きんもくせいのはなむけ


運命の日は残酷にもやってくる。
ジャックにとってはこの街のプロリーグでの決勝戦、彼にとっては人生最後の日。
あまりにも差のある一日の重さにゾッとする。
そして自分に問いかける。自分にできることは何か、彼に見せられるデュエルを最高のものにすること。
おそらく彼は自分の体調を押してでもジャックのデュエルを見に来るだろう。
どうしてもそれは避けたかった。
最後の時間を見届けるのは自分でありたい。彼がそれを望んだのだから絶対に負けるわけにはいかない。
今までの自分を超えてみせる。
そして、最高のデュエルを。
そう決意し、ジャックは試合に臨んだのだった。
「ライディングデュエル、アクセラレーション!!」
二人のデュエリストの宣言に会場全体が割れんばかりの歓声に包まれた。ジャックはその歓声を背中に感じながら、対峙する相手にだけ集中する。
デュエルは序盤から激しい展開になった。だが、それは相手も同じことだ。これまでもどれだけ不利な状況からでも何とか盛り返して勝ってきた。
チーム5D'sだった頃から、あるいは仮初のキングであった頃から。何者でもなくなった時でもそうやって勝ってきたのだ。
この程度で負けるわけにはいかない。
気合いを入れ直し、さらに踏み出す。
彼を救うための戦いなのだから負けるわけにはいかなかった。絶対に勝つ、それだけだ。
そしてジャックは戦いの末に勝利を掴み取ったのだった。
試合終了のブザーが鳴り響くと同時に会場中から大歓声が上がった。
決勝戦は白熱した展開で、両者一歩も譲らず、その結果がこのデュエルの勝利に繋がったのである。
二人の戦いを見守っていた人々は口々に感想を言い合うと、次はいつ対戦するのかという話題で持ちきりになった。こうしてまた新たな伝説が生まれるのだろうと誰もが確信するなかでジャックの勝利を祝う言葉が交わされていたのだった。
ジャックもまた今まで以上の高揚感に包まれていた。こんな気持ちになれるとは想像すらしていなかったからだ。
「ジャック!!おめでとう!!」
己の名前を呼ぶ声。紛れもなく彼のものだった。
精一杯に細い腕を振って満面の笑みを浮かべてジャックに祝福を送ってくれている。今まで送られてきたどの賛辞よりも眩しく純粋なものに聞こえた。
そしてジャックは彼に答えて大きく手を振る。
「勝者はこのオレ、ジャック・アトラスだ!」
大声で宣言する。会場に響く声を全身で受け止めながらジャックは笑みを浮かべ続けた。だが、駆け寄って来る彼が足元からがくりと崩れた瞬間、その表情は焦りへと変わった。
「大丈夫か!?」
とっさに駆け寄り彼を抱き上げるが反応がない。ゆっくりと抱えたままその場に座り、そっと顔色を窺うと呼吸が荒くなっていた。
熱が上がっているのかもしれない。急いでホスピスへ運ぶことにした。彼のことだ、体調が悪いのを押して見に来たのだろう。
「道を開けろ!ホスピスへ運ぶ!!」
ジャックは周囲に向かって叫ぶと、観衆は言われるがままに道を開ける。その間を縫うように進みながら安心させるように彼へ語りかけた。
「もう少しの辛抱だ。オレがついているから安心しろ」
その言葉を聞き届けたのか、それとも意識をなくしたのか。彼は薄く微笑むと目を閉じた。
ホスピスに戻ると医師や看護師たちが慌ただしく動いていた。彼の状態を目の当たりにすると足早にやってくると即座に対応を始める。すぐさまケアが施されていく中でジャックは呆然と立ち尽くしていた。
「きっと彼のことだから、あなたのデュエルを見に行っていたんでしょう」
「……伝えていかなかったのか」
いつも彼のことを気にかけていた看護師が心配そうに扉の閉まった病室を見つめた。「アトラスさん、彼を責めないであげてください。彼自身も本当は出ちゃいけないことだって分かっているんですから。だけどどうしてもあなたのデュエルを見てから死にたいって言っていたんです」
彼の言葉にジャックは拳を握りしめた。そして静かに頭を垂れる。
「責めるものか……オレこそ何もしてやれなかったのだから……」
自分の無力さを感じて俯くしかなかった。彼のことを本当に想っているなら最初から彼に生きていてほしかったのだ。
病気には勝てない時だってある。彼はその例に当てはまってしまっただけだ。
「お願いがあります、アトラスさん。彼がどんな結末を迎えるにしてもそばにいてあげてくれませんか」
看護師の言葉にジャックは顔をあげた。彼女は悲しげな表情で彼を見続けている。
「あの人はあなたのデュエルを心から愛していたんです。あんなに輝く瞳で見つめ続けていた姿をわたしは忘れられません」
そう言われて改めて彼のことを思い出してみる。シティにいた時は浮かない表情をしていることが多かった気がするが、このきんもくせいの街で再会してからはよく笑っていた。
デュエルの話をするときが一番楽しそうに笑っていたことを思い出す。
「確かに最期には会ってやるべきだな。だが……まだ決まったわけじゃないんだろう?」
そう尋ねると彼女は目を伏せて首を横に振る。
「おそらく、意識を取り戻したら彼はすぐに安楽死に向けて動き出すと思います。目標だったあなたに感謝を告げることを達成したんですから」
その言葉にジャックは何も言えなくなってしまった。改めて扉が開いた彼のベッドへと目を向けると穏やかに眠る姿がある。その寝顔はまだ生きているように見えた。しかし、その身体は徐々に蝕まれているのだという事実が重くのしかかってくるのだった。
ホスピスの一室に彼は眠っている。細く白い腕に繋がれた点滴、苦しそうな呼吸音を聞きながらジャックは静かに椅子に腰掛けていた。
できることといえば手を握っていることと名前を呼ぶことだけだったがそれでも彼を安心させることができているようだった。
「ジャック……」
小さな声に呼ばれ、はっとして顔を上げる。熱に浮かされて開いた瞳がこちらを捉えていた。弱々しく微笑みかけられて思わず強く手を握った。その手は熱いくらいだった。
彼はもう永くはないだろうということを嫌でも感じ取ってしまう自分がいるのをジャックは悔しく思った。この手にもっと力があればいいのにと思ってしまうほどに無力さを感じていたのだ。
「……ありがとう……デュエル見せてくれて……」
感謝の言葉と共に彼が浮かべた微笑みはあまりにも美しく、儚いものだった。
今にも消えてなくなってしまいそうで怖くなったジャックは手に力を込める。壊れないように優しく。それでいて強く胸に抱いたまま彼の髪を梳き上げながら言った。
「見に来てくれただけで、オレは十分だ。また無理をして出てきたんだろう」
ジャックがそう言うと彼は小さくうなずいてまた笑みを浮かべる。それが余計に苦しかった。
彼は満足して逝こうとしているのだと思うと止めたい気持ちでいっぱいになる。
だが、自分に何ができるというのだろう。彼を引き止める資格などないというのに。
そんなことを考えていると彼は小さな声で言った。
「あなたのデュエルは僕に勇気をくれたから」
その言葉にはっとすると同時に思わず目を見開いてしまう。驚きの表情を浮かべている彼に構わず彼は続けた。
「僕はあなたに憧れてたんだ……」
そんな嬉しい言葉を受けてジャックの心は満たされていく気がした。自分のやってきたことに意味があったのだと思えたからだ。これからやるべき事がはっきりと分かった瞬間でもあっただろう。
「僕はもう十分生きた、だから明日ピリオドを打とうと思うんだ」
その宣言にジャックは背筋が凍った。
死ぬのを止めることは誰にもできないと分かっている。だからこそ彼の言葉を遮れなかったのだ。
しかし、何もしてやれないこともまた事実である。何かできることはないかと考えてみるものの思い浮かばなかった。ならばせめて気持ちだけでも伝えようと決心し口を開くことにしたのだが上手く言葉が出てこないでいる自分に気づいた瞬間だった。
自分はこんなに臆病な男だっただろうかと思い知らされるばかりだ。それでも、言わなければならないと思ったからこそ腹をくくることにしたのだ。
「オレのデュエルがお前に勇気を与えたというならそれはきっと奇跡のような出会いだ」
そっと手を握る力を込めながら呟いた声は届いたようで彼は微笑んでくれた。
その表情に胸打たれたジャックはその気持ちを素直に言葉にすることを決めたのだった。
「……お前は仮初のキングとして君臨していたオレに礼を言いたいと言ったが、それはオレも同じだ。お前のおかげでオレはオレ自身を取り戻すことができた。そして今こうして新たな道を歩み始めている」
そこまで言い切ってジャックはまた唇を閉ざす。喉の奥に何かが詰まっているような錯覚に襲われたがそれでも懸命に声を絞り出した。
「お前の望み通りに最期まで一緒にいてやろう」
そう伝えると彼は嬉しそうに笑った後、そっと目を閉じたのだった。
ジャックは一睡もせずに彼の側に居続けた。手を握って話しかける以外に何もしてやれないことに歯痒さを感じながらも、ただ傍にいることを選んだのだ。少しでも長く彼といる時間が欲しかったからということもあったかもしれない。だがそれ以上に彼には時間が必要だと思ったからだ。
明日に向かって生きていくために休息をとる必要があるのではないかと考えた結果のことだった。
夜は明け、空は白み始めようとしている頃合だ。太陽が地平線を照らし出し始めており、きんもくせいの街が明るく染まっていくのが見えるようだった。
それは新しい一日の始まりであり、同時に終わりを告げる時でもあるということを表しているように感じられたのである。
ジャックは手を握り続けながら、彼の横顔を見つめていた。髪やが美しく透けているように見えるのは彼の表情が穏やかだからだろう。
彼は最期を迎えようとしている今もなお安らかに眠っているように見えたのだ。
「お前が最期に見るのはこの風景だ……シティとはまるで違う」
「ほんとうだ、シティとは全然違う」
独り言のように呟きを漏らすと、返す声がある。彼だった。
ジャックは驚きのあまり声が出なかった。彼は眠っていたはずだ。
「起きていたのか……すまない、オレが見ていれば」
そう言うと彼はくすくすと笑った。悪戯っぽい笑顔だった。
「ちょっとだけだよ……あなたの顔をずっと見ていたんだ」
恥ずかしそうに言う様子はまるで幼い子どものようで、ジャックは戸惑いながらも微笑みを浮かべることしかできなかった。そして穏やかな声で問いかけた。
「いつにするんだ」
「……本当は今すぐにでもって言いたいけど、もう少しだけジャックといたい」
「そうか……では、明日だ。明日でいいだろう?」
ジャックは微笑みながら頷き返すとそっと彼に顔を近付けて額にキスをした。愛おしくてたまらないのだ。そんな気持ちを込めての行為だった。
すると彼もそれに応えるかのように強く手を握り返してくれたのだった。
「ううん、明日じゃだめなんだ。今日じゃないと僕の判断が鈍ってしまうから」
「どういうことだ」
彼の言葉の意味が理解できずジャックは首を傾げた。
そんなジャックを見つめながら彼は静かに語り始めた。
「僕はね、本当に嬉しかったんだ……僕が憧れてた人が僕のために全力を尽くしてくれてさ……」
彼の言葉にハッとしたジャックだったが、それと同時に胸の奥底から熱いものがこみ上げてきて止まらなくなったのだ。目頭が熱くなり視界がぼやけていくのを感じる中で彼は続ける。
「だからあなたには何も失ってほしくなかった。これからも元気に生きていてほしかったんだよ」
その言葉にジャックの心が激しく揺さぶられるのを感じた。彼がこれほどまでに自分のことを想ってくれていたのだと思うと胸が締め付けられるような気持ちになるのだった。
「看護師さん、僕は今日鎮静剤を飲みます」
それから朝の検温に来た看護師にその旨を伝えた彼の表情はひどく穏やかに見えた。