ふわり、とマナヅルの目の前を牡丹雪が通った。それにつられるように顔を上げ、降り始めた雪を見る。思わず、自分の少し前を歩く角都を呼んだ。
「角都、雪だよ!」
「雪なぞ珍しくないだろう」
歩みを止めることなく肩越しに振り返った角都は眉間のしわを深くして、そう言った。延々と続く林道に黒地に赤い雲の模様が入った衣が二つ翻る。二人は尾獣を探す旅の途中で、大雪に見舞われた。今回、角都の相方である飛段が不在なのは別な任務を依頼されたからである。
マナヅルの紫がかった黒髪に雪が少しずつ降り積もっていく。それと同時に角都の頭巾にも雪が降り積もる。角都の大きな手が頭に積もったそれを払ってくれる。マナヅルが大好きな暖かくて大きな手は頭を離れて、すっかり冷たくなった手に触れた。
「どこかで宿を探す。野宿だと凍死する」
「うん…」
「どうした」
「……ううん、何でもない」
こんな、雪の日はオビトにつれられて里を抜けた夜のことを思い出す。あの日も確かこんな雪の日だった。確かにオビトと出会わなければ、暁に入ることもなかった。そうすれば、必然的に角都にも会えなかったわけだ。自分を見下ろす松葉色の瞳は何処までも平坦で感情を読み取ることはできない。口布で覆われた口許は角都の表情を見えなくし、ただでさえ分かりにくい感情をますます分からなくしている。
相方を何人も殺害し、トラブルがあると殺意が沸く角都が唯一優しくしてくれているのがマナヅルである。そんな小さなことに優越感を覚えながら今ある幸福を生きている。
「安いところでいいからお布団で寝たいな」
「同感だな」
珍しくマナヅルに同意してくれた角都はこの辺りで一番安い宿を探して部屋を取ってくれた。女将はごゆるりと、と頭を下げて角都に鍵を渡した。鍵に刻まれた番号の部屋に向かい、歩き出す。部屋は寒く、少しかび臭かった。
二人は交互に風呂に入り、食事もそこそこに布団に潜り込んだ。敷いたばかりの布団は寒く、浴衣を着ただけでは温もりは頼りなかった。隣の布団に潜り込んだ角都はすぐに目を閉じてしまった。
「かぁくず」
「……何だ」
「一緒に寝ていい?寒いの」
名前を呼べば、目を閉じたまま返事がある。マナヅルの言葉に角都はピシリと固まった気がした。頭巾も口布も外した角都は表情が分かりやすい。要するに、悩んでいるのだ。いつもなら止めろというのに言わないということは、角都も寒いのか。
「来い。オレも寒い」
少しの沈黙の後、角都の腕がマナヅルを布団の中に引き込んだ。冷えた角都の両腕がマナヅルを湯たんぽか何かのようにがっちりと抱き込む。普段は見られない角都の引き締まった身体が密着している。おずおずとマナヅルも角都の背中に腕を回すと、背中の縫い目が指先に触れた。
角都の忍術はいつも皮膚を突き破る。たった今マナヅルが触れている筋肉が詰まった皮膚を破って、地怨虞のお面達は動き出す。その後は何事もなかったかのように動いているが、痛いと思う。血が出ているから。痛くないわけないはずなのに、角都は平然としている。
「ねぇ、角都」
「何だ」
「地怨虞は、痛くないの?」
「痛みには慣れた」
「……わたしだったら、耐えられないかも。戦う度に皮膚が突き破られるんだもの」
指先に触れた縫い目を辿りながらマナヅルは角都に冷たい鼻先を押し付けた。痛みに慣れた。それだけ戦ってきたということだ。里抜けをした理由は知らないが、角都ほどの忍が里を抜けた後は大変だっただろうな、とぼんやり思った。
角都は守銭奴でケチだが、分かりにくい優しさでいつだってマナヅルを守ってくれている。今だって、マナヅルのわがままを叶えてくれた。だから、心から角都の支えになりたいと思う。お金以外信用しないから、限りなく不可能に近いけれど。
「お前は変な奴だな」
「……どうして?」
「オレの心配をする必要はないだろう。お前はまず自分の心配をするべきだ」
「…角都はもっと自分を大切にするべきだよ」
マナヅルを包む腕の力が強くなって、壊れ物を扱うように手が添えられる。そっと、優しく。その手はごつごつしていて、少し冷たい。長い髪が顔に掛かっても不思議と嫌な気はしなかった。これが見知らぬ相手ならばものの数秒で振り払って腕の中から抜け出している。嫌ではない、むしろ落ち着くのだ。胸に耳をぴたっと当てれば、鼓動が聞こえる。角都が生きている証がマナヅルの耳を通り抜けていく。
「側にいてね、かぁくず」
「…オレ達が生きるのは抜け忍の世界だ。どっちが先に死ぬか分からん」
「…うん。だから……」
ぴったりとくっついたままの体制で角都の心音を聞いている。いつ、誰が死ぬかなんて知らない。いつか訪れる死があるから、今この瞬間が愛しくなる。永遠の命なんていらないし、他人の不幸なんて願わない。欲しいのは幸福だ。愛する人と一緒に過ごせるありきたりな幸福。誰もが望む幸福を犯罪者とて享受する資格があるとマナヅルは思っている。角都も幸福になっていいのだ。
「どうしてお前はオレが良いんだ?」
「角都が好きだからだよ」
「もっと若いのがいるだろう。飛段もデイダラもいるぞ」
「…嫌なの」
マナヅルは眉を寄せて不機嫌そうに言った。好きだと言っているのに角都には伝わっていないようで、デイダラや飛段を勧めてくる。飛段はそれなりに好きだ。恋愛感情ではないし、異性としては見ていない。マナヅルはデイダラが嫌いだ。イタチを害しようとし、果てには殺そうとしている。前から一緒にいてくれる角都が好きで、だから角都が好きだと言ったのに。
「デイダラはイタチ兄さんを嫌っているから嫌いなの。兄さんを傷つけようとする人はみんな嫌い。飛段は好きだけど、恋愛感情じゃないの」
縫い目を辿る手を止めて、マナヅルは背中に回した腕に力を込めた。
「角都だからだよ、角都と一緒にいたいの。角都が良い」
自分でも拙いことを言っているのは分かっているが、自分の言葉ではそれしか表現できなかった。角都だから。貴方じゃなきやダメなんだよ、と精一杯の思いを込めて言葉を紡ぐ。
角都の腕はマナヅルを拘束したままだが、少し腕の力を緩めてくれた。大きな手がマナヅルのおとがいに触れて、上を向かせる。愛しい人とこんなに近くで見つめあえる幸せは角都としか共有できない。
「わたしは角都が好き。角都の答えが聞きたいよ」
「……マナヅル」
困惑したような、少し震えた声で名前を呼ばれる。好きや嫌いの感情ではなく困っているような。松葉色の瞳が少しさ迷ってからマナヅルを見る。イタチの写輪眼の次に好きな色が見つめ返している。
「オレは今まで人を好きになったことなどない。…だが、お前がいない時はお前のことばかり浮かぶ」
いつもより少し低く、小さな声で角都は言う。柔らかく優しい響きを持ったそれはマナヅルの心に少しずつ染み入っていく。愛しい。目の前で自分を抱き締めて、精一杯の愛の言葉を紡ぐこの男性が。きっと、恋愛に対してはひどく不器用なのだ。
「………好きだ」
たっぷり間を置いた愛の告白は角都の腕の中に閉じ込められたまま、脳内に直接吹き込まれるような甘さがあった。長い髪も松葉色の瞳も、人を今まで愛することが出来なかった不器用さも。それら全てが角都を愛しくさせる。両方の手首に刻まれた環状の刺青は罪の証だ。
悪の道に落ちた二人が出会い、惹かれ合うのは当然のことだったのかもしれない。
「わたしもだよ、好き。角都が好き」
当然のようにそう答えて角都の背中に腕を回す。自分の気持ちを伝えるように。言葉では伝えられない愛しさを背中に回した腕で伝えるのだ。この人が孤独にならないように。
今まで孤独の中にいたからこれからは寂しくならないように。孤独の海に溺れてしまわないように、マナヅルが繋ぎ止めておかなければ。きっといつまでも底無し沼のように沈んでいくのだろう。
「もう一人じゃなくて良いんだよ、わたしがずぅっと一緒にいてあげる」
「マナヅル…」
角都の松葉色の瞳が僅かに大きくなる。その瞳が潤んだ気がした。
抱き起こされて、角都の膝の上に乗せられる。布団で暖められた身体がぎゅうっと抱き締められる。長い角都の髪が触れる。この感覚さえも愛しい。角都から与えられるものなら何でも喜びなのだろう。
「お前は本当に…変わった奴だな」
「変わった奴でも良いよ、角都の側に置いてくれるなら…」
きつく、きつく。痛いほどに抱き締められる。
心配いらない。側にいる。そんな思いを伝えるように角都は抱き締めてくれる。太い指がマナヅルの細い髪を労るように撫でてくれる。命を奪うばかりではなく、優しさも角都は与えてくれる。安心できる愛しさを。
「側にいるよ」
「離さんぞ」
「いいよ、離さないで」
マナヅルはその言葉に静かに目を閉じた。角都のくれるものは全てマナヅルにとって心地よいものなのだ。それが例えば痛みでも。
愛なんてないのかもしれないが、今この瞬間だけは信じられる。角都のぬくもりだけは。

back / next