あれは悪夢だ。間違いなく現実味を帯びた恐ろしいもの。
夜半、汗だくになってイタチは目を覚ました。自分が手をかけたうちは一族の人間に追いかけられて、自身の目を抉り出さんと襲いかかってくる。その中には両親の姿もあって、罪悪感に押しつぶされるままにイタチは目を差し出すしかない。抵抗できるはずがないのだ。自分はダンゾウに言われるがまま弟を助けるために一族もろとも手にかけたのだから。
汗で顔に張り付いた髪を払ってため息をつく。今になってこんな夢を見てしまうのはなぜなのか。もう済んだこと、他人の命を奪うことにも慣れてしまったというのに。
「イタチ兄さん?」
焚き火のそばからかけられた声にイタチはその声の主を見やる。血の繋がった妹のマナヅルだ。
彼女が今回の任務に同行しているからあの夢を見たのかもしれない。いつもならば鬼鮫だけのはずのこのツーマンセルに彼女がいるから。
マナヅルはイタチが懇願して逃がしたわけでも、自分から逃げたわけでもなかった。イタチと並べるくらいに強くありたいと願って仮面の男に着いてきて暁に入ったのだった。だから、こちら側の世界に足を踏み入れたのはマナヅルの方が少し早い。だが、当時のイタチは妹が死んだものだとばかり思っていたから、再会した時は驚いたものだ。むしろ、誰かの手にかかって死んでいた方がマシだと思ってしまったほどにこの世界は残酷で惨たらしい。弱肉強食のこの世界でマナヅルは実力を身につけていた。本来ならば足を踏み入れるべきではないこちら側での惨たらしいやり方で。
マナヅルは防衛反応というべきか必要とあれば人の命を奪い、体を差し出すことさえ覚えた。たとえそれが嫌いな相手であったり、脂ぎった肥満体の男、果てには女だとしても。それでも成果を上げるまでになっている。
「どうしたの、兄さん。怖い夢でも見たの?」
「いや、大丈夫だ」
心配そうな声をかけてくる妹にイタチは返事をしてから再び横になろうとしたが、火が消え掛かっていることもあり立ち上がった。眠っている鬼鮫が寒くなってはいけない。薪を集めてくると言えば、マナヅルは柳眉を逆立ててわたしが行くよと言った。こう言うところは頑固で自分でやりたがるところはサスケによく似ている。
「イタチ兄さんはまだ休んでて。さっきの戦闘でチャクラを使い過ぎたでしょ」
そう言って森の奥に向かっていく彼女に気をつけるように声をかけようとしたところで寝ていたはずの鬼鮫がむくりと起き上がり、彼女の背中を見送っていることに気づいた。
「マナヅルも成長しましたね」
「……そうだな」
乱れた髪を直しながらイタチは短く答える。確かにマナヅルは成長した。イタチが望んだ方にではなく恐れていた方に。ひかりの当たる道を歩いてほしかったが彼女は闇に染まり、すっかり暁の男達に混じって活動することを覚えた彼女はひかりの当たらない道へ歩いて行ってしまった。可能ならば今すぐにでも連れ戻したいが、それはもう不可能なことであることもわかっている。闇に進みすぎた者は日の元にさらされることで焼かれてしまうこともあるから。
マナヅルはあまりにも無垢で何も知らなすぎた。だからこそ簡単に闇に染まってしまったのだ。
うちは一族が迫害されていた頃から友人らしい友人もおらずに、関わるといえば家族と口寄せ動物の白蛇達のみ。暁を家族と呼ぶまでに時間はそうかからなかった。
中でも行動を共にし忍術に関する基礎を師事した角都には好意を寄せていたことを知っている。だが、それでもマナヅルはマナヅルだった。うちは一族であることに誇りを持ち、惜しみなく写輪眼を使用した。いずれ視界を失うことを知っていても、彼女は家族と呼ぶ暁を守るためならば容赦はしない。血の涙を流して反動による頭痛に苦しみながらも最終的には敵の首を切り落とした。
「イタチさん、ご自身のことはいつ伝えるつもりなんですか?あそこまであなたを慕っているマナヅルに真実を伝えないままなのは少し酷な気がしますが……」
「伝えるつもりはない。マナヅルは何も知らないままでいいんだ」
イタチは自身の体調や病気のことは言うつもりはなかった。最期の時まで彼女には穏やかであってほしいと思っているから。
鬼鮫が言わんとしていることはわかる。だが、伝えたところでイタチの病状が良くなることはなく、余計な心配をかけてしまうだけだとわかっているからこそ言いたくないのだ。たとえそれが残酷なことだとしても。
サスケには憎悪を植えつけた代わりにマナヅルには愛情を与えてやりたい。本来ならば、両親と共に奪うはずだった命だ。せめて健やかにいてほしいから。
イタチは森の奥から戻ってきた妹の姿を認めて目を細めた。腕いっぱいに乾燥した枝を抱えて、満面の笑みを浮かべながらマナヅルはこちらへ歩いてくる。
「兄さん、枝たくさんあったよ!」
「これでしばらくは持ちますねえ」
鬼鮫の言葉にマナヅルは頷いて少しずつ枝を焚き火に足していく。ご機嫌な様子の彼女を見ながらイタチは口元に穏やかな笑みを浮かべる。こうして見ると年相応の少女に見えるのだから不思議だ。
(オレが死ぬ時はどうなるんだろうな)
ふとそんなことを思う。まだ先のことだとは思うが、もし自分が死んだとしたら残されたマナヅルはどうなってしまうのだろうか。自分を追ってしまうのではないかと思うと胸が痛む。
「……兄さん?」
いつの間にかこちらを見ていたマナヅルと目が合って、慌てて取り繕うような言葉を口にした。
「いや、それより寒くないか?」
「ちょっと寒いかも……風も冷たくなってきたから」
そう尋ねるとマナヅルは少し考えてから頷いた。確かに寒いかもしれない。特に指先が冷える気がする。焚き火にあたっているはずなのに。
「焚き火にあたると体が温まるからな……もう少し火に当たるといい」
イタチがそう言うと、マナヅルは素直に従って火の近くに腰を下ろした。その様子を見てイタチは小さく笑う。
(やはり子どもだな……)
しばらく三人で火の番をして時間を潰すことにした。途中で交代をしながら、夜が更けるまで待つことにする。そして、深夜になると交代で眠ることになったのだが、最初に見張りをする者は眠らない方がいいだろうということでイタチがその役を買って出た。
だが、マナヅルはそれを遮り自分が変わると言い出す。その表情は不安げでどこか危うささえ感じる。
「兄さんは少し休んでおいた方がいいよ。見張りはわたしがするから、二人は休んでて」
「しかし……」
言いかけたところで隣から腕を掴まれて口を噤む。見れば鬼鮫が首を横に振っていて、どうやら今は任せておけということらしい。仕方なく頷くと、彼はマナヅルに向き直った。
「では、お願いしましょうかね」
その言葉にマナヅルは安心したように笑って頷く。それからすぐに上着を敷いて横になると鬼鮫は目を閉じた。
それを見てからマナヅルは兄を見る。兄はいつものように無表情でいたが、どことなく元気がないように見えた。心配になって顔を覗き込めば額を小突かれてしまったので、それ以上は何も言えなくなってしまう。
兄のことは信じているけれど、無理をしがちな人だから心配なのだ。そう思いながら膝を抱えていると、となりに座った兄に頭を撫でられた。まるで猫でも撫でるかのような優しい手つきに目を細める。
「イタチ兄さん、休まなくていいの?」
「オレは平気だ」
そう言うなり、また視線を逸らされてしまったので、これ以上追及するのはやめておくことにした。本当はちゃんと休んでほしいのだけれど、きっと何を言っても無駄だろうから。それならせめて自分にできることをしようと思う。少しでも役に立てるように頑張ろうと思いながら空を見上げれば星空が広がっているのが見えた。
「……わたしね、本当は自分が弱いことは知ってるの」
唐突に話し始めたマナヅルの言葉を、イタチは黙って聞いている。
「でもね、イタチ兄さんとかぁくずがいるから強くなれるんだよ」
そう言って微笑む彼女の表情は晴れやかだった。その言葉が本心であることは明白であり、彼女が自分の弱さを認めているということが何よりも嬉しかった。
「そうか……」
イタチはそれだけ言ってマナヅルの頭を撫でる。その手付きはとても優しくて温かい。マナヅルは気持ち良さそうに目を細めながら身を委ねていた。そんな彼女を見ていると愛おしさがこみ上げてくる。
「お前は……強くなったな」
「うん、ありがと……」
照れくさそうに笑った後、マナヅルは甘えるように抱きついてきた。それを受け止めつつ背中を撫でてやると、彼女は気持ちよさそうな声を漏らす。
「兄さん、好き、大好きだよ……」
耳元で囁かれた言葉にドキッとする。それは家族としての愛情だとわかっていても嬉しいと思ってしまう自分がいることに気づいて、内心苦笑した。
我ながら単純だと思うが仕方ないとも思う。それほどまでに自分はこの少女を愛しているのだから。兄としてできることは精一杯やってきたつもりだから。
「ああ」
そう答えると嬉しそうに微笑んで、更にぎゅっと抱きついてくる。そんな様子に苦笑しながら、彼女の体を引き離すと不満そうな表情を向けられた。
「今日はもう休んだ方がいい。見張りはオレがやる」
「……うん、わかった」
マナヅルは渋々といった様子で頷き、その場に横になった。程なくして小さな寝息が聞こえてくる。余程疲れていたのだろう。無理もないことだ。続く連戦に加えて人柱力の捕獲、舞い込んでくる任務もこなす必要があるのだ。疲労が蓄積していても不思議ではない。
「マナヅルは頑張りすぎなんですよ」
やりとりを聞いていたらしい鬼鮫はため息をついてからマナヅルの方を見る。穏やかな寝息を立てる姿はまだ何も知らない無垢な少女そのものだ。だが、ひとたび戦闘となれば冷酷な一面を見せることもある。任務遂行のためには手段を選ばない一面もある。だからこそ、鬼鮫は彼女を信頼していたし、共に行動することに異論はなかった。
「まあ、それがマナヅルの良いところでもあるんですがね」
鬼鮫は独り言のように呟いて、再び焚き火へと視線を向ける。パチパチと音を立てて燃える炎を見つめながら、彼は物思いに耽っていた。
「……鬼鮫はマナヅルと行動することに異論はないのか」
ふと、イタチが口を開く。その視線は焚き火に向けられたままだったが、意識はこちらへ向いているようだった。鬼鮫はそれに気づいて小さく笑みを浮かべる。
「ありませんよ。マナヅルの実力はイタチさんも認めるほどですからね」
迷うことなく即答すると、イタチは僅かに驚いたような反応を見せた。まさか即座に答えられるとは思っていなかったようだ。そんな彼の反応を見て、鬼鮫は苦笑する。
「それを除いてもマナヅルは暁では稀有な存在ですから」
確かに他のメンバーに比べれば年齢的にも幼い部類に入るだろうが、それでも実力はある方だと鬼鮫は思う。少なくともその辺の抜け忍など足元に及ばないと考えているくらいだ。それに互いに憎み合い隙あらば殺さんとする暁の中で穏やかに接することが出来るマナヅルは貴重なのだ。
「そうか……お前がそう言うのなら間違いないだろうな」
イタチは小さく頷いてから納得した様子を見せた。そしておもむろに立ち上がると、眠るマナヅルの傍らに腰を下ろす。それから優しく髪を撫で始めたのを見て、思わず笑みがこぼれた。
彼もまた人の子なのだ、と。普段は冷静な態度を保っているものの、やはり妹のことになると話は別なのだろう。
「やはりマナヅルのことは大切なんですね」
何気なく口にした言葉だったのだが、イタチの表情が一瞬強張ったのを見逃さなかった。
「どういう意味だ?」
「いえ、深い意味はありませんよ」
「……そうか」
どこか含みのある言い方だったが、それ以上追求する気は無いらしい。イタチは再びマナヅルの方に視線を戻す。その表情は先程までとは違って穏やかだった。
甘えん坊で無邪気。それでいて遊女さえ裸足で逃げ出すような色香をまとったくノ一。暁の中では珍しくそれなりに上手く渡っていっていると思う。
誰よりもイタチを慕いながらも、あの角都さえ絆してしまった末恐ろしい女だと鬼鮫は評価している。ただ単純に強いだけではなく、男を惑わす術にも長けているのだということは明らかだった。
「イタチさんも人の子なんですね」
「……どういう意味だ?」
「そういうことですよ」
鬼鮫はマナヅルを見つめるイタチの表情がサスケに向けるものよりも穏やかで柔らかなことを知っている。それは彼が心から妹を愛していることの証明でもあった。
「イタチさん、もうすぐお誕生日ですね」
鬼鮫の呟いた言葉は船を漕ぎ始めたイタチには届いていなかった。

イタチさん、お誕生日おめでとう。

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