贖罪のような日々


「ただいま」
「お帰り!あのな、今日はな、調子良くてお洗濯出来たんよ」
「偉かったなぁ、あとは何したん?ルガルガンと遊んだん?」
「あとはなぁ、ルガルガンのブラッシングもした!お天気良かったからバルコニーに出られたんよ」
ポケモンリーグの仕事を終えて帰宅がいつも夜中になるチリのためにチスは食事を作って待っている。翌朝に響かないようにサンドウィッチだったり、きのみと野菜で作ったサラダだったりする。
この日作っていたのはモモンの実とリンゴ、レタスを和えた簡単なサラダと湯気を立てるウイの実のスープ。それに口をつけながらチリは一日のことをチスに問いかける。
その日に出来たことを嬉しそうに報告してくるチスは同年代の女性達と比べて幼い言葉を使う。時折、たどたどしい言葉で自分の感情を口にすることもあったが、それを全てチリは受け止めた。
チリが四天王になる前はもう少ししっかりとした口調で話せていたのだが、四天王になってからは子どもに戻ったような話し方をするようになった。
「お洗濯して、ルガルガン達のブラッシング終わったら少し疲れてしもてな、一緒にお昼寝してしもたんよ」
「お天気良かったし、気持ちよかったやろ」
楽しそうに機嫌良く話すチスの精神は壊れてしまっている。
バトルが強い双子の姉が四天王になり、同時期に最年少でチャンピオンランクの所持者が誕生した。周囲に強いトレーナーが増えたことと周囲の心無い言葉がチスを追い詰めたのだ。
彼女は自身に厳しい訓練や特訓を課して、昼夜問わずに手持ちのポケモン達とパルデア地方を駆け巡った。雨の日も風が強い日もチリの制止を振り切ってまで強くなろうとした。
全ては四天王チリの片割れとして相応しい強さを手に入れるため。
だが、どれだけ努力してもチスはチリには及ばない。周囲の目と言葉が次第に彼女を壊していった。
「うん。でも、起きたらそろそろご飯作る時間になっててな、慌ててサラダ作ったんよ」
「そっか。昨日は調子悪かったけど今日はお洗濯もして、ルガルガンのブラッシングも出来たんやな。上出来やん」
「せやろ!」
にこにこと話すチスの表情は嬉しそうで見ているチリも思わず笑顔になる。ふわりと浮かべられたあどけなさを残した顔は周囲の人間や自分が双子の片割れを壊してしまったという責任感をまざまざと見せつけてくる。
こうなる前はいつも済ました顔をして、落ち着いた雰囲気を持っていた。強さも手持ちのポケモン達の練度も文句のつけどころがないほどだったはずなのに。
周囲が、チリがチスを壊してしまったのだと見せつけられる。
「……チリ、お腹痛いん?」
「ん?ううん、お腹は痛くあらへんよ。ただ今日は忙しかったから、少し疲れたんよ」
ガラスのサラダボウルとスープカップをそのままにぼんやりしていたチリを見て、同じ顔をしたチスがきょとんとしている。幼かった自分を見ているような気持ちになって、思わずチスを抱きしめていた。
世間でも細身だと華奢だと騒がれるチリよりもさらに少し細い身体。過酷な訓練とプレッシャーから壊れてしまったチリの双子の妹。
「チリ……?どないしたん、やっぱりどこか具合悪いん?」
「具合は悪くないんや。……チリちゃん今日は疲れてしもたから、チスのこともう少しだけぎゅーってさせてくれへん?」
「……ええよ、ウチがチリのこと元気にしたるよ」
先にシャワーを使ったのか髪からはシャンプーの清潔な匂いがする。ルームウェアも以前にハッコウシティでお揃いで買ったものだ。
チリがポケモンリーグで仕事をしている傍ら、チスはテーブルシティでアカデミーの教師陣を補助する仕事についている。たまたまハッサクから声をかけられて、拾ってもらえたのが幸運だった。
主にはリーグ関係者であるハッサクが担当する美術の授業を手伝いながら、ポケモンバトルを観戦したりしているようだ。
「おおきに、チリちゃん元気でたわ」
「また疲れてもうた時は遠慮せんとウチにも言うんやで」
夕食が終わり、お風呂に入ってあとは眠るだけという時間になってからようやく二人の時間が取れる。
観たいテレビ番組もなく、これからやるべきこともない時はソファに二人で並んで座っていることが多い。
チリはテレビを観るよりも、チスの髪をいじったり、手持ちのポケモン達のブラッシングをしたりと何かとやることはあるのだが。
「なあ、チス。ちょっとええか?」
「ん、なに?」
「その、な……チスが嫌やなかったらでええんやけど……」
珍しく歯切れの悪いチリに首を傾げつつ、チスは彼女の言葉の続きを待つ。
しばらく待ってもなかなか言葉が出てこないので、チスはチリの膝に跨がって向かい合うようにして腰掛ける。そして背中をぽんぽんと叩いてやるとようやく続きを話し始めた。
「あのな、今度の休みにチスも一緒にご飯に行かへん?てハッサクさんから誘われてるんよ。どないする?」
「チリと一緒に、て言うてもハッサクさんも一緒なんやろ?……チリと二人ならええけど」
「それがなぁ、ハッサクさんからはチスも一緒にって言われてんねん。だから普段とは違うんかもしれへんけど……どう?」
普段からチスは外食をあまり好まないため、食事に誘われるというのは本当に久しぶりだ。
誘われればどこへでも行くつもりだったが、まさか四天王の一人のハッサクからの誘いがあるとは思わなかったのだ。
「……うん、分かった。チリと一緒ならええよ」
「ほんま!?よかったわぁ……」
ほっと安堵の息を吐くチリに思わず笑みが溢れる。その反応だけでどれだけ自分が心配をかけていたのかがよく分かった。
「チリ、ウチのためにありがとぉな」
「チスがしんどい思いしてるのに何もしてやれへんからこれくらいはさせてや」
そのまま背中に腕を回して細い身体を抱き締める。自分よりも短いエメラルドグリーンの髪を指で梳きながら、額にちゅっと軽くキスを送った。
帰ってきた時はあまり良くなかったチスの顔色が少し良くなった気がする。
「大丈夫やから。チスはチリちゃんと一緒におればええねん」
「うん、ウチもチリと一緒なら平気や」
そう言って微笑むチスの笑顔に少し元気が戻ったようで安心する。
「あのな、今日はチリと一緒に寝たいねん……あかん?」
「あかんことあらへんよ。じゃあ、今日は一緒に寝よか」
遠慮がちに言うチスの願いを断る理由はどこにもない。
仕事や四天王としての仕事が長引いたり、時間が合わない時は別々に寝ることもあるが、できる限りは一緒にいたいのだ。
穴埋めや責任などといった言葉ではなく、肉親の情でもなく、チリにとってチスはたった一人だから。
「チリ、」
「うん?」
チスの手を引いて寝室に向かうと、そのまま二人でベッドへ倒れ込む。シングルサイズのそれは二人分の体重を支えるには心許ないが、今はそれが心地良い。
チスを腕の中に閉じ込めたまま横になると、彼女は甘えるようにチリの胸元に額を擦り寄せてくる。その仕草は幼い時のままだ。
昔から何か不安なことがあるとこうして甘えてきたものだ。その度に同じ様に抱き締めてやったことを思い出す。
「……チリはウチだけのもんや」
ぽつりと呟かれた言葉に思わず笑みが溢れる。
「せやで、チリちゃんにとって一番大事なんはチスだけや」
そう言って頭を撫でてやると嬉しそうに笑うものだから堪らない。
「……ウチだけのチリや」
「そう、チスだけのチリちゃんや。だから安心してな」
ゆっくりと背中を撫でてやると次第に寝息が聞こえてくる。やはり疲弊していたのだろう。
こんな状態になっても自分を一番に選んでくれることが嬉しくもあり、悲しくもある。
ポケモントレーナーとしての強さと四天王の片割れとしてのプレッシャーがチスを壊した。それはチリの責任でもあると思っている。
周囲からチスを守りきれなかったのは自分だ。
だから、せめてもの償いとしてチスのことを一番に考えてやりたいと思う。
「おやすみ、チリちゃんの大事な人」
そう囁いて、額に口付ける。普段はあまり見ることのできない穏やかな寝顔を見つめながらチリも眠りについたのだった。

Fin.
BACK