「かぁくず、ねぇ角都ってば」
札の数を数え終えた後にマナヅルはいつもの甘えた調子で背中に抱きついてきた。任務がないことがよほど暇だと見えて、時間があれば角都にこうしてくっついてくる。可愛いが時々うっとうしい。梅雨時期にまとわりついてくる湿気並みに角都を苛立たせることがある。
「何だ」
「今日は町に出掛けようよ。そろそろ食べ物が尽きてきたよ」
その口実の裏にある意味を角都は知っている。
自分と出掛けたいのだ。いい加減に飛段の話し相手になるのも、部屋で寝ているのも退屈になってきたと声の調子でわかる。だからこうして角都に食料調達を口実にねだるのだ。
「……たまには行くか」
「やったぁ!」
背後にいるはずなのにその顔が弾けんばかりの笑顔になったことがわかる。声が高くなり、角都の腹に回されている腕に力がこもった。
それに頭を角都の背中に押し付けているから。寂しがり屋なマナヅルらしい。
「留守番は飛段にさせればいいだろう」
そう言って立ち上がる角都に習うようにマナヅルも立ち上がり、自室へ向かっていく。心なしか足取りが軽い。お世辞にも上手いとは言えない鼻唄を歌っている辺り、かなりの上機嫌だ。安かったら金平糖でも買ってやろうか。
角都は飛段に出掛けてくる旨を伝え、わらび餅で手を打つことにした。留守番をするのにお駄賃が必要とは厄介な奴だ、とため息をついた。
身支度のために暁の外套を脱ぐ。町中へ行くのに堂々と犯罪者の証を背負って歩くこともない。無地の外套を取り出して羽織る。背中が見えてはあまり良いことは起きないだろう。
四つの面など背負っている時点で怪しいことこの上ないことは自分でも承知している。一般の忍ならばまず会うことはないだろうから。
「かぁくず、準備できた?」
「あぁ」
にこにこと部屋から出てきたマナヅルは薄化粧をしていた。
白粉をはたき、紅を塗っている。誰から習ったのかこうして時々マナヅルは化粧をしてくる。それが十分すぎるほどに美しさを引き立てているのだから目の毒だ。その美貌には見慣れた自分でも思うのだから見慣れない男が見れば一目で心を奪うのだろう。心臓を射抜かれたように動けなくなる様子が目に浮かぶようだ。
髪をほどき、忍装束から町娘が着るような衣に着替えれば町中で見かける娘と何ら変わりはない。あまりに美しすぎてマナヅルは人々の目を引く。華やかで可憐で手の届かない月のような存在に恋い焦がれるのだ。いずれはその恋に身をも焼き尽くされてしまうとわかっていながらも。
そういう国や里を角都はいくつも見てきた。暁からマナヅルを引き抜いて側仕えにしようとする大名や国を治める者と結婚させようとする者、あるいは慰み者にしようとする者達さえいた。けれど、何千万両、何億両と積まれようともマナヅルは首を縦に振ることはなかった。
その理由が暁にあるイタチであることは誰もが分かっていた。生きている理由そのものであり、もっとも愛する人と言ってやまない兄。
それを間近で見てきた角都は国の金庫が底をつき、大名が金策に走る様子を眺めていた。マナヅルが暁にいるだけで大金が入ってくるものかと思ったものだ。
その気高さと無邪気さ、時に見せる遊女が裸足で逃げ出すほどの色気に絆されてしまったのだけれど。
「行こう!」
「何が食いたいんだ?高いものは買わんぞ」
「んーとね、私お鍋がいいなぁ」
「寒くなってきたからそれもありだな」
「あとみたらし団子とわらび餅!」
角都の手をぎゅっと握る小さな手がほっとさせてくれる。戦いの中でもたらされる小さな癒しだ。
小さく柔らかな手がひんやりと冷たいことに気付いた。いつも温かい手がこの寒さで冷えてしまったようだ。
外は牡丹雪が降っていて、張り詰めた空気が肌に痛い。人もまばらで紛れ込むのは難しそうだ。
顔を隠しておく必要があるか。
自分のような大男と小柄な美少女となればすぐに足がつきかねない。
「マナヅル」
「なぁに?」
「あまり無駄遣いはするなよ」
「分かってるよ、大丈夫」
にっこり微笑まれたら角都もそうか、と答える他なかった。だいぶ節約が板についてきたマナヅルもたまに突拍子もない買い物をすることがある。例えば、高い忍具や上等な化粧品だ。
周囲をちらっと見てみればマナヅルの愛くるしさに振り返る者が何人もいる。道行く人々が皆、マナヅルを見てその美貌に見惚れている。
感嘆の溜め息を漏らす者、目線で追う者、角都に羨望の眼差しを向ける者。
神秘的で人間味さえ感じさせないマナヅルの美しさはあらゆる種類の人間から注目されるのだろう。
ふとある露店に目を止めた。看板を見るに甘味を扱っている店らしい。
「かぁくず?」
「少しここで待っていろ」
マナヅルをその場に残して、店番をしている男に声をかける。
「いらっしゃい」
「この店で一番安いものは何だ?」
「それなら、この飴だよ。色とりどりで可愛いだろ」
確かに店番の男が指した瓶には赤や水色、黄色などの丸い飴が詰まっている。
「なら、それを一つ」
「あいよ」
店番の男からその飴を買い求めるとマナヅルの元へ戻った。
久々に見る町並みにわくわくしているように視線が動いている。
「やる」
「え?」
何事もなかったかのようにマナヅルの手に飴の入った瓶を渡す。
「飴だ、旅の途中でも食えるだろう」
「うん、ありがとう!」
満面の笑みを向けられ、角都はやはりマナヅルが愛しいのだと再確認する。
見た目より中身に惹かれた。無邪気でいて聡明。無垢でありながら時には遊女も裸足で駆け出すような妖艶さ。戦闘になれば飛段に負けず劣らず真っ直ぐに突っ込んでいく。目が離せなくてそそっかしい。ちゃんと見守ってやらねばと思う。
「これからどこに向かうんだ?」
「お野菜買いに行かないとだし、お団子屋さんも探さないとね!」
んー、と唇を突き出すマナヅルに角都ははぁ、と溜め息をつく。
行き先はまだ決まっていないらしい。こういう猪突猛進なところも目が離せないところだ。
「でも、角都とならどこでもいいや」
「オレとなら?」
「うん、どこでも。アジトでも森の中でも雪山でも」
ふふ、と笑うマナヅルに角都はつられて唇に笑みを浮かべる。どこでもいい、とはまた酔狂なことを言う。ならば、本当にどこか誰かの目の届かないところに拐ってしまおうか。
「角都がいればどこにいても楽しいもの」
「……そうか」
それだけ答える。自分もマナヅルがいたらそれでいい、と言えるようになりたいものだ。まだその域には達していないらしい。
もう少し町を見て回ろうか、と二人で手を繋いだ。

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