そよ、と窓から入ってくる風をほおに感じて飛段は目を覚ます。春の気配がしてきて少し経つが、となりでくうくうと寝息を立てているマナヅルを見ればいつも春がそばにいる気がしてくる。
陽射しを受けて白い肌に影を作る長いまつ毛を見て思わずそれに触れそうになった。すんでのところで手を引っ込めて思いとどまる。彼女は自身の片割れの女であることを痛いほど知っているからだ。角都に想いを寄せて、また彼にも思いを寄せられていることは飛段でもわかる。
あれほど穏やかな顔をする角都を飛段は他に知らない。いつもしかめっ面で難しいことを考えている彼の顔を柔らかくするのだから、彼女は春なのだろうと思った。
「ん……」
「…あ」
小さく声を上げれば長いまつ毛が震えて大きな瞳がひかりを映して開かれる。夜空の色にも似たその瞳はつめたさや暗さは一切感じない。やわらかく優しい色合いに飛段の目には写る。
いつの間にかそよ風に吹かれていたら眠ってしまっていたようだった。角都に部屋から追い出された、とマナヅルが来たのが少し前。となりで眠っていたマナヅルの頭がこちらに寄りかかっていたので、飛段はいつの間にか眠ってしまっていた。
「……ごめん、寝てたね」
「ンー、オレも寝てたしよ」
そう言いながら飛段は身体を起こす。マナヅルが来るまで祈りを捧げていたからまだ心臓の位置には傷が残ったままだ。けれど、何も言うことなく彼女もまた身体を起こして乱れた服を直し始める。
任務で一緒になることが多いから乱れた服も髪も見慣れたものだ。だが、その体温が直接腕に触れるたびに飛段は奇妙な気分になる。
「そんなに触りてえならオレの腕に抱きつけよ」
「……抱きつきたいわけじゃ、ないんだけど」
そう言いながらも彼女は飛段の腕に自分のそれを絡める。マナヅルの細い腕が飛段の太い腕を抱きしめると、彼女の心臓の音が直接耳に入ってくるようだった。
どくどくと脈打つそれに、そういえばこいつも人間だったんだな、と当たり前のことを思った。角都や飛段のように人ならざるものではないのだ。
「飛段あったかいね」
「お前がいっつも冷てェんだろうが」
「ふふ、そうかも」
軽口をたたきながらも彼女は飛段の腕を離そうとはしない。心臓の鼓動が皮膚越しに伝わってきて飛段は胸の奥に何かがたまるような気がした。
その何かがなんという名前なのか飛段は知らない。けれどそれは決して悪いものではないと、それだけはわかった。
「今日、何の日か覚えてる?」
「オレの誕生日だろ」
「正解!誕生日おめでとう、飛段」
にこにこと見上げてくる楽しそうなマナヅルの顔は飛段の誕生日にどこか浮かれているようにも見える。
のんきに笑っている彼女を見て髪に指先を差し込んでそっと毛先の方に向けて指をすべらせていく。
頭を撫でたら髪が乱れるだのと文句を言われるかと思っていたが、彼女は文句一つ言わなかった。
その代わり、飛段の手を優しく取るとその手のひらに顔を寄せてきた。柔らかな彼女の肌の感触や体温が直に伝わるのがむず痒い。
「どうしたの、飛段?今日は甘えん坊なの?」
「ハァッ?何でオレがお前に甘えんだよ、マナヅル」
「だって普段の飛段ならこんなこと絶対しないもん!」
くふくふと楽しそうに笑ったマナヅルはお返しと言わんばかりに飛段の髪に指を差し込んで同じように撫でていった。
頭のてっぺんがむずむずするような不思議な感覚だ。けれど、彼女の指に触れられることは嫌ではなかった。
彼女の胸に頭を預けて甘えるように寄りかかればくすくすと柔らかな笑い声が聞こえてくる。
甘えたくないわけではないのだ。角都や飛段に頼られることをマナヅルも喜んでくれていることも知っている。
ただ、どうしたらいいのかわからないから自分からは行動に移せないだけで、それをわかっているのかいないのかはわからないがこうして彼女は向こうから歩み寄ってきてくれる。それが心地良いと感じる自分がいるのも事実だった。
自分の胸の中があたたかいもので満ちていくのを感じて飛段は戸惑った。自分の中でどう処理したらいいかわからない感覚だ。
「お前が誕生日祝ってくれんだろ。ならいいじゃねーか」
「えぇ、他におめでとうって言われた人いる?」
「角都には言われたぜェ、あとはデイダラちゃんとか」
あぁ、そういえばデイダラとかからなんか手紙来てたな、と飛段はふと思い出す。なんだか照れくさいので読まずに捨ててしまったけれど。
「デイダラから?意外だなぁ」
感心したようにマナヅルは目を丸くしてみせた。元々子どもっぽい表情をするが、驚いた時の顔はもっと子どもっぽく見える気がする。
その反応が面白くて飛段はつい吹き出してしまった。びっくりした顔のマナヅルも好きなのだから、まったく自分は恋に溺れきっているなと実感する。
そう考えたらやはり彼女は他の女達とは別なのだと思う。誰にも抱いたことのない感情を飛段は彼女に向けている。
「そういえばデイダラから手紙きてたよね?なんて書いてあったのー?お誕生日おめでとうって?」
「は、ハァッ!?ンなもん捨てたに決まってんだろ!!」
「わっ」
思わず大声を出してしまうとマナヅルもつられてまた驚いた声を上げた。なぜそんな大声を出したのか自分でもわからないがなんとなく気まずくて飛段は彼女から顔を背ける。
「そ、そっかぁ……」
マナヅルはどこか残念そうな声を漏らす。その声色に飛段はなんだか胸がざわつくような心地になった。
「わたし、まだプレゼントあげてなかったね!」
「……そういやそうだなァ」
彼女の言葉に飛段も思い出す。確かに誕生日だからと彼女は言っていたはずだ。けれど、飛段はまだ彼女に何も渡されていなかった。
「何が欲しい?何でもいいよ、賞金首でも生贄でも何で持って来てあげる!」
無邪気にそれでいて残酷に笑うマナヅルに飛段は少し考えていたが、特に何も浮かばなかった。生贄は数日前に捧げたばかりで、祈りも先ほど終わった。空腹でもないし昼寝から起きたばかりで眠たくもない。
欲しいものは特になかった。
「んー特にねェな」
「えぇ、ないの?」
不満そうにマナヅルが唇を尖らせる。その仕草に飛段はまた胸がざわつくような心地になった。彼女の一挙手一投足が気になって仕方がないのだ。
「じゃあー……あ!そうだ!」
何かを思いついたようにマナヅルは声を上げると、にんまりと笑った。良くない笑い方だ。何か悪いことを考えているような気がしたが、蠱惑的に揺れる黒い瞳から目が離せなくなっている。
「プレゼントはわ・た・しとかでもいいの?」
「ハァッ!?」
飛段が思わず大声を出すと、マナヅルはまた驚いたのか目をまん丸にしてこちらを見上げていた。
その反応に自分が何を言ったかを理解して飛段も顔を赤くする。なんて恥ずかしいことを言ったんだ。いや、でもこれは冗談だ。そうに決まってる!と自分に言い聞かせるが心臓の音がうるさいくらいに高鳴っていた。
「あ……え、っと……」
マナヅルもまたほおを赤く染めて視線をさまよわせている。その様子を見て飛段はさらに顔が熱くなるような気がした。
彼女はしばらく俯いていたがやがて意を決したように顔を上げる。その瞳には何かを決意したような色が浮かんでいて、それがますます飛段を惹きつける。
「本当にわたしでもいいよ。今日は非番だから少しなら無理しても平気だよ、それに……」
言いながらマナヅルは飛段の身体に寄りかかるように身体をよせた。彼女の身体は柔らかく、そしてあたたかくて甘い匂いがした。ふわりと鼻腔をくすぐるそれに頭がくらくらしそうになる。
「今日なら何しても平気だもん」
蠱惑的な笑みを浮かべた彼女はそう言ってまた笑ったのだった。
「殺さなければ何してもいいよ」
小悪魔の囁きに飛段は耐え切れなくなって、両手で彼女の顔を掴むと桜の花びらのような唇を奪った。

Fin.

back / next