夢が醒めない


木ノ葉の里、火影屋敷。
五代目火影たる千手 綱手は怒涛の勢いで仕事をこなしていた。それはもう、弟子のシズネが目の回る忙しさになるほどに。
「次!……次の書類は?」
「終わり、終わりです」
山積みになっていた書類の山が綺麗さっぱりなくなって、見晴らしが良くなった卓上。
シズネの言葉に綱手は湯呑みを手にし茶を喉に流し込む。書類を捌き切った後の身体に緑茶の味が染み渡っていく。
「め、珍しいですね。綱手様がこんなに真面目にお仕事されるなんて」
「まあな」
綱手がこれほど仕事に打ち込むにはそれなりの理由があった。
それは先日、木ノ葉のご意見番である水戸門ホムラとうたたねコハルに呼び出された時のことだった。
綱手と向かい合って座っていたご意見番二人は険しい顔をしている。この二人からの呼び出しはあまりいい思いをした試しがない。
「聞けば数名の賊にこの騒ぎ」
「情けないのう、綱手姫」
二人が口にしたのは最近になって活動を活発にしてきている暁のことだった。二年前、木ノ葉隠れの里に姿を見せた二人組ーーうちは イタチと干柿 鬼鮫が所属しているとされる犯罪組織だ。綱手が里をあげて取り組むべき目下の課題でもある。
「周辺諸国いや大名に知れたら木ノ葉の里はいい笑い物じゃ。お前の出す指示が後手後手に回っているようだ」
「判断力の鈍さは里を危うくする。全ては火影たるお前の責務じゃ、肝に銘じておくことじゃな」
そう言われたことを思い出し、綱手の顔が憎々しげに歪む。
(年寄りどもが…好き勝手言いおって。この上残務が滞るようなら何を言われるかわかったものではないか)
「クッソ!!」
勢いよく湯呑みを卓に置く。中の緑茶が激しく波打ち、綱手の心境を表しているようだった。
「あ、そうだ。自来也様への繋ぎに出ていた“あの方”からの報告書が上がってきました!」
綱手の心情を察したのかシズネが明るくそう言って、一冊の報告書を手渡してきた。これは綱手にとって待っていたものでもあった。
「ん、そうか。帰ってきたか」
報告書を受け取って読んでいく。それを書いたのはカカシだった。
一通り読み終わった綱手は立ち上がり、里へ目を向ける。
あの報告書にはこうあった。
『近隣諸国、五カ国七ヶ所でスリーマンセルの忍による先頭を確認。未だ火の国への侵入は果たしていないものの、その行動範囲から時間の問題かと』
さらに思い出したように最後に数行付け足されていたが、綱手の目を引いた一文があった。
『スリーマンセルの一人にうちは マナヅルと思しきくノ一の姿を確認したという証言がある。ほおに蛇の鱗を持つ見目麗しい少女、と』
うちは マナヅル。
うちは一族の末裔でサスケならびにイタチの妹。手配書でしか目にしたことはないが、非常に美しく愛くるしい顔立ちをした少女だったことを思い出す。罪を犯すようには見えない容姿に火の国だけではなく五大国最年少の抜け忍。その少女が暁に所属しているかもしれないのだ。
いや、おそらく確定だろう。ほおに蛇の鱗を持つくの一など忍界中を探し回ってもマナヅルしかいないだろう。
「……動き出したか、暁」
綱手は空を睨み、表情を険しくした。

***

雲隠れの里、暗い地下水路のような場所。
光があまり差さないそこは人が好んで入り込むような場所ではない。足元は水浸しでチャクラで浮いていなければすぐにびちゃびちゃになっしまう。
じめじめとしたその場所で二尾の人柱力、二位 ユギトは息を弾ませていた。
彼女を見つめるのは頭巾を被った大男、刃が三つついた鎌を持つ男、それから小柄な少女だ。
彼女はうちは マナヅル。暁の構成員の一人だ。
類い稀な美貌をした彼女は冷たい眼差しをユギトに向けている。その眼差しは侮蔑と哀れみに満ちていた。
「やるぞ」
「ちょいまち、アレやる前にちゃんと神に祈りを捧げねえとな」
鎌の男が首から下げた円の中に三角形が配置された首飾りに口づけをする。
彼が戦闘前に必ずする行動だ。
「いつもいつも面倒くさい奴だ」
「オレだってメンドクセーけど戒律厳しいんだからしょーがねえだろ」
「ねぇ、飛段。お祈りの時間も大切だけどそろそろあの人が痺れ切らしちゃうかもよ?」
マナヅルの目線はユギトを捉えている。
これから三人が捕らえるべき相手、罠にかかった可哀想な獲物。
「あんたら、私を追い込んだつもりかい。……そうじゃない。私があんたらを誘い込んだのさ!!」
ユギトが印を結ぶと入り口上部に貼られていた起爆札が爆発して、ガラガラと音を立ててブロックが崩れる。もうもうと煙が広がり、マナヅルはケホッと小さく咳をした。
「あんたらが暁とわかった以上、逃すわけにはいかない!」
「あーぁ、塞がれちまったぜ。角都、マナヅル」
飛段が角都と呼んだ大男とマナヅルに呼びかける。その表情はあまりがっかりしているように見えない。
「問題ない、むしろ好都合」
「大丈夫っ!仕留められるのは私達じゃないもの」
口元に小さく笑みを浮かべるマナヅル。
「雲隠れのユギトの名にかけて殺す!」
「ふふっ、殺すー!だって、バカみたい」
マナヅルが堪えきれずに小さく吹き出す。それから肩を揺らして笑う。強がっているように見えてしまって、面白くてたまらない。
「ハアッ!? 何…その、殺す!とかさ、なんかそういう意気込みみたいなのぶつけられるとさイラっとくるんだよね。…で、イラッとくると頭に血が登ると…」
飛段は早口になりながらそう捲し立てる。
彼は説明があまり得意ではないが、今回ばかりは同意する。
人柱力に殺されるつもりなどマナヅルには毛頭ない。
「うるさい、黙れ飛段。マナヅル、お前はおちょくるな、死ぬぞ」
「はぁい。でも私は死なないよ?あいつじゃ私は殺せないもの」
「はいはい。でもよ、頭に血が登るともう目的なんてどうでもいいや、ブッ壊しちまおうって気になんだよ」
二人は角都の言葉に返事はするが、あまり納得はしていない。目的さえ達成できれば手段は選ばないのだ。
「そうだよ、かぁくず。尾獣を回収できればいいんでしょ?」
「いい加減にしろ、飛段、マナヅル。目的は絶対だ」
「だいたい今回のノルマはオレの宗派には合わねーんだよ。ジャシン教は殺戮がモットー、半殺しはダメだと戒律で決まっている」
ジャシン教は飛段が信仰する宗教で、なにしろ殺戮をモットーにしている危険極まりない宗教だ。その神様であるジャシン様に捧げる供物として、生贄はしっかりと殺さねばならない、らしい。
マナヅルにはさっぱりわからない。ちんぷんかんぷんだ。
「戒律破るような仕事、ハナからやる気にならねーぞ、ホントは」
ここで一旦言葉を切って、飛段はユギトの方に視線を向ける。
「こう見えてオレは信心深いんだぜぇ、というわけで殺さねーのはメンドクセーからここは話し合いで解決しないか?」
「えっ、ちょっと飛段。本当にそれ大丈夫なの!?」
「話し合い、だと?」
飛段はマナヅルの言葉を無視して、ユギトの方を見続けている。怪訝そうな顔を向けていた彼女だったが、飛段の言葉に足元の水が激しく巻き上がっていく。チャクラが放出されていく証だ。
両手を水面についたユギトは身体中から青いチャクラを噴き出した。次第にそれは二本の尾を持つ巨大な猫のような形を取る。
「ふざけるな!!!」
「あれ?ダメみたいだな」
「お前はバカか!」
「二尾出てきちゃったでしょ!!だから大丈夫なのって言ったじゃん、もー!」
マナヅルはクナイを構えて戦闘姿勢に入る。
こうなってしまったら、殺さないように動きを止めてやるしかない。本当に面倒くさいけれど殺してはいけないのだから仕方ない。
飛段が怒らせるから、とマナヅルは心の中で文句をこぼした。
「オイオイ、マジかよ…」
飛段は武器の紐を引っ張り、大鎌を手元に持ってくる。鎌の赤い塗装が不気味に光った。
二尾の猫のような咆哮が響き、びりびりと空気を震わせる。
今すぐにでも食われてしまいそうな雰囲気だ。マナヅルなんか丸呑みされておしまいだろう。
「なんだこの人柱力。完全に尾獣化してやがるぜ」
二尾の前足が角都を目掛けて振り下ろされる。角都はそれを受ける体制を取ったが、押し負けて二尾のチャクラに消えていった。
それを唖然として見ていたマナヅル達は二尾が吐いた炎を避ける。
「やべっ」
「うわっ!!」
天井が崩れて空が見える。暗闇に光が差し込んで少し状況を把握しやすくなった。
「あちっ、こいつ猫舌じゃねーのかよぉ…」
マナヅルを抱き込んだ状態で飛段は二尾の様子を伺う。普段からはありえないくらいに密着していることに彼女は少し落ち着かなくなっていた。
頭の冷静な部分で角都が無事であるかをぼんやりと考えた。
「角都は……無事だよね」
「こいつが生霊といわれる二尾の化け物か…オレ達はまさしく袋の鼠って訳だな…笑えねぇ…」
「……なんとかしないと…」



積み重なったがれきの真ん中、空いている場所に飛段のペンダントと同じ赤い模様が描かれている。その上に横たわっているのは飛段その人で、静かに目を閉じて口から血を流している。一際目立つのは彼の心臓に黒い杭が刺さっていることだった。
目線をやれば壁のように立った状態のがれきに腕を上げた状態で手を貫かれている二位 ユギトの姿があった。息も絶え絶えな彼女の身体には監視するように数匹の白蛇がまとわりついている。
「三十分は経っているぞ、まだか飛段」
角都がそう呼びかけると、顔を上げた飛段が返事をした。
「うるせーよ!儀式の邪魔すんなっ、……イテッ」
自分の胸からズボッと杭を抜くと上半身を起こす。
マナヅルは飛段の儀式には興味がない。それよりもユギトの血でかぴかぴになった髪を早くなんとかしたかった。紫がかった黒く長い髪は彼女の自慢で、よく角都も褒めてくれていたから傷物にはしたくなかった。
「髪の毛、血でベタベタ……飛段やりすぎだよ…」
「うるせえなぁ、お前だって蛇いっぱい使ってたろーが!気持ち悪りぃやつ出しやがって!」
「白蛇達がいなかったら二尾は捕まえられなかったと思うんだけど?」
腕に絡みついておとなしくしている細い白蛇の頭を撫でながらマナヅルは飛段を睨みつける。
真っ白な腕に虹色の光沢を持つ白蛇を侍らせるその様子は非常に絵になる光景だった。神秘の体現ともいえるようなあまりに美しい少女は心底愛おしそうに白蛇の身体を指先で撫でる。
二人のやりとりにイラついたのか角都が一喝した。
「いい加減にしろ、マナヅル。それにしても飛段。毎度毎度その悪趣味な祈り、少しは省略できんのか。さっさと次へ行くぞ」
「オレだってメンドクセーけど戒律なんだから仕方ねえだろ。それに省略ってなんだ、省略って。神への冒涜だぞ!」
角都は地図を見ながら飛段が吠えるのもお構いなしだ。
「オレ達のノルマはあと一匹…しらみつぶしだな」
その地図にはすでに回ってきた国にはばつ印がついていて、まだ行っていない国の中には火の国もあった。
「ねぇ、かぁくず。次はどこへ行くの?」
「次は火の国だ」
「火の国…に、するの?」
「あぁ」
「確かそこってマナヅルが生まれた国だったっけか?」
「……うん、そうだよ」
生まれ育った国へ行くこと。それはもしかしたらもう一人の兄に会えるかもしれないということを考えるとマナヅルの胸はひどくざわついた。
二年前に再会した時に兄にズタボロにされたサスケの姿を思い出して、マナヅルは背筋が寒くなった。