「幸せは難しいですね、マナヅル」
「幸せ? ……うん、たしかに難しいね」
「マナヅルは幸せとはなんだと思いますか?」
尾獣を求める旅の傍ら、鬼鮫、イタチと合流したマナヅルは宿を取った。イタチが買い物に行くというのを見送ったマナヅルは二人の部屋に入り、鬼鮫と話をしている。
いろりを囲んで酒を飲む鬼鮫は心なしか上機嫌でいつもよりも口が回る。
未成年で酒が飲めないマナヅルは鬼鮫の隣に座り、ほうじ茶を飲む。湯上がりでほんのり赤らんだ肌はあまり精神衛生上よろしくない。その先を想像してしまうほどに危うい美しさを兼ね備えている。各国の大名がこぞって欲しがるのも頷ける美しさであり、また危うい美貌だ。
「幸せかぁ……無病息災、健康でいられることかな」
「年寄りのような考え方をしますね。角都の影響でも受けましたか?」
「ふふっ、どうかなぁ。だって健康じゃなかったら満足に戦えないし、みんなと一緒にいられないもの」
マナヅルの答えに鬼鮫は暁が彼女にとっての居場所になっているという話を思い出す。幼くしてイタチのために里を離れた哀れな子ども。そして、長く生まれていなかったうちは一族に伝わる“白蛇の娘”
そうであっても、里で受けたという仕打ちがマナヅルの性格形成に強い影響を与えたというのは事実のようだった。たとえ自分の部下であっても仲間を侮辱すれば全力を持ってして制圧し、機嫌が悪ければその命さえ奪いかねない凶暴性。なによりもイタチを案じ命に換えても守りたいという言葉。
「鬼鮫の幸せって何?」
「私の幸せはイタチさんといることですよ」
「え、それはダメ!兄さんは私の兄さんだもの!!」
冗談めかして言えばマナヅルは柳眉をつりあげて怒る。イタチのことになると普段より言動が幼く感じるのは妹として彼に甘えているからなのか、それとも単に共にありたいと独占したいと思っているからなのか。鬼鮫には判別がつかない。
各国から欲しがられ、多額の懸賞金がかけられているマナヅルだが本人は大名たちの慰み者になるつもりは一切ないらしい。ただイタチと、ひいては暁の仲間たちといたいだけなのだと鬼鮫はなんとはなしに知っている。
イタチと同じ仲間殺しの罪を負う鬼鮫にさえマナヅルは同じ笑みを向けてくれるのだから、まだ彼女は世界の醜さを知らない。その醜さを知ってもなお、同じ笑顔を向けてくれると言うのだろうか。
「鬼鮫、私はねイタチ兄さんとか角都たちといられれば何にもいらないの。そのためなら私はどんな罪も犯すし、誰だって殺してみせる。それくらいみんなのことが大好きなんだよ」
「……あなたは本当に変わった人ですねぇ。あの角都が受け入れたというのですから本当に……」
鬼鮫の脳裏に浮かぶのは暁のサイフ役を担う男だ。ゾンビのような男だと思っているが、あの男が目の前の少女を受け入れたのだから本当に人生何が起こるかわからない。
「犯罪者集団を大好きだと言うのはおそらくあなただけですよ」
「ふふっ、だと思う。私もそう思うもの」
鬼鮫はお猪口に酒を注ぎ足しながら、目の前の少女を観察する。絶世の美少女と呼ぶにふさわしい美貌。射干玉の髪は夜の帷を思わせ、よく手入れがされていることが男の目にもわかる。黒曜石を思わせる瞳は黒く、長いまつげに縁取られている。幼さの残る話し方や桃色の薄氷のような声は聴くものを魅了し、彼女のためならばなんでもすると意気込む。
他の女には一切興味を示さない角都が懐に入れたというのだからその美貌や声は折り紙付きと言っていい。
全てを望めば手に入るような容貌をしているのに、望むことが無病息災とは本当に変わっている。
「マナヅル、酌を」
「うんっ!」
お猪口を差し出せばマナヅルは勝手がわかっているように熱燗を傾ける。普段ならば鬼鮫は滅多に酌はさせない。近くにはイタチの目があるからだ。
態度や言葉には出さないものの彼もまた妹を大事に思っていることを知っているから、鬼鮫は彼女に手を出すような真似はしない。ただ、彼の目がない時はこうして度々酌をねだる。
各国の大名や金持ちが大金を積み上げて欲しがる美少女を侍らせながら、ただ会話をするというのはいささか味気がない。
そういえば、今日は新月だったか。ふと窓の外に視線をやれば星一つない空が広がっている。
「おや、帰ってきましたね」
「そうだね」
軽やかな足音が聞こえ、ふすまがひらけばマナヅルが待ち焦がれていた人物が寒さで紅潮した顔をして立っている。
「お帰りなさい、イタチ兄さん!」
「あぁ」
ふわっと笑みを浮かべたイタチはマナヅルの頭をひと撫でする。外の空気で冷やされた手が頭皮に伝わる。
「外は冷えていましたか、イタチさん」
「あぁ……悪いが少し休む」
ふらりと部屋の奥に姿を消したイタチを見送ったマナヅルの表情は悲しげで、鬼鮫は一口酒を煽る。他の誰のことでもない、イタチのことになると自分のことなんてそっちのけで気にしてしまうのがマナヅルという女なのだ。
きっとイタチが儚くなれば、自ら冥府へ旅立つような女なのだ。愛情深くどこまでも兄のためならば己を犠牲にできるマナヅルならば。
「……兄さん、最近横になってること増えた気がするの」
「離れていても兄妹というわけですね、さすが」
「鬼鮫から見ても、そう?」
不安げに湯呑み茶碗から顔を上げたマナヅルは眉を寄せている。やはり、この兄妹は離れていてもお互いを思い合っているのか、と鬼鮫は思う。
腐っても離れていても血は繋がっているということか。
「イタチさんの状態は思わしくないと思います。……ご本人はあなたには知られたくないとは思いますが」
「……何となくわかるの。兄さんの顔色良くないから」
「仲良いですからねぇ」
絆の深いこの兄妹を何とかしたいと鬼鮫は思っている。彼の病と日々送られてくる任務の山がそれらを考える余裕を無くさせる。責めて病に苦しむイタチを何とかしたいとは思うのだ。しかし、現状は薬を飲んで症状を遅らせることが手一杯だ。
優れた医者にでも見せない限り完治は難しいのだろう。そうなれば、マナヅルは悲しむだろうか。
お猪口の中身をからにして鬼鮫は己の隣に座る娘を見る。まだ半分も生きておらず、生きる喜びなど知らぬうちに犯罪者に身を落とした哀れな娘。しかし、兄を慕うその姿は無垢そのものだ。
「鬼鮫?」
「なんでもありませんよ」
黙りこくった鬼鮫を不審に思ったのかマナヅルに名を呼ばれる。ただ己を指し示す言葉というだけなのに、名前を呼ばれるだけで不思議と穏やかになれる。
イタチの血縁者ゆえか、それともマナヅルがまとう雰囲気のおかげなのか。
「明日はどこのツーマンセルとですか」
「デイダラ達とだよ。遺跡を壊しに行くの」
「またデイダラの芸術を見に行くんですね」
「いつも思うんだけど、爆発って芸術なの?私にはどう見てもただの爆発にしか見えないんだけど……」
退屈そうにあくびをしたマナヅルは眠たそうに目を擦る。時計を見れば普段ならばもう寝ているであろう時間だ。
デイダラ達とはどうであれ、マナヅルはもう休んで明日の仕事に備えねばなるまい。鬼鮫もまた明日も戦いに赴く身だ。
「さぁ、少し休みますよ」
「うん……眠くなってきた……」
のそのそと立ち上がったマナヅルはイタチが休む布団の隣に向かう。そして、胎児のように丸くなって横になった。まもなく寝息が聞こえてきたからよほど疲れていたのだろう。
鬼鮫も早めに休むことにして、兄妹が眠る横に布団を敷いた。

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