きんもくせいの約束


滞在先のホテルに戻ってからシャワーを浴びて軽く食事を済ませてから、ふと窓の外を眺めるときんもくせいの花が咲いているのが見えた。オレンジ色の小さな花。彼を思わせるのはなぜかはわからなかった。
デッキを見直しつつ、今回のデュエルを振り返る。今までの大会ではそんなことはなかったが、プレイングに小さなミスが出ていたように思う。どれほど気をつけていても罠の発動のタイミングや魔法カードの使い方、モンスターの選び方、いずれも何とか挽回出来ていたものの本戦で一瞬のミスが命取りになる。
気を引き締めていかねば、とジャックは一人ため息をついた。
命の終わり。
彼の人生の終わりを見届けることになるとは思ってもいなかった。キングだった頃のジャックと彼は関わりらしいものはほとんどなく、あったとしても短い他愛もない会話を重ねるだけのもの。だが、それに救いを見出していた彼と再会したということは何か意味があるのだろう。
ジャックがシグナーとして戦い、その役割を全うしたように彼の命の終わりを見届ける意味が。
「決勝だろうが何だろうが、このオレの前に立ちはだかるなら勝つだけだ」
そう一人呟く。彼との約束を守るため、そして己の強さを高めるためにジャックの声はホテルの部屋に響く。明日の本戦に向けてジャックはデッキをケースにしまい込み、ベッドに入ることを決めた。
翌日の本戦はあまりに対戦相手は強く、序盤からジャックは苦戦を強いられた。だが、レッド・デーモンズ・ドラゴンと戦ったデッキで辛くも勝利を収めた。そして準決勝へ駒を進めることを決めることができた。
そして対戦相手を確認し、その他のデッキを確認したところでジャックは会場を後にして彼が暮らすホスピスへと足を向ける。
街にはほのかにきんもくせいの香りが漂っている。人々は興奮したように先ほどのデュエルについて話し合い、戦術についてあれこれと意見を出し合っているのが聞こえた。
その喧騒を耳にしながらジャックは足を進める。
しばらくすると目的のホスピスが見えてきて、彼はゆっくりと敷地内に足を踏み入れていく。中庭に通ずる広い道にもきんもくせいの花が植えられており、オレンジの小さな花がまるで雪が降り積もるように落ちていた。
中庭を進んでいくとベンチに座っている彼を見つけた。誰かを待っているのか、あるいは思い出しているのか遠いところを見ているかのように見える。足音に気づいたのか彼はこちらに顔を向けた。
「本戦は観に来なかったのか」
「うん。朝発作が起きちゃって、出掛けるどころじゃなくなっちゃったんだ」
彼はそう答えながら立ち上がる。確かに顔色はあまり良くないように見えた。
「明日は準決勝と決勝があるが……ここで見るのか?」
「観に行くつもりだよ」
「そうか……無理はするな」
ジャックはそう答えつつ、彼のそばを歩きながらホスピスの中に入っていく。フロントで見舞いであることを告げ、看護師に案内されるまま彼の病室に入る。椅子に座るように促された彼は素直に従ってくれたのでそのまま話を続けた。
「その体調で本当に会場まで来るつもりなのか?」
「大丈夫だよ」
心配しているジャックに対し、彼は微笑みながら答える。けれどあまり大丈夫そうには見えなかったのでジャックは眉をしかめるばかりだった。
「無理はするなと言っただろう。そんな状態で来られてもオレは嬉しくない」
「心配してくれるんだね、ありがとう。でもジャックと会える機会なんて滅多にないから……最後まで一緒に居たくて……」
彼は消え入りそうな声で言う。体調が良くないことで気持ちが沈んでいるのか、元々の性格なのかはわからないが彼の声は弱々しいものになっていた。
そんな彼の気持ちを感じ取りながらジャックは静かに言う。
「だが……」
「大丈夫、無理はしないから。約束するよ」
そう言いながら彼は手をひらひらと振ってみせる。まだ完全に納得していないもののこれ以上言っても仕方ないと判断したのかジャックは小さくため息をつくだけだった。
「……決勝が終わったらお前とも会えなくなるのだな」
「そうだね、でもさよならじゃないから」
ジャックが寂しげに言うと彼は微笑みながら頷いた。
「どこにいても、何をしていても僕はジャックのこと応援してるよ」
「その言い方はやめろ!」
ジャックは初めて彼に対して声を荒げた。死を当たり前のように受け入れて、さも自分の道だとへらへらと笑う彼が嫌だった。
キングだった頃の自分ならば気にしなかったはずだ。だが、ジャックはもう違う。彼の生き方を見て彼と同じように強くなることを決めたのだ。
「頼むから……自分自身の死に抗うつもりがなくても最後まで諦めないでくれ」
ジャックは絞り出すような声で懇願するように伝えると、彼は一瞬驚いたように目を見開いた後うん、とどこか嬉しそうに頷いた。
だが、彼の人生の終わりを変えられないことはジャックもわかっている。彼の世界が終わることをわかっているのに、ジャックは彼に何もしてやることが出来ないのだ。
「お前に会える時間ももうわずかだな……、せめてその時には立ち会わせてくれないか」
「ジャック、僕との約束を守ってくれるの?」
「ああ。もちろんだ」
彼は再び嬉しそうに笑うと、ありがとうと呟いて目を伏せた。その目には涙が浮かんでいて今にもこぼれ落ちそうだ。彼は慌てて目元を袖で拭い、ジャックの方に向き直る。
「約束だよ。僕の最期の瞬間はジャックにいてほしい」
そう笑う彼の笑顔はまるで幼子のようだった。まだ幼い少年のようにきらきらと輝いて見えるが、どこか陰りがあるようにも見えた。それでもジャックは静かに頷いて彼を見つめ返すことしか出来なかった。
「……お前との約束は必ず守る。だから安心してくれ」
「うん……」
彼は微笑みながら頷いたものの、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「やっぱりジャックは優しいね。僕のわがままを聞いてくれるなんて」
彼は申し訳なさそうに眉を下げて呟くと、ジャックは窓際に咲くきんもくせいに目をやった。
「この街でお前と再会したのは何か意味があってのことなのだろうからな」
「どういうこと……?」
きょとんとした顔で彼は首を傾げていた。ジャックはどこか懐かしそうに微笑みながらぽつりと言う。
「……いや、こっちの話だ。気にするな」
「え?なんのこと?」
不思議そうにこちらを見つめている彼にジャックは小さく肩をすくめると、ゆるりと首を振った。
「いや……なんでもない」
「変なジャック」
彼はくすくすと笑いながら椅子から立ち上がった。ジャックはその体を支えつつ、彼と共に部屋を出た。
準決勝と決勝は明日だ。それまでにデッキの見直しをしなければと思うものの、先程の会話のせいでどこかぼんやりとしてしまって集中出来なかった。
それに彼と話せる時間はもうあとわずかなのだ。それを惜しく思っている自分がいることもジャックはわかっている。彼との別れが近づいていることをジャックは感じていた。しかし、どうすることも出来ないのだ。
最期の時を彼と共に過ごし、彼が安らかに逝けるようにすることしか出来ない。それが自分の役割であり、彼に与えられた使命なのだと自分に言い聞かせる。
そう考えていても心のどこかでまだ生きている彼を繋ぎ止めたいと願っている自分がいることも事実だった。
「明日は観に行くよ。看護師さんに連れて行ってもらう」
「……体調が悪いなら無理してくる必要はない」
「最期にジャックのデュエルを見たいんだ。優勝したあなたを見て逝きたい」
彼は嬉しそうに笑いながらそう言った。ジャックは彼の決意に満ちた表情を見て何も言えなくなった。
その夜、ジャックは一人ホテルの部屋ではなく、ホスピスの中庭に佇んでいた。
きんもくせいの花は今も変わらず咲き誇っており、月明かりを浴びて輝いているようだった。花の匂いが鼻先をくすぐる。
明日の大会のことを考えながらぼんやりとしていると背後から足音が聞こえてきてジャックはゆっくりと振り返った。そこには彼が立っていた。彼は少し息が切れていて顔色も良くはないものの、確かにそこに存在していた。
「抜け出してきて大丈夫なのか」
「ジャックがいるのが見えたから出てきちゃったんだ」
彼はふわりと微笑むとジャックのとなりに立ってきんもくせいの花を見上げた。その横顔はどこか切なげで、今にも消えてしまいそうなほど儚げに見える。けれど、確かにここに存在しているのだと改めて実感してジャックはその細い肩に触れた。
「えっ……」
「……っ!」
ジャックは思わず息を呑んだ。触れた瞬間、彼が消えてしまいそうなほど脆く見えて咄嗟にその肩を引き寄せていた。彼は驚いたように目を丸くしていたが、すぐに柔らかく笑ってジャックの手に触れた。
「どうしたの、急に」
「死ぬことは怖くないのか」
ジャックが尋ねる。すると彼は苦笑しながら首を横に振った。
「怖くないって言ったら、嘘になるかな。でも、発作の苦しみから逃れられるなら悪くはないと思っているんだ。自分で決めたことだし」
彼は微笑みながらも少し寂しそうに答えていた。ジャックは静かに彼の肩を抱く腕に力を込める。彼は少しくすぐったそうに笑いつつも、ジャックのなすがままにさせていた。
「でもね、ジャック。僕は今までの人生の中であなたと過ごしたこの時間が一番幸せだったよ。ちゃんとお礼も言えた、それだけで十分なんだ」
「なぜそこまでしてオレを……、」
ジャックは戸惑いつつも尋ねた。すると彼はくすくすと小さく笑いながら答える。
「ジャックのことが好きだからだよ」
そう言って微笑む彼の瞳からは涙が溢れ出していた。それが月明かりに照らされながら落ちていく様をジャックは静かに見つめていた。
彼は涙をこぼしながら言葉を続ける。
「あなたと出会えたこと、あなたを心から好きだって気づけたこと、あなたが僕を認めてくれたこと。全部が僕の宝物なんだ……だからそれだけで十分なんだよ」
彼の瞳から流れる涙が月明かりに照らされてきらりと光っている。ジャックは彼の言葉を聞きながら彼の小さな身体を抱きしめた。そうしなければ彼が消えてしまうのではないかという恐怖に駆られていたからだ。
彼は抱きしめられたままジャックの背中をぽんぽんと優しく叩く。まるで幼い子どもをあやすように。
だが、その手つきとは裏腹に口調は弱々しくどこか寂しさを含んでいた。
すると、ホスピスの入り口の方から足音が聞こえてきて二人はそちらへ目を向ける。そこには看護師が立っており、心配そうにこちらを見ていた。どうやら抜け出したことがばれてしまったらしい。
彼はばつの悪そうな顔をして小さく謝罪の言葉を口にした後、ジャックから離れて病院の中に戻ろうとする。ジャックもすぐに踵を返してホテルの方へ戻り始めた。
「明日は絶対に観に行くから」
ホスピスの入り口で立ち止まった彼がジャックに向かって叫ぶように言う。ジャックは振り返ると静かに微笑み、こくりと頷いた。
それを確認した彼は嬉しそうに笑って再び中へ戻っていった。姿が見えなくなったことを確認し、ジャックは再びホテルに向かって歩き出す。その足取りは来た時よりも軽かった。