──ゆめをみた。
色とりどりの花が咲き乱れる美しい花畑にマナヅルは横たわっている。空がとても高く泣きたくなるくらいに青かった。うっすらと雲が浮かんでいるだけで、鳥も飛んでいない。
ゆっくりと身体を起こして、辺りを見渡せば自分の少し前に見慣れた背中がある。愛しい人の背中は夢の中でもたくましく広かった。
四つのお面をつけて、何か手先を動かしているようだった。札束を数えているのか、何かを作っているのか。マナヅルは知りたくてたまらなくなった。
「かぁくず!」
名前を呼べばその相手は振り返って、目元だけで笑って見せる。飛段や他の仲間には見せない、マナヅルだけに見せる特別な笑い方であることを知っている。
この人は現実世界でもマナヅルの心を捕らえて止まない愛しい人。年齢がどれくらい離れていたって関係なく、その人柄と時折見せる不器用な優しさに惹かれた。どうしようもなく好きになってしまったのだ。
いつの間にかマナヅルの世界は角都がいることが当たり前になっていて、息をするように隣にいる。
角都は立ち上がって、マナヅルの頭を数回撫でたかと思うと優しく抱き締めてきた。壊れ物でも扱うように、びっくりするほど丁寧に扱われて身体が固まる。普段ならそんなこと絶対にしないのに。
「……マナヅル、元気でいろ」
耳元で囁かれた言葉はまるで角都がいなくなってしまうような口調で紡がれる。え、と顔をあげれば角都はいつもより少し甘さを含んだ眼差しを向けている。
そんなこと言わないで。
マナヅルはそう口にしたはずだったが、音は言葉にならず静かに空気を漏らしただけだった。

* * *

「──ッ!!」
衝動的に飛び起きる。心臓がバクバクと早鐘を打ち、嫌な汗が頬を伝う。呼吸が早い。汗で顔に張り付いた髪の毛が気持ち悪い。
外はまだ暗く、マナヅルの隣では夢の中で別れを告げた男が静かに寝息を立てていた。
それでようやく、先程までのことが夢だと知る。悪い夢を見ていたのだと分かった。
角都がいなくなるだなんてそんな嫌なこと、会って欲しくない。今回だって数ヶ月ぶりに会えたのに。次があるかさえ分からないのに。
「かぁくず」
小さな声でその名前を呼べばようやく自分の中で角都が此処にいることを実感できた。
本当に夢で良かった。いなくなってしまったら、声が枯れるまで泣いて全てを放棄していたかもしれない。でも、と脳内で声がする。
本当にかぁくずがいなくなってしまったらどうするの?
一度頭をもたげた疑念はそう簡単には振り払えなくてどんどん嫌な方へ考えが向いてしまう。
角都がいなくなったら、この先誰を愛して生きていけば良いのか。誰を頼って生きていけば良いのか。マナヅルのこころは宙ぶらりんのまま、何処に着地すれば良いのか。イタチはいるけれど、角都はまた違った大切な人だ。
お葬式をする時間なんてないから、気持ちに踏ん切りがつかないかもしれない。角都がいなくなった日常なんてマナヅルには考えられない。飛段となんて組めないし、組みたくもない。ジャシン教のために殺されるのは勘弁願いたい。
だんだんと呼吸が早くなって、ひゅっ、と嫌な音がしたと思ったら自分で呼吸が制御できなくなった。ひゅぅ、と呼吸のなり損ないのように息を吐き出しながら角都に必死に手を伸ばす。
助けて、苦しい。かぁくず。ねぇ、お願い気が付いて。
手足が冷たくなってきて、指先が痺れてきている。
「かく、……っ、かくず…」
ようやく口にした名前は掠れてしまって、音にはならない。ひたすらに苦しくて助けてほしくて、もがくように手を伸ばすことしか出来ない。
「…マナヅル……?」
角都の声が返る。起き上がった角都がマナヅルの頭を自分の方に抱き寄せて、あやすように背中を撫でてくれる。
「ゆっくり呼吸しろ、焦るな」
ひゅっ、と鳴った喉は呼吸を求めるが、角都の声が制止する。慌てなくて良い、ゆっくりでいいと。
角都の声に、匂いに、温もりに、肌に精神が落ち着いていくのが分かる。角都の全てに癒される。
「どうした、いつもは寝ている時間だろう」
「怖い夢を見たの…」
それ以上は言いたくなくて、角都の体温を感じることに集中した。いつもは抱き締めてくれたり、甘い言葉をくれることは少ないけれど今日の角都は少し違う。優しくて、泣きたくなるくらいにいとおしい。
「マナヅル…?」
「もっと、私の名前呼んで」
「……どうした、いつもと違うぞ」
「今日はね、思いっきり甘えたいの」
角都の腕の中に頭を埋めてしまえば、外の嫌なことは全て見えなくなる。角都がいなくなってしまうかもしれない、ということも全て覆い隠してくれる。
何も見なくて済めば良いのに。ぜんぶなかったことになって、何も知らなかった頃に戻れたらいいのに。
「マナヅル…」
「うんっ…」
角都がいなくなる未来なんてあってはいけない。そんな未来は永遠に来なくて良い。
上手く言葉に出来なくて、それは涙になってマナヅルの体表に現れる。
もう一度溢れた涙を止めることは難しくて、マナヅルは角都の腕の中で泣いた。
これだけ愛しい人がいて、愛してくれているというのに別れのことを考えるなんて貪欲すぎる。犯罪者でありながら、なんて贅沢な悩みなのだろう。愛してくれる人に出会えただけでも奇跡に近いと思っているのに。
「かぁくず…」
「………」
マナヅルの呼び掛けに角都は返事をしない。けれど、その体温は確かに此処にあってマナヅルを抱き締めてくれている。
ふと自分の体が震えていることに気づいた。そう言えば眠った時は暖かいからと薄着で眠ってしまったのだ。
「寒いのか」
「うん…」
気遣ってくれる優しい声と共に毛布が掛けられる。ふわりと角都の匂いがマナヅルを包み込む。
とくんとくん、と角都の心臓の音が聞こえてきて、マナヅルは安心する。角都は生きている。
いつの間にか過呼吸は収まっていて、平常時の落ち着いた呼吸に戻っていた。
角都が生きている。その事実だけでこんなにも落ち着いてしまう。それだけ角都はマナヅルの世界に深く根差しているということだ。
「お願いがあるの」
「何だ」
「私が起きるまで抱きしめてて欲しいの」
「あぁ、たまにはいいだろう」
抱き締められた格好のまま布団に横たえられてしまう。飛段には絶対にこんなことはしない。一緒の布団に入ってきても追い出すと言っていた。
それだけ愛されていると自惚れてしまう。
ずっと角都の特別でありたいと思う。自分だけを見て、愛して、名前を呼んで欲しい。他の女の人にはしないで欲しい。
「かぁくず……わたしだけ…」
「ん?」
「わたしだけ、あいして……」
角都の心地よい温もりに船を漕ぎ始めていたマナヅルはそう本心を口にする。自分だけを愛して欲しい。他の人は愛さないで。
眠りに落ちる前、額に口づけされた気がした。角都の返事を聞く前にマナヅルはすでに夢の中に旅立っていた。

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