ぼんやりとしていたら白み始めた空が見えて、マナヅルはあ、と声を上げる。弱くなってきた焚き火に薪を足して、あくびを一つ。
近くで寝息を立てている角都と飛段はまだ起きそうにない。とはいえ、角都は少し物音を立てれば起きてしまうだろう。
辺りには朝の空気が立ち込めてきて、枯葉の匂いが強くなっていく。朝がやって来ようとしているこの瞬間がマナヅルは好きだった。新しい日差しに抱かれるこの瞬間が一番生きている感覚があるから。
冷たくかじかんだ手に息を吐きかけて温めようとするけれど、温めた瞬間から冷たい空気が冷やしていくから無駄な努力に終わった。それでも、焚き火で手を温めようと手をかざす。
長く抜け忍をしているけれど、冬が近づいてくる感覚には慣れない。きっとこの先も慣れることはないのだろう。何年経っても寒さは苦しく、冷え込んだ夜は寂しい。誰かにそばにいて欲しくなる。
ぶるり、と肩を震わせて息を吐く。
新しい一日の始まりはなんとなくわくわくするような、怖いような不思議な感覚になる。
「飛段、ねえ飛段ってば」
「ん何だよォ…」
「そろそろ朝だよ。かぁくすが起きる前にご飯の準備するから見張りを変わって欲しいの」
飛段をゆさゆさと揺さぶり起こして、マナヅルは暁の衣に袖を通す。これからの森は食料になるものが減ってくる。冷え込んできているのもあるけれど、野生の動物達が食べる分も考えなければならないから。
まだぽやぽやと夢と現実の合間を行き来している飛段にお願いね、と告げてからマナヅルはその場を離れる。角都が起きてすぐに朝食を食べられるようにマナヅルは出来るだけ寝ずの番を買って出た日は用意をする。
秋が深まった森の中は清廉な空気で満たされていて、小動物さえかさこそと音を立てるのに何一つ聞こえない。茶色と赤に満たされた森はこれから訪れる長く寒い冬に向けて支度をしている最中だ。
それらにふと木ノ葉隠れの里を思い出した。もう帰ることはない故郷の匂いに近いものを感じてしまったのだ。
深い枯葉の匂いが鼻をくすぐる。柔らかな緑の匂いに満たされた家の近くの森の中をよくサスケと駆け抜けたことを思い出したのだ。
修行というよりはマナヅルは兄達といられることが嬉しくてたまらなかっただけだったけれど。あの頃のマナヅルは無知で未熟で全てを知るには幼すぎた。一族が滅んだあの日、何があったのかはまだ何も知らない。イタチは何も語ろうとはしないから、話してくれるまでマナヅルは待つつもりでいた。
結果的に守られなかったうちは一族と守られた木ノ葉の忍達の命を天秤にかけたとして、どちらに傾くかなんてマナヅルにだってわかる。けれど、命の重さというのは平等なのではないかと思ってしまうのだ。
抜け忍として里から離れた今でもマナヅルはこうして時折故郷を思う。もし、あのまま平和な時間が過ぎていたらどんな人生を送っていただろうか、と。
「……あり得ないこと、考えても仕方ないよね」
首を左右に振って考えを振り払う。食べられそうな木の実とウサギを数羽狩る。
来た道を戻りながら角都と飛段がいる焚き火の場所まで戻る。またその最中に物思いに沈んだ。
飛段はぼんやりと焚き火を眺め、物憂げな表情を浮かべていた。普段あまり飛段が浮かべないような顔に思わず足を止めてしまい、マナヅルはその様子を観察してしまう。
極楽から遣わされた若い神様みたい。
そんなことを思ってしまうほど、朝焼けに抱かれた飛段は神々しかった。銀髪と白い肌が今にも解けていきそうなほどに儚くて、普段の飛段からは想像出来ないほどに神秘的に見えた。
「ン、戻ったんなら声かけろよ」
「…ご、ごめんね。眠たくてぼーっとしちゃった」
「角都が起きるまでにメシ準備すんだろ。さみーから早く終わらせるぞ」
「うんっ」
そう言いながら飛段は手早くウサギの処理を始める。うだうだ言いながらもちゃんと協力してくれるのは珍しい。
マナヅルもそれを手伝い、薪をくべて朝食の支度を整えていく。いつ角都が起きてもいいようにマナヅルもまた朝食を作る。
そのうちに角都がのそりと起きてきて、二人が準備した朝食を見て目を丸くした。いつもは角都が起きるまでダラダラしているから驚いたようだ。
「メシ出来てるぜ、角都!」
「ご飯にしよう!」
二人でそう言えば、角都はこくりと頷いて丸太に腰掛けた。木の実とウサギのささやかな朝食はいつもと少しだけ違う朝を演出してくれる。
焚き火を囲んで三人で食べる朝食はいつもより美味しく感じて、マナヅルは自然とほおが緩んだ。
「今日は滝の国のどの辺まで行くの?」
「行けるところまではいく。その道中に賞金首がたむろする洞窟があるからバイトもしつつ行くぞ」
「はぁい」
「またバイトかよ。ったくよぉ、だからオレ達が一番遅れてんだぜ…」
素直に頷くマナヅルとぶうぶう文句を言う飛段。二人それぞれの反応をしても角都は目立った反応を返すことはない。彼にとって飛段の文句も日常茶飯事で慣れっこだからだ。
「時にマナヅル、次はお前はどこのツーマンセルとなんだ」
「次は兄さんと鬼鮫のツーマンセルだよ。…明後日には合流するつもり」
「死ぬなよ」
いつもマナヅルが二人のところを離れて他のツーマンセルと合流する時にはそう言われる。自分の知らないところで死ぬなよ、と。死ぬならば誰か知っている奴がいるところで死ねと言う。
忍は誰か知っている者に看取られることはごく一部の者達だけだ。暁に所属している忍はマナヅルを含めて皆、隠れ里を抜けた者で構成されている。それゆえに看取られなかった者達は多い。指輪を与えられた構成員と部下も含めるとおおよそほとんどの者達がひっそりと命を落としている。
「大丈夫、私は死なないよ」
マナヅルは死ぬなと言われれば決まってそう返す。死なない確証はどこにもない。明日を生きられる保証なんてないのに、軽い口約束をするのは角都には強いと思ってほしいから。角都に全てを学んだマナヅルは彼が納得する形で覚えていてほしいからそう言うのだ。
「なぁ、マナヅル。お前はいつか死ぬのにどうしてそんなこと言えるんだよ」
「私は強いからだよ。うちは一族は強いんだもの、私だって強いよ」
「いや、そうじゃなくて…お前が強いのはわかるけどよ、オレみたいに不死身じゃねえだろ」
「不死身じゃなくても私は誰にも看取られないまま死にたくないの。死ぬなら兄さんの前がいい」
「本当にイタチのこと大好きだよな…」
「えへへ」
飛段は残りのうさぎ肉を口の中に放り込みながらそう言う。呆れているような表情は珍しい。
けれど、だって本当なのだ。イタチのことがどうしようもなく大好きで、最期は彼に看取られながら逝きたい。叶わないならせめてその顔だけでも見たいのだ。
今、賞金首やら隠れ里の忍達にのうのうと殺されてやる義理などマナヅルには一切ない。だから強くなくてはいけないのだ。尾獣を追いかけながら、自己鍛錬を欠かさないのは死なないため。
少しでも長く生き延びられるための保険をかけているに過ぎない。
「食い終わったらさっさと支度をして出発するぞ。道中の洞窟には一千万両の賞金首がいる。逃げられるわけにはいかん」
「もちろんだよ、かぁくず」
立ち上がった角都はもうすっかりいつもの状態。目元以外を頭巾と口布で覆い隠し、暁の衣を着ている。いつだって出発できるぞ、といでたちが物語っている。
マナヅルと飛段はまだ準備を終えたわけではない。武器さえ身につけていない飛段はこれから朝のお祈りが待っているから、出発にはしばらく時間を要しそうだ。
「飛段、早くしろ」
「テメェが早過ぎんだよ、角都!」
いつものやりとり。もう見慣れた光景。
朝日に抱かれた世界は神々しく、泣きたいくらいに美しい。朝は誰にでも平等に訪れて、新しい世界の始まりを教えてくれるけれど、その先は平等に約束されているわけではないことを知っている。
その日には死ぬかもしれない恐怖もあり、マナヅルはそれを抱いて日々を過ごしている。未熟で弱い抜け忍はすぐに捕らえられてしまうから出来るだけ見つからないように、逃げられるように。
いつだって世界はマナヅル達に優しくない。
「行くぞ、マナヅル」
「うんっ!」
角都に頭をぽんと叩かれてマナヅルはその後ろをついていく。その日に何が起きるかなんてマナヅルは知らない、知らなくていい。
大好きな仲間達といられればそれでいいのだから。

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