エップスは思い悩んでいた。それは休暇への道のりが長引いたことによるのではない。確かに、彼の妻が吐くだろう溜め息は悩むことしかできない問題ではあるが、それよりもどうにかするべきことがある。珍しいことだ。レノックスほどではないように見えるが、エップスは妻と子供を大事にする夫である。許されるのなら電話も頻繁にする。しかし、今回起こった事が非常に稀な、本来なら起こってはないことなのだから、そうなるのも仕方ないのかもしれない。
天井を見上げて吐き出した息と共に、頭に張り付いている記憶が蘇る。大きな女性隊員の要望で作られたカフェに ロベリアと彼女の姿があったことを、エップスはしっかりと目に焼き付けていた。

「あなたは…女の子だもの。こんなところとは無縁の、普通の幸せを手に入れるはずの」

なんの意図も故意もない。エップスはたまたまその場を通っただけだ。しかし、見た目の割に内気で悩みの多い友人の「ごめんなさい」という声が聞こえたものだから、ついついと立ち止まってしまったのだ。ふたりはカフェに備えられた椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合っていた。ロベリアは申し訳なさそうに、カフィはきょとんと目を瞬かせて、お互いを見ていた。異様な光景に、なんの話をしているのだ、と、これまたついつい耳を済ませてしまい、それを聞いてしまった。
エップスは罪悪感が混じる溜め息をはく。そうだよなぁ。そう呟いた頭の裏側では、レノックスと共に居た彼女の顔がある。戸惑いにおされ 少しほどそっけない態度をとってしまったことを、彼はずっと悔いていた。数日たって薄れていたそれが、ロベリアの声で再び重たさを持ったのだ。まるで忘れさせないというかのようなタイミング。どうしろっていうんだ。エップスは首を左右に軽く降りながら訴える。声もなく示すように 時計がある時間を知らせたことに、そのときの彼はまだ気付いていない。





レティは思い悩んでいた。ベットに寝転び、無機質で色のない天井を怠惰が混じる目で見つめながら、ここしばらく体の代わりに動かしている頭を深読みのために働かせていた。これはどういう状況だろう。目を転がして部屋の端を見る。視のためにいた軍人は、いまはもう部屋のなかにいない。勝手口の外で待機しているのだろう。部屋には毎日三回、充分な食事が運ばれてくる。朝に尋問が終わったとき、情報員が去った部屋に残った軍人は「おつかれ」と声をかけて出て行く。何故なのだろう。怪訝な思いに、レティは顔を横に倒し、睨む目つきでそこを凝視する。壁に張られているのは清潔感がある真白であり、それは彼女が考えていたものとはあまりにかけ離れていた。床や壁はコンクリートの灰色で埋め尽くされ、ベットは簡易用の粗末な物。軍人たちも乱暴に扱うか極めて冷徹な態度を取るだろう。下手をすれば食事も乱雑なものかもしれない。そう考えていたからこそ、彼女は強く怒鳴っていたし、虚勢を張ったが恐怖を感じているのだ。レティには不安感があった。だから数日の間ずっと繰り返し考えているのだ。

「よう、暇してるのか」

響いたその声は思案に暮れていた彼女にとっては突然のものである。はっと意識を元に戻した彼女の反応は素早く、それは無意識に近かった。体を勢いよく起こしたレティが数秒ほどまるくなったままの目をそこに向けると、そこにはすぐに睨みつける鋭さが持たれる。反対に、エップスは苦笑いを滲ませた顔で両手をあげるのだ。「おお、こわいこわい」そうやってからかうように。

「毎日毎日ひまぁな見張り役、ご苦労さんだことね」
「お、労ってくれるのか」
「…」

にやりと笑って返されたことに、目くじらを立ててそっぽを向く。その様子を見てエップスが楽しそうに見ていることを解っているから、またレティの腹は二重に沸き立つ。それが卑しく囃す視線ではないことにも気付いているから、彼女はまた不安をも感じていた。この状況はいつまで続くのだろう。目を伏せて、暗い陰のなかでレティは考える。尋問が恐ろしいわけでもない。コンクリート固めの部屋に移ったとしても、発狂するほどの混乱はしない。そこまで考えて、彼女は少しほど見方を変え、その奥を考える。しかし、いま気さくに接してくれる軍人がある日を境に一気に態度を翻したとしたら、自分は耐えられるだろうか。

「…なんだ、悩み事か?」
「……まあ…うん…」

この場に人間がエップスしかいないからか、暫く考え事に頭を費やしすぎたせいか、レティしおらしく返事をする。その様子はエップスを喫驚させるのに充分なものだった。あのレティが。数日間、エップスは監視役としてレティと過ごしたが、こんなにも彼女が弱々しく見えることはなかった。なにかを聞けば皮肉か嫌悪の視線で返される。労りの言葉を掛ければ気まずそうに睨んでくる。

(こんな姿を見ていいのか)

エップスは目をまるくさせて、ひとたび程そんなことを思った。今までとあんまりにかけ離れているからだ。こつ こつ こつ とゆっくり床を踏み、レティへ歩み寄る。ベッドの端に腰掛けたままこちらに向けている背が、肩を落として小さく見える。

「軍人としてじゃなく、ただの俺としてなら…相談もいいと思ったんだが」

言いながら、その語尾はしどろもどろになっていく。見方をちょっとでも変えれば口説いているようにも聞こえる言葉だ。エップスは目を泳がせ、最後には彼女の背中に待つことを定めた。回り込んで顔をのぞくほどの意気は持てない。そのままおそるおそる反対側の端に腰かけても何も言わない。つい先ほど後悔したばかりであるエップスにはこれが限界だった。

「じゃあ、聞くけど」

暫く沈黙があり、エップスが諦め立ち上がろうとしたとたん、レティの声が響く。

「あんた達、なんで私に厳しくしないの」

エップスはなくしていた視線を、再びレティへ戻す。彼女は背を見せることをせず、しっかりと、けれどゆらゆらと不安げな色を見せているまなこがあった。

「私はあの子みたいになにも知らないわけじゃないのよ。あいつらがどんなに恐ろしい体をしてるか 知ってるし、軍人は嫌いだし、ディセプティコンを直したのよ。憎いとか、ないの?」

レティの言葉は至って真面目だ。切り詰めた鋭さと返答への揺らめく不安を抱いて鼓膜を震わせているのだから。けれど、エップスは一度素っ頓狂な顔をした後、とたんにふっと肩の力を抜くため息をついた。それから、可笑しくてたまらない。そういう口を持って言う。

「お前、そんなこと気にしてたのか?」

ぷちん。そういう具合にレティの表情が緩んだ。目をまるくさせ、数回瞬きをする。その睫が下の瞼をうつ度に、その瞳に映るエップスは腹を抱え込んでいった。笑うのを堪えているのだ。ようやくそのことに気付いたとき、レティは顔を赤に色付かせて声を出した。

「なに笑ってるの!」
「いや、悪い。悪いな。でもまさか、深刻な悩みがまさかそんな…見当違いなことだとは、思わなくてな」

呵々とすることを抑えるために途切れる言葉に、レティは少しほどの皺を鼻の頭へ集める。見当違いとはどうしてだ。エップスはようやく常軌の声を取り戻し、立ち上がって彼女の前へしゃがんだ。軽快さと、親しみを込めた目がレティを見上げ、彼女は当惑する。これではまるで諭されているようだ。

「俺もよ、最初聞いたときは悩んだんだよ。ディセプティコンを匿ったかもしれないした奴と、どんな風に接すればいいんだってな
だけど俺たちの上官が言ったんだよ、「彼女たちがディセプティコンを匿っていたからといって俺たちが守ろうとしていた人間でないわけじゃない。彼女たちは、本来ここに来るべきではない、平和な生活に勤しむべきアメリカ国民だ。だから俺たちは最高の持て成しをしなければならない」ってな」

レティの目が無意識にまるく、めいいっぱいに眼前の人物をとり映す。そう言った人物を彼女は頭のなかで思い描いた。軍服の胸部分に、バッチが沢山と張られている男。一時的だとしても、カフィとの再開を与えてくれたあの将軍。あいつだというのか。

「そうしたら急に悩みなんてなくなったんだよ。確かにそうだなあってな。まあそれでもうじうじしてる奴もいるが、NEST部隊の大半はお前らのことを憎んだりなんてしてないぜ」

安心しろよ。それにお前は可愛いお嬢ちゃん″だからな。言った後にひとつだけのウインクを付け足したエップスに、彼女の頭は一度だけ呆気を取られる。けれど、その意味はすぐに理解できた。お嬢ちゃん″。少女の扱いをする言葉だ。レティは自然と一気に熱が集まってくる顔を両手で押さえ、再び背を向ける。「なに言ってんの!馬鹿みたい!」ののしる言葉は、語彙の力も少なく 耳の裏側がすっかり赤くなっていたことによって信憑性を無くしていた。エップスがついに我慢ならず、声を上げて笑いあげる。押し黙ったレティは羞恥を真に受けながら、その言葉によって嬉しさを感じていた。


(111029)