったなら最悪の気分だと吐き捨てるだろうその問答に、ルークは安堵の息を吐くように柔らかく微笑み、彼女に歩み寄った。「話にうつる前に今回の非礼をわびたい」そう言って彼女の前に片方の肘をつくと、ルークは包帯に巻きつけられた足を優しく持ち上げた。彼女はもちろん、その場にいた監視役の兵士さえもぎょっと目をまるくさせる。彼女はすぐに足をベッドの上へ引いてしまいそうだったが、ルークがあまりにやさしい労りと慈愛を持った手で足裏をなぞるので それができなくなってしまったのだ。しかし、当の本人である将軍は気づいていない。監視を命じられていた兵士は既にはらはらとした心持を落ち着かせ、反対にあきれた溜息を聞こえないようについていた。その眼には嫌悪や軽蔑の目は見られず、むしろ暖かい諦めの色があった。彼らにはルークの今のような仕草や行動などは珍しいものでなく、むしろ恒例と化している面があったからだ。しかし、そんなことなど知る由もない彼女は 心中を大いに混乱させていた。この男の軍人は、いったいなにをしているのだろう。そう考えながら彼女が目をまるめて固まっている間、ルークは憐れみと罪過を認めた瞳で彼女を捉えていた。自分は こんないたいけな少女を追い回していたというのか。なにも知らないだろうこの少女を、まる一日眠らせてしまうほど疲労を強いてしまったというのか。
「手荒い行動で警戒させてしまったことや、そのせいで君たちがこのような傷を負ってしまったこと。それはすべて我々の行き過ぎた言動からだ。すまなかった」
「いえ…いいんです、その、大丈夫です、し…レティちゃんも大変なことをしてしまっていて、その…」
彼女はなにか思案をするように目を泳がせ、口をつむり、とうとうなにも言葉が出ず 目を伏せて沈黙してしまった。ルークはその一連の細かな動きをとらえながら、じっと辛抱強く話すことをやめていた。彼女がなにか言いたいことがあるのならばいくらでも待つ気でいたが、彼女が「すいません」と言ったきりなにも話さないとわかると 安心をさせるようにと優しく微笑み「感謝する」とひと言言って包帯がしめつける足から手を放した。とたんに真面目で、国に真摯な忠実を誓う兵士の顔になったルークに、彼女は驚きながら 叱られる前の子供のような心持で待ち構えた。
「きみに話さなければならないことがある。これは最重要機密事項であり、本来なら君自身の安全と国家の生存のために知ってはならなかったことだ。しかし君は知らなければならない」
そう言った彼の顔は厳しかった。眉の端を少々なりとも額へつり上がらせ、目には軍人特有だとも言える戦士の猛攻さが現れていた。ルークについて、優しい青年の印象を持った彼女は一瞬はその変わりように驚いたものの 狼狽えることはなかった。軍人というのは、そういう者なのだ。彼女はそのことを よくわかっていたし、知っていた。だから驚かなかった。元々少々鈍っていた思案は そこまで感情を主張することがなくなっていたからかもしれない。知らなければならないといった言葉に対し、「どうして知らなくてはならないのですか」と声をあげようかと思いもしたが、喉は大儀を訴えて息だけをはきだしたので、彼女は黙っていた。それは些かほど不自然なことだった。彼はそのことを感じ取り、彼女の目をじっと見つめていた。彼女の不可思議な点は、まず警戒心などないことであった。レティは例に持ち出すには少々暴れすぎだが、目を覚ましてから幾分かたったというのに、まだ脳が突然の起床に堪えているように虚ろな意識だと見える。引いて閉められた唇が、なにかに耐えているようだ。彼は見ながら、それが突然連れ去られたことからくるものだけではないように思えていた。
しかし、初対面の彼女になにかを詳しく聞くわけにはいかない。速急に彼女に会わせなければならない者もいる。
「会わせたい者達がいる。来てくれ」
彼は割り切って彼女に手を伸ばした。彼女はやはり、ぼんやりとした様子で言われるがまま それをとった。


(110917)