「兄さんの寝てる顔、久しぶりに見た……」
壁にもたれて目を閉じているイタチを見てマナヅルは眉をきゅっと寄せた。以前に会った時よりもやつれたように見える顔は疲労の色が濃く、顔に落ちる影も濃い。
あたりには動物や人間の気配はなく、静かな時間が流れている。交戦後、怪我をしたマナヅルはイタチと共に身を隠せる小さな洞窟に身を寄せた。
足からの出血があり、長距離の移動は厳しそうだ。
二人は鬼鮫が戻ってくるまでは出ることが出来ない。
角都のことはもちろん大好きだけれど、彼よりもイタチのことは大切だ。守られてばかりでどうしようもないくらいに優しいイタチ。
強いけれど同時に弱い。いつだってもう一人の兄のサスケや自分のことを考えてくれていることは知っている。だからこそ、休める時に休んで欲しいのだ。イタチの横に座ってそっと彼の手を握る。血まみれの手から伝わる温もりはいつも通り優しく温かい。この手がたくさんの命を奪ってきたなんてとても思えないほどに穏やかだった。
しばらくすると握っていた手に力がこめられたような気がして目を開ける。イタチはまだ眠っているようだったが、その表情は先程より和らいでいるように見えた。
「……兄さん、まだ休んでて大丈夫だよ。鬼鮫は戻ってきてないから」
「そうか……お前は休まなくていいのか」
「わたしは鬼鮫が戻ってきてからにするよ。兄さんが休む方が大事だもの」
イタチの言葉を聞いてマナヅルは首を横に振った。確かに自分は疲れているが、イタチの方がずっと疲れているはずだ。
「それなら一緒にいる方がいいだろう? ……座っているだけでも少し違う」
イタチは口元を緩めて微笑んだ。そんな風に言われてしまうと断れないではないか。それに、今は一人でいたくなかったのもある。
「……うん」
「ああ、もちろん」
イタチの隣に座って、彼の肩に頭を預ける。彼は拒むことなく受け入れてくれた。温かく心地よいイタチの体温はマナヅルを癒してくれる。
普段は戦いに明け暮れて尾獣を探して、割り当てられた任務をこなす。それだけを繰り返してきた。たまにはこうして何もせずにただ隣にいる時間があっても良いのではないかと思う。
(でも、やっぱりこうしているだけじゃダメなんだよね)
わたしがもっと強くなれば、イタチ兄さんの負担を減らすことが出来るのかな。
そう思うけど、どうすればいいのか分からない。今のままではイタチの足手まといにしかならないのだ。
里のために、そして何よりも大好きな兄を守るために強くなりたいと思っているけれど、なかなか上手くいかないものだ。
それでも、イタチと一緒に居られる時間は幸せだと思う。この時間がいつまでも続けばいいのにと思ってしまうくらいに。
「……怪我の具合はどうですか、マナヅル」
「痛みは大丈夫、でもまだ出血が止まらないの」
イタチは心配そうな表情を浮かべていた。マナヅルは彼の膝の上に頭を乗せて横になっていた。血が流れ出る感覚はあるし、身体を動かすと痛いし、正直言って結構しんどい状況だ。だけど、ここで弱音を吐いている場合ではない。早く治してまた戦えるようにならなければ。
「使えそうな薬草を摘んできましたから、まずは止血を」
イタチは布を裂いて包帯代わりにすると、傷口に巻いていく。かなり深い傷だ、完治するには時間がかかりそうだ。
「ごめんね、イタチ兄さん……」
「気にするな。それより、あまり動くと体力を消耗してしまうぞ。このままじっとしていろ」
イタチはマナヅルの髪を撫でながら優しく声をかけた。彼の優しさに甘えてしまいそうになる。だけど、このままではいけないことも分かっている。暁のメンバーになってからというもの、自分はイタチに頼りっぱなしだ。角都や飛段とも戦ったことがあるとはいえ、戦闘の経験は少ない。
イタチは自分よりも遥かに多くの修羅場を潜り抜けてきているはずなのだ。
イタチの役に立ちたい、彼に守られているだけではなくて守り合いたいと心の底から思った。
「……このまま今日はここで過ごすしかないな」
「ごめんなさい……わたしがヘマしちゃったから」
「少しはゆっくり休め」
イタチは目を細めて笑みを見せる。その笑顔にマナヅルは胸が高鳴った。
こんな風に二人で寄り添って穏やかな時間を過ごせる日が来るなんて思わなかった。
「……ありがとう、兄さん」
「ああ、おやすみ」
そう言うとマナヅルはゆっくりとまぶたを閉じる。イタチはその様子を見届けると小さく息をついた。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえてくる。
イタチはマナヅルの額に手を当てると熱がないことを確認する。やはり出血のせいか顔色が悪い。
無理もない、あれだけの怪我を負ったのだ。しばらくは安静にしておいた方が良いだろう。
「……イタチさんはまだご自身のことをマナヅルに黙っているのですか」
鬼鮫にそう問いかけられてイタチは緩んでいたほおを引き締めて、いつもの無表情を作る。それからゆるりと首を横に振った。
「いや、話すつもりだ。だが、もう少し経ってからだ。今のマナヅルは精神的に不安定な状態だからな」
「……まだサソリの死を引きずっているのですね」
「そうだ。あの時のことを思い出すたびに泣き出す始末だ。落ち着くまではまだ時間がかかるだろう」
「それは……仕方ないでしょうね。まだマナヅルは精神的に未熟で多感な時期ですから」
鬼鮫の言葉を聞いてイタチは顔を曇らせる。
幼い少女にはあまりにも残酷すぎる出来事だった。
故郷の忍の手による仲間の死。尾獣の封印によるチャクラの消耗もあってか精神的に脆くなっている部分があるのは確かだ。
イタチは唇を噛みしめたまま何も言わなかった。
そんなイタチの様子を見て、鬼鮫は困ったような表情を浮かべる。
普段から冷静沈着で滅多に感情を表さないイタチが、ここまで思いつめている姿を見たことがなかった。
「マナヅルが落ち着いてからの方が良いですね」
鬼鮫は静かに呟いた。
イタチはマナヅルに対して負い目を感じている。自分だけが落ちればよかったはずの闇へ連れてきてしまった。
何も知らず無垢なまま生きていくこともできたはずなのに、妹は闇からの誘いに乗ってしまったから。だからこそ、彼女の前ではいつも通り振る舞っているのだ。
イタチは眠っているマナヅルを見下ろして目元を和らげる。
守らねばなるまい、たった二人の弟妹だ。己の手を紅に染めてまで守り抜いたのだから。
「……にいさん、ごめんなさい」
寝言でマナヅルが呟くのはイタチへの謝罪。イタチは眉間にしわを寄せて、苦々しい表情をする。
イタチはそっと手を伸ばして、眠っているマナヅルの頭を撫でる。
「お前が謝ることは何もない」
お前は悪くない、そう言ってやりたかった。
マナヅルは巻き込まれただけだ。
何も背負う必要はない。闇を背負うのは自分だけでいい。
「……お前が無事ならばそれでいいんだ」
イタチはマナヅルの頭を撫でながらそう言った。
この先、自分がどんなに血に染まろうとも彼女だけは守ろうと思った。
それが自分のエゴだと分かっていても。
そうすることしか出来ないから。
どうかお前は、そのまま綺麗に育ってくれ。
兄の分まで幸せになってくれ。
マナヅルとサスケが笑って生きていけるように、二人の幸せだけを祈っているから。
お前達は幸せになるべき存在なんだ。
だから、その命尽きるまで健やかに。
どうか、いつまでも幸せに。
この願いは、祈りは、 いつか届くだろうか。

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