ほどよく温かな陽射しが差し込む縁側で角都は腰掛けながら次の目的地に思いを巡らせていた。どこへ行けば人柱力に出くわせるだろうか、その道中で賞金首を狩れたらもっといい。
ビンゴブックをぺらぺらとめくりながらため息をついた。
そよ、と風が角都の肌を撫でていく。生ぬるさを含んだ感覚にわずかに眉を寄せれば、ぎしりと背後で床板が音を立てる。こちらの気配は慣れ親しんだものであり、アジトにいる時にはだいたい近くにいる。今では彼女の気配がないと少し物足りないとさえ思うようになっていた。
「かぁくず」
甘さを含んだ声と間延びした音で呼ばれる名前。目線を向ければ湯を使ったのかほのかにほおを上気させたマナヅルがいて、浅葱色の浴衣を着ている。
「何だ、湯を使ったのか」
「うん。兄さんと修行して汗かいちゃったからお風呂入ったの」
いつものように角都の背後に回ってむき出しになっている背中にぴったりとくっついてきた。風呂上がりのせいか、しっとりとした肌の感触が伝わってくる。
「ほう、何をしたんだ?」
「今日はね! 兄さんと組手をしてたの。実戦的な動きが出来るようになってきたって褒められちゃった」
嬉しい!と言いたげに声を弾ませるマナヅルを見て角都はふむ、と鼻を鳴らした。多少なりとも前より鍛えていると思ったが、努力が実っているらしい。思わず口元をほころばせていると、不意に彼女がこちらを見上げてきた。大きな黒目は期待に満ちて輝いている。
「ねぇ、かぁくず」
「何だ?」
「今日はこのままくっついててもいい?」
小首を傾げてお伺いを立てるマナヅルに角都は目を通していたビンゴブックページを閉じた。湯上がり特有の温もった身体を遠慮なく預けてくる彼女を背中で受け止める。密着する体、鼻腔をくすぐる石鹸の香りと柔らかい肌の感触、子ども特有の高い体温が布越しに伝わってくる。
「良いだろう」
「ありがとう!かぁくずとくっついてると落ち着くの。心音たくさん聞こえるから」
すり、と角都の背中に耳を押し当ててマナヅルは嬉しそうに笑う。その無邪気な声を聞いて角都は目を細めた。
「オレに向かってそんなことを言う物好きはお前くらいなものだ。物好きというより図々しいと言うべきかもしれんな」
「でもわたし、かぁくずのこと好きだよ?」
「フン、物好きなのは変わらんようだな」
鼻で笑う角都にマナヅルはムッとした。
「もう! わたし、本気で言ってるのに!」
ぷぅとほおを膨らますマナヅルを背中越しに見て、角都はくつくつと笑った。その反応が気に食わなかったのかさらにほおを膨らませた彼女は、そのまま彼の背中に頭突きした。
「おい、マナヅル」
「かぁくずのばか、あほ!」
わめくマナヅルの声に角都は深くため息を零す。本当にやかましい女だと内心毒づくが、不思議と悪い気はしなかった。
ぺちぺちと自分の腰に回されている小さな手を振り解くこともせず好きにさせているあたり、それなりに愛着があるらしい。
他の女ならば即座に振り払い命を奪っているところだが、マナヅルにはそんなことをする気にはなれなかった。
「おい、マナヅル」
「……やだ」
「こっちを向け」
「やだって言ってるでしょ」
あえて不機嫌そうな声で名前を呼べば渋々といった様子で顔を上げてこちらを見ている。
つんとした表情を浮かべる彼女を見て角都は目を細めた。
「そんな顔をするな、別にとって食おうというわけではないだろう」
「……」
「こっちを向け」
促せば渋々ながらこちらに向き直ってくるマナヅルのほおを両手で挟み込む。
「ふぎゅっ」
むぎゅ、と彼女のほおが潰れて変な顔になるのを見て角都はくつくつと笑った。その笑い声にますます不機嫌になっていくマナヅルだったが、彼の大きな手に触れられているのが嬉しいのか、次第に表情をやわらげていく。
「まったく……お前は本当に手がかかるな……」
やれやれといった様子で言うものの、その表情には柔らかいものが混じっている。
「……だって」
ぽつりと呟く彼女に目線で続きを促すと彼女は小さく口を開いた。
「わたし、かぁくずのこと好きだもん」
その言葉に角都は一瞬目を見張り、そしてふっと口元を緩めた。
「ああ、そうか」
そう言って彼女の髪をさらりと撫でるとくすぐったそうに目を細める姿がいじらしい。そんな反応に角都は目を細めながらマナヅルを抱き寄せた。そしてそのまま自分の膝の上に座らせる。膝の上に乗せることはあまりなかった。
帳簿をつけていたり、ビンゴブックを確認している時にじゃれつかれたら邪魔でしかない。だから、マナヅルは背中にくっついていることが多くなっていった。
「……重くない?」
「この程度なら問題ない。むしろもっと食え」
「わたしだって、太ってないよ」
「フン……まぁ、女の身体は男と比べて軽いからな。だが、もう少し肉付きを良くしろ」
ぺたぺたと自分の身体に触れてくるマナヅルにそう言ってやれば彼女はぷくりとほおを膨らませた。そのままくるりと振り返ると角都の膝に乗り上げて彼の身体に自分の小さな身体をすり寄せる。湯上がりでしっとりとした感触が伝わってくると同時に石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。
「……どうした?」
「かぁくずの身体、いつもより冷たいから……わたしがぎゅーってして温めるの」
「そうか」
角都はふっと笑うと彼女の身体を抱き寄せた。
「……ん……あったかいね……」
すり、とほおを摺り寄せてマナヅルは目を細める。その仕草に思わず角都は目を細めた。
「お前は本当に物好きな奴だな」
「もう、またそれ?」
「事実だろう?オレのような男を選ぶなど酔狂にも程がある」
そう言ってやれば彼女はむぅと頬を膨らませる。そしてそのままぐりぐりと角都の胸板に額を押し付けてきた。まるで猫が甘えているような仕草だと思いながら彼は彼女の頭を撫でる。すると彼女は気持ちよさそうに目を細めてもっと撫でてと言うように頭を押しつけてきたので角都はそれに応えてやる。
「かぁくずだから好きなんだもん。一番好きなのはイタチ兄さんだけど、角都のことは大好き。……上手く言えないけど兄さんとは違う方向で好きなの」
「オレとイタチはどう違うんだ?」
「ん……イタチ兄さんはね、わたしのこと大事にしてくれるの。イタチ兄さんのためなら何でも出来るし、肩を並べて戦いたいの。でも、かぁくずのことは違うの。角都はわたしを甘やかさないし優しくしてくれないけど、それでもいいと思ってるの。かぁくずに相応しい女の子になりたいって思うんだよ」
そう言ってマナヅルは角都を見上げた。その瞳には迷いがなくどこまでも真っ直ぐな光が宿っている。そんな彼女を見て角都は小さくため息をついた後、彼女の頭をぽんっと叩いた。そしてそのままぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回す。その行動に驚いたような表情を浮かべたもののすぐに嬉しそうな表情に変わったのを見て彼は小さく笑うのだった。
「お前は……バカだな」
「……そうかもね。でも、本当に好きだよ?かぁくずのこと大好き」
そう言ってマナヅルは角都の首筋に顔を埋めるとすりすりとほおを擦り寄せた。そしてそのまま彼の匂いを堪能するように深く息を吸い込む。そんな彼女の行動を咎めることなく好きにさせていれば不意に彼女が顔を上げたので自然と目が合う形になる。
その瞳には確かな熱が宿っていて、その眼差しに思わずドキリとした自分に角都は舌打ちをしたくなったがぐっと堪えた。
「ねぇ、角都……」
熱っぽい吐息と共に吐き出された言葉に彼は目を細めるだけで応えてやった。するとマナヅルは嬉しそうに微笑むとさらに密着してくる。柔らかい肌の感触に劣情を煽られそうになるが何とか耐えた。
「ふわぁあ……」
二人の間に漂い始めていた甘い空気感をぶち壊すようにマナヅルはあくびをして、目を擦りはじめてしまう。その仕草を見て角都は呆れたようにため息を吐き出した。
「おい、寝るなら布団に行け」
「ん……」
生返事しか返ってこないことに苛立ちを覚えつつもマナヅルの背中を支えてやる。落ちてはことだ。
「んぅ……ん、ごめん。ちょっと休憩させて」
眠そうにあくびをするマナヅルを抱き上げれば素直に身体を預けてきた。その行動に角都は目を細める。
「ん、ありがと……かぁくず」
「ああ……」
そのまま彼女の部屋の布団まで運んでやりゆっくりと下ろすと甘えたようにすり寄ってくる。まるで猫のような仕草に思わず口元を緩めた。
「……やぁだ、角都も一緒にねるの」
「オレはまだ寝んぞ」
眠たげに目を蕩けさせるマナヅルにそう言えば拗ねたような声が聞こえてくる。そんな彼女の頭をぽんっと叩いてやるが、彼女は不満そうな表情を浮かべたままだ。
「……じゃあ、わたしが寝るまでここにいてくれる?」
「フン、仕方のない奴だな……」
角都は呆れたようにため息を吐き出しながらも彼女のとなりに横になった。すると嬉しそうにすり寄ってくるのでそのまま抱きしめてやる。するとすぐに規則的な寝息が聞こえてきたので彼はそっと息を吐いた。
「……まったく」
無防備にもほどがあるだろうと思いつつも、それだけ自分に気を許している証拠でもあると思えば悪い気はしなかった。むしろ優越感すら覚える始末だ。しかしそれは決して口には出さないように気をつけている。
「お前は……本当に物好きな奴だな」
そう言って角都は彼女の頭を優しく撫でた。「ん……」
甘えたように頭を擦り付けてきながらマナヅルはふにゃりと笑う。そんな彼女を見て角都は目を細めるのだった。
「マナヅル」
名前を呼べば彼女は嬉しそうに笑う。その笑顔に胸が締め付けられるような感覚がして、角都は思わず息を呑んだ。そしてそのまま彼女の小さな身体を思わず抱き寄せた。
「……お前は本当に物好きな奴だな……」
そう呟いてから彼はゆっくりと目を閉じるのだった。
(……ああ、そうか……オレはこいつのことを)
自分の腕の中で安心しきった様子で眠っている彼女を見つめながら、角都は自嘲気味に笑った。
この感情の正体を自覚するまで随分とかかってしまったがそれも仕方がないことだろうと思うことにしたのだ。何せ自分はずっと独りだったのだから。誰かを愛したり愛されたりといった経験などなかった。
すべて、それらを運んできたのはマナヅルだったのだから。

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