きんもくせいのため息


ホテルに戻ったジャックは明日の試合のことを考えながら、デッキの調整をしている。レッド・デーモンズ・ドラゴンを中心としたそれはジャックの運命とも言えるデッキだ。どんなに困難なデュエルも彼らと戦ってきた。
キングとしてのデュエル、ダークシグナーとのデュエル、あるいはライバルである遊星とのデュエル。いずれも鍵となっていたのはレッド・デーモンズ・ドラゴンだ。
今回も大丈夫だと慢心はしていない。
だが、彼と再会したことでジャックの心に少し普段とは違う感情があるのも事実だ。尽き行く命と必死に向き合ってもなお笑みを絶やさない彼はジャックに看取ってほしいと願った。
この試合はこの地域におけるジャックの実力を図る大切な一戦になる。きっと厳しい戦いになるだろう。どんな相手が来ようとデッキのカードを信じて最後まで戦い抜くだけだと思っている。最後に負けるのは自分のデッキを信じられなくなった者だとこれまでの経験から彼は知っていた。
「……オレは自分のデッキを信じるだけだ」
小さく言葉にするとそれはすんなりと彼の心に染み入っていく。
何があったとしても、相手がどんな手で来たとしてもジャックは自分の戦術でいくだけだ。他のやり方はない。これまでもそうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。それがジャック・アトラスのあり方だから。
調整を終えると彼はベッドに入る。
明日からの試合に備えて心身ともに万全の状態で臨まなければならないのだ。
いよいよ始まったプロリーグ予選。ジャックの予想通り多くのギャラリーが集まっていた。
多くの観客がホイール・オブ・フォーチュンに盛大な歓声を浴びせた。
「行け、レッド・デーモンズ・ドラゴン!灼熱のクリムゾン・ヘルフレア!!」
レッド・デーモンズ・ドラゴンを中心とした彼のデッキは相手の戦術を一瞬で破壊し、圧倒的な力でねじ伏せる。観客たちはそんなジャックのデュエルに酔いしれていた。
それでも、やはりデュエルを終えて気にかかるのは彼のことだ。状態は芳しくなく、いつどうなってもおかしくないと彼は言っていた。
命の終わりを彼は知っている。そして、それをジャックに看取ってほしいと願った。ジャックに深い感謝の念を抱いているからこそ出た言葉だろう。
彼と出会い、彼の願いを叶えると誓った時からジャックは彼のことを気にかけるようになった。
「……ジャック!一言!!」
「キング!ジャック・アトラス!」
司会者の声にハッとする。気付けばインタビューの時間になっていた。
ジャックはマイクを受け取るとカメラに向かって自信たっぷりの笑みを浮かべた。
「オレはこの舞台に上がるためにあらゆる努力をしてきた。そして、今ここにいる」
堂々とした態度で言葉を紡ぐ彼に観客たちは惜しみない拍手を送った。
そんな彼らに対して更に笑みを見せると、少し間をおいてこう続けたのだった。
「そして、この舞台でオレはオレのデュエルをするだけだ!二次予選でもそれは変わらない!!」
その一言に会場は一気に湧き上がった。彼のことをよく知らない者もジャックがただ者ではないことを感じ取ったのだろう。
そんな観客たちに満足そうな笑みを浮かべると、彼は再び口を開いた。
「これからも多くのデュエリストたちが勝ち上がってくるだろう。だが、オレとデュエルできる者は限られてくるということだ」
自信に満ちた言葉に会場が再び沸き立つ。そんな彼らに対してもう一度笑いかけるとジャックはその場を後にしたのだった。
明日の二次予選に向けての調整もしてはおきたいが、ホテルに戻る前にジャックはホスピスにいる彼の元へ顔を出した。彼は相変わらず穏やかな表情でジャックを迎え入れた。
「今日も来てくれてありがとう」
「気にするな。オレもお前と話したいと思っているからな」
ベッドの横に置かれた椅子に座ると、ジャックは彼と言葉を交わすことにした。最近は彼の体調も良いようで、会話も弾むようになっていた。
時折、苦しそうに咳き込むこともあったが、ジャックに気を遣わせまいと平気そうに振舞う姿が健気であると同時に痛ましいとも感じていた。
「おめでとう、ジャック」
ジャックの予選通過を聞いた彼は嬉しそうに言った。さすがだね、と微笑む姿にジャックは複雑な気持ちになる。
だが、彼の笑顔を見ると何故か心が安らぐのも事実だった。
「ああ、ありがとう」
言葉少なく答えるジャック。そんなジャックに彼は不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべるとこう続けた。
「二次予選も頑張ってね」
「……もちろんだ」
彼の言葉に力強く頷くジャック。それを見た彼は満足そうに笑うと、また咳き込んでしまう。慌ててジャックは彼の背中をさすった。大丈夫だと言うものの、その呼吸は相変わらず苦しげだ。
「……どうしてお前はそこまで」
そんな思いが彼に伝わらないことを承知で尋ねるように小さく呟いたが、彼には届いていないだろう。けれどそれでいいのだ。この疑問を打ち明けるつもりはないのだから。
「ジャック……あのね」
しばらくして呼吸が落ち着いた頃、彼は徐に口を開いた。ジャックは何も言わずに彼の言葉を待つ。
「あなたに出会えて良かったと思っているんだ」
その声はとても穏やかだった。まるで子守歌のような心地よさすら感じる。
少し間を置いてから再び彼が話し始めたが、その声色はやや低いものだった。そしてどこか不穏な空気をも感じさせるものだった。
「あなたのデュエルを見て、あなたの言葉を聞いて、あなたに救われて……僕はとても幸せだった」
そう語る彼はどこか遠くを見つめている。まるでここではない別の世界を見ているかのようだ。
そんな彼の雰囲気にジャックは嫌な予感を覚えたが、黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「あなたがこのプロリーグでの戦いを終えたら、医療用の麻薬を飲むことにしたよ。……強い薬だからそれを飲んだらもうジャックと話をすることは出来ないけど、いいんだ」
そう言って彼は微笑んだ。ジャックは息を呑むと、無意識のうちに彼の手を握っていた。その手はやはり細くて頼りないものだったが、確かに生きている者の温もりがあった。
「簡単に、自分の命を終わりにして本当にいいのか」
ジャックは絞り出すように言葉を紡ぐ。自分が今どんな顔をしているのか分からなかったが、きっと情けない表情なのだろうとは思った。
だが、それ以上に彼の発言は衝撃的だった。彼はきっと死期が近いことを悟った上で自分にそんなことを言っているのだろう。だからこんなにも晴れやかな顔をしているのだと思うとジャックの胸中は複雑だ。
「……死ぬな」
そう言い放つジャックの声は微かに震えていた。彼の言葉があまりにも信じられなかったからだ。
だが、彼は困ったように微笑むと首を横に振るばかりであった。
どうやら聞き分けのない子どもを相手にしているような感覚なのだろうと思う。もちろんジャックは子どもではないし、聞き分けがないわけでもない。だが、今の彼には何を言っても無駄であることを感じ取っていた。
「……デュエルを教えてくれるって言ってくれたけど、それよりもあなたのデュエルを最後まで見届けたいんだ」
彼はそう言って窓の外を見た。彼の視線の先にはホイール・オブ・フォーチュンが見える。
これから行われる試合の勝者が決まるまで、この景色はずっと変わることはないだろう。
「ジャックのデュエルを目に焼き付けて……それで終わりにしたいんだ」
彼の表情は見えなかったが、声は穏やかだった。まるで死を受け入れる準備をしているかのような落ち着き方だ。
彼は既に覚悟を決めているらしいとジャックは感じた。それでもジャックは簡単に引き下がるわけにはいかなかった。彼が自分の命を諦めていることがどうしても許せないからだ。
「……ならば、一つ約束しろ」
「何だい?」
「オレがこのプロリーグで優勝したら、それを飲まずに命の果てまでオレと過ごせ」
ジャックの言葉に彼は驚き、目を見開いた。まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
「どうして……そこまでしてくれるの」
震える声で尋ねる彼にジャックは答えることができないでいた。
そもそも自分でもなぜここまでしているのか分からなかったからだ。この感情は一体何なのか理解ができなかったが、不思議と悪い気分ではなかったことは確かだ。
少なくともジャックは決してこの約束を忘れたりはしないのだから。
「キングたるこのオレが約束を違えることはしない」
その言葉に彼は驚いた顔をしてから小さく微笑んだ。
ありがとうらと呟く声は少しだけ震えているように聞こえたが、ジャックはあえて気付かないふりをした。今は彼に優しくすることも許されない領域へと足を踏み入れようとしているからだ。
それがどれだけ残酷な結末を迎えることになるかも十分に分かっていたが、それでもジャックはその思いを曲げるつもりはなかった。
「あなたはシティのキングだった頃から頑固だったよね」
彼はそう言って笑う。ジャックも同じように笑みを浮かべた。昔を思い出しているからだろうか、懐かしい気持ちになったからだ。あの頃も今も、本質的な部分はきっと変わっていないのだろうと彼自身は思った。
「ジャックに会えてお礼が言えたからもう人生に悔いなんてないと思っていたのに、もう少し生きていたいと思ってしまったじゃないか」
冗談めかした口調で言う彼だが、それに対してジャックは真剣な眼差しを返した。そして、しっかりと彼の手を握り直すとはっきりとこう言った。
「薬を使って死ぬのは絶対に許さんぞ」
「分かったよ。あなたには本当に敵わないね」
降参だと言わんばかりに彼は肩を竦めた。その様子を見てジャックはようやく表情を和らげる。そして、再び窓の外を見る彼の横顔を見つめながら静かに口を開いた。
「お前は強い男だ」
突然そんなことを言われた彼はきょとんとした顔でジャックを見つめる。何を言い出すのだろうと不思議に思っているのだろう。だが、それでも構わず言葉を続けた。
「死ぬことを受け入れながらも希望を捨てずに生きようとしている」
ジャックの言葉を聞きながらも彼の表情は曇っていくばかりだった。まるで彼の言葉を強く否定するかのようだが、きっと彼なりに葛藤があるのだろうということは簡単に想像がつくことだった。それでもジャックは彼を励ましたかったのだ。
「……僕は……あなたみたいに強くはなれなかった。だけど、このきんもくせいの街でジャックに看取られるなら薬には頼らないようにするよ」
彼はジャックから視線を逸らし、窓の外に咲き誇るきんもくせいの花を見つめながらそう言った。その横顔からは何か強い決意のようなものを感じた。きっと彼なりに覚悟を決めているのだろうと感じたジャックはそれ以上何も言わずに彼の言葉を待つことにしたのだった。
「ありがとう、ジャック。……僕、頑張るよ」
そう言って彼は微笑むとジャックに向かって手を差し出した。握手を求める彼に対し、ジャックは迷うことなくその手を取った。お互いに固く握り合うとどちらからともなく笑い出す。それは穏やかな時間だった。
「ジャック、二次予選も頑張ってね」
「ああ。言われなくても勝つさ」
自信に満ちた表情で答えるジャックに彼は満足そうに頷いた。彼の表情は晴れやかで、出会った頃よりも幾分か明るくなっているように感じられた。それはきっとジャックと過ごす時間が彼の心に良い影響を与えたからだろうか。
「ジャックならきっと勝てるよ」
そう言って彼はジャックの手を両手で包み込むように握った。
その白く細い手は微かに震えていたが、ジャックは何も言わずにその手を優しく握り返した。
それが今のジャックにできる精一杯のこと。