君そら | ナノ
194 仙水忍


 霊界の、自身の執務室のドアを叩く音に気づいたコエンマは、落としていた書類から視線を上げた。
 小さく溜息を吐きいて入室の許可を出す。
「コエンマ様、失礼します」
 ぼたんが蔵馬を伴って入室した。普段は能天気な彼女であるが、今日はオフザケなど一切ない、沈痛な面持ちをしている。
「来たか。まぁ、そこに座ってくれ」
 コエンマは吐きそうになった溜息をグッと飲み込んだ。今それを行うのは不謹慎だからだ。
(……全く、頭の痛い出来事ばかりだ)
 蔵馬が腰を下ろした来客用のソファーの向かいに座り、お茶を用意したぼたんに礼を言って下がらせた。
「話は聞いておる」
 蔵馬はぼたんと違って分かり易い表情ではないものの、纏う空気が棘のように痛々しかった。無理もないと思う。コエンマでさえ仲睦まじい彼らの関係を知っていたのだ。
 ――環が消えた。
 報告を受けたのは2日前。蟲寄市の視察を行った日だ。幽助たちと行動を共にしていた彼女は、気づけば姿を消していたらしい。
 幽助たちが目を離した――敵の能力者と交戦中のことだった。彼女は意識を失っていたから、敵に連れ去られた可能性が高い。
 捕らえた医師(神谷)に尋問を行ったが、ほとんど有益な情報は得られなかった。神谷はこちらの問いかけに答えるでもなく、聞かれてもいない理想とやらをベラベラと喋るばかりだったそうだ。自身で有益な情報など持っていないと豪語するばかりか、捕らえられた身の上だというのにひどく楽しげであったとすら聞いている。
 自発的に探す幽助たちはじめ、コエンマも部下たちに探りを入れさせているが、彼女だけでなく、敵の足取りすら掴めずにいた。
「すまんな、ワシの元にもまだ何の報告も上がっておらんのだ」
 全ては依頼主であるワシの責任だ。とコエンマは詫びたが、蔵馬は何を言うでもなく、冷めた目で赤子の彼を見下ろしていた。
 背筋が凍るほどの冷たい視線。その視線から逃れるように、コエンマの頭がゆっくりと下がってゆく。
「……聞きたい事があります」
 ややあって、沈黙を破った蔵馬が口を開いた。
「なんだ?」
「かつての霊界探偵、仙水忍についてです。彼が海峡トンネルを開こうとしている首謀者だ。ご存知ですね?」
 コエンマは勢いよく立ち上がった。
「それを、その名をどこで聞いた!?」
 声を荒げる彼の姿に、蔵馬の目がスゥっと細められた。
「貴方の個人的な事情に付き合うつもりはありません。しかし、軽率な判断が今の不利な状況を招いた、という自覚はありますか?」
 蔵馬は確信を持って問いかけた。コエンマは、口では分からないといいながらも引き起こした人物の目星を付けていたのだ。たとえ人数や能力等の詳細が分からなくても、首謀者の人となりが分かっていたなら、目的や行動が推測できたかもしれない。環が連れさられはしなかったのだ、とも言っていた。
「分かっておる……」
 情報の秘匿を責められたコエンマは目を伏せた。
「今は少しでも時間が欲しい。あなたの持つ情報を全て渡してください」

 捕らえた神谷を警察に引き渡す前、蔵馬は再度、彼を尋問した。先に尋問を行った幻海が、ヤツは何も知らないようだと告げたが、蔵馬を止めることはなかった。蔵馬なら、と考えたからかもしれないし、ひどく冷たい彼の目を見たからかもしれない。
 時間は30分も掛からなかった。魔界の植物を操る蔵馬からしたら、人間の体内で生成される物質を凌駕できるクスリの精製など容易い。黙秘も無意味だ。
 しかし、結果として徒労に終わった。
 神谷自身が言った通り、本当に何の情報も持っていなかったのだ。アジトの場所しかり、仲間の能力しかり――もしかしたら、ワザと触れなかったのかもしれないし、死を望む彼は必要性を感じなかったのかもしれない。
 それでも、首謀者は元・霊界探偵である仙水忍であるとの確認はとれた。環の話と、左京の資料以外にも、蔵馬がコエンマに断言できた理由はそこにある。
 それに、彼らのアジトの場所も割れていた。先日、自分たちが訪れた中心地の地下――現状証拠がそうだと訴えていた――入魔洞窟で間違いない。
 蔵馬がコエンマに望むもの、知りたいのは、仙水忍そのものだ。
 一刻も早く環を取り返しに行きたかったが、理性がそれに待ったを掛けていた。万が一にも返り討ちに合って、取り戻せなかったでは話にならない、と。
 彼女を攫った理由も分からなかった。
 元妖狐という理由なら自分とて同じだし、彼女固有の能力――価値を挙げれば、風、治癒の能力、もしくは帰らずの森の主という立場が挙げられる。が、どれも決め手に掛ける。人質というだけなら、幽助の助手であるぼたんや、かつて四聖獣に攫われた螢子、自分たちの家族といった非力な存在もいる。可能性は低い。
 一番やっかいな未来の記憶も、蔵馬以外は知らないはずだ。
「奴が姿を消したのは10年前になる。それ以降は分からんが、奴が霊界探偵だった頃ならよく知っておる。……奴を霊界探偵に指名したのはワシだからな」
 コエンマはしばし逡巡したが、やがてポツリポツリと話し始めた。
「黒の章という極秘テープが紛失してしばらく経ってからのことだった。我々が気づいたと同時にヤツは姿を消した。不自然なタイミングではあったが、仙水が犯人だという確証はなかった。だが、信じたくなかったというのが本音だったように思う。あやつは、本当に正義感の強い男だったしな。……度が過ぎるほどに、潔癖だった」
 子供の頃から強い霊力を持っていたこと。それによって妖怪たちから命を狙われてきたこと。歴代の霊界探偵の中で、最も強く、真面目で、自分の、ひいては人間の敵である妖怪を倒すことを自らの使命と考えていた。
 しかし、とある任務で、黒の章に収められた内容に匹敵するほどの、人間の――これまで守ってきた存在の――どす黒い陰の部分を知った。以来、人間を守ることに疑問を持ち始めた。
 つまびらかにされてゆく仙水の過去という欠片(ピース)を与えられた蔵馬は、頭の中で仙水の人物像(パズル)を作り上げていった。
 その最中、ふいに、ある男のイメージが重なった。
 生真面目で、使命感が強く、誰よりも愚直に励む、かつての部下だった男……。

 ――私は紙面上でしか彼を知らないけど、何となく、似てる気がして……。ただ見てみたいだけ。

 環はそう言って、幽助たちに付いて行った。だから本人が言う通り、ただの興味本位だと考えていた。
「まさか……」
 その男のことを考えていたからだろうか。唐突に、とある映像がフラッシュバックしてきた。蔵馬の目が徐々に見開ひらかれてゆく。

 環が――妖狐の彼女が笑っている。
 儚げな笑顔で。
 その姿はどこもかしこも血で濡れていた。
 彼女は蔵馬の部下であった男を――森の子供を抱いている。彼女に致命傷を負わせ、そして彼女に命を奪われた子供を。
 男は安らかな顔をして、微笑んでいるようにも見えた。

 ――不思議よね。あの子も、同じ名前だった。

 誰に言うでもなく、昨日、そう零した彼女は、泣きそうな顔をしていた。

 ――分かってる、もうあの子はいない。コレはただの興味本位なの。だから、ね? 危ないことはしないから、明日の視察に行ってもいい?

 そうだ、彼女も言っていたじゃないか。
 あれはもう、過ぎ去った遠い昔の話だ。たまたま似た他者がいた。少しだけ足を止めた、儚い感傷。彼女の好きにさせることでソレが瘉えるのならと、最終的には好きにさせた。
 その結果が…………まさか、ありえない。
 だが自分たちはどうだ? 人の身体を得て生きながらえているではないか。
 いや、やはりありえない。
 蔵馬は凄まじい勢いで組みあがってゆく仮説を否定しようとしたが、その試みは上手くいかなかった。次から次へと溢れてくる確証と否定の材料。それらが彼の中で激しくせめぎ合っていた。
「仙水……忍」
 握り締めていた拳は、血が滲んでいた。

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