03 骨蛇
スーツ姿の男が二人、陽炎が浮かぶ夏の山道を汗を拭いながら歩いていた。一人は体格のいいがっしりとした男で、もう一人は高身長ながら、ひょろりとした色素の薄い男だ。
彼らは上着を脱ぎ去り、ネクタイを緩め、すっかりダレきっていた。
「暑い……なんで夏ってヤツはこんなに暑いんだ……」
舗装のない悪路を革靴で歩き続けることしばし。体格のいい男が、暑さに耐え切れずに愚痴を零した。
「暑いから夏なんですよ」
隣を行く男がにべもなく返した。
「この野郎、一人で涼しい顔しやがって。雪のように白い肌に汗ひとつかいてねぇじゃねーか」
「色白は関係ありませんよ。俺だってこれだけ歩いたら汗くらいかきます。ほら、口を動かしてないで足を動かしてください、足を」
「あー、俺はもうダメだ。これ以上歩いたら死んじまう! おい、今すぐ気象庁に連絡して、このカンカン照りを曇りに変えろ! いっそ雨でもいい!」
「無理を言わないでください。この時代の気象庁は天気の操作はできませんし、先輩にそんな権限はありません」
「くそっ、どーせ俺はしがない安月給のヒラだよ!! 俺がお大臣なら気分次第で変えてやるのによう! ……そうだよ、俺がお大臣なら1/1サイズミミちゃんだって買えたのになぁ、ちくしょう!」
「先日それやった大臣が更迭されましたよね。お忍びの旅行中に愛人にオネダリされた、でしたっけ?」
それに、ミミちゃんが買えなかったのは先月マコちゃんを買ったからじゃないですか? 買えたって騒いでましたよね? と、言われた男は明後日を見ながら「世知辛い世の中だぜ……」と呟いた。
後輩はまるっと無視することにした。
「それにしても今回は驚くほど遠いですね、はじめて接触する家なんですか?」
かれこれ一時間近く歩いた彼も、内心辟易していた。とはいえ仕事柄そうも言っていられない。今日の彼らはスカウトマンだ。はじめて接触する場合、少しでも警戒されないようにと必ず相手の流儀に合わせる決まりとなっている。自分たちの存在も常識も、この時代の者たちにとっては異端となるからだ。
しかし、いくら人目を避けるためとはいえ、こんなに距離を取るなど慎重すぎやしないだろうか、との疑問が浮かぶ。
から笑いをしている先輩を見た後輩の男は、嫌な予感を覚えた。
「……扉を繋げる操作をしくって場所がズレたみたいだ、っつったら怒るか?」
「はぁ!? そりゃ怒るに決まってるじゃないですか!!」
「ま、まぁまぁ、そう怒るなよ……おっ、見えてきたぞ! あのやたらデカイが寂れたボロ屋敷だそうだ!」
掴みかかってくる後輩の注意を逸らそうと、男は必死に声を上げた。
「先輩!!!」
だが、後輩は先輩の男の首元を掴んでガクガクと揺すった。
「お、おい、苦し……! 首、くびっ!!」
必死に離せと訴えるが、後輩は益々力を込めてくる。
「あれ! 何か聞いてますか!?」
「ゲホッ、ゲホゲホッ…………ん?」
三途の川が見えてきた頃、パッと手を離された。大いに咳き込みながも、後輩の言う方向へ視線をやる。
「ボロ屋敷って言ったって、限度があるでしょう!?」
「んなっ!?」
よくよく見ると屋敷が半壊しているではないか。立ち上る土煙といい、何かがあったのは疑いようもない。
顔を見合わせた二人は即座に駆け出した。
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これはおかしい、と感じたのはお祓いの儀式が佳境に入ってからだった。
雅が当主を呼びに行っている間に悪霊に宿主とされた遠藤が暴れだした。急ぎ、憑き物落としの儀をはじめたのだが、様子がおかしい。
普段なら観念した動物霊にしろ悪霊にしろ、当主たる祖父の霊力に追い出される頃合だというのに、宿主の遠藤自身がダメージを受けているように見える。
「いたい、いたい、い、たい、たす、け……」
身体をブルブルと震わせて苦しみ、涙を流しながら助けを訴えている。
中の霊が粘っていると考えた当主は間近から力を叩き込もうと近寄った。
「いけない、離れて!!」
叫んだ雅は、一足飛びで彼のもとへ駆け寄った。襟元を掴んで後ずさる。刹那、眼前を何かが通り過ぎ、客間の一部を切り裂いた。
柱が倒れ、土壁が崩れ落ちる。もうもうと立ち上る土煙が収まると、ゆらりと漂う鬼火とともに、蛇の化物が現れた。
「こやつは……!」
当主が驚きの声をあげる。
遠藤の中から出てきたのは、雅の見立て通り『蛇』で間違いなかった。ただし、全ての肉をそげ落とした骨のみの蛇だ。頭に鋭い角を二本も生やし、口には匕首(ひしゅ)を咥えている。黒いもやのような穢れを全身に纏い、実に禍々しい。
「なぜこやつがこの時代におるのじゃ!」
驚く当主同様、雅も十分驚いていた。だが、鬼火を纏う骨の蛇は、こちらをジッと見据えていることに気がついた。
「お爺さま!」
ゆっくり驚いている暇などないと判断し、祖父の手を取って走り出した。思ったとおり、宿主であった遠藤には目もくれずに向かってくる。こちらは先程まで落とそうとしていた相手だ。倒すべき敵と認識されたらしい。
老体に全力ダッシュは応えるようで、祖父は激しい息遣いの最中、喘ぐように不平を挟んでくる。だが、非常事態だ。無理を承知で家の中を走り回った。
「お爺さまはここに」
若さか、日頃の家事労働ゆえか。息一つ切らしていない雅は祖父を目的の場所――先程までいた仏間に押し込めた。
仏壇の隣、神棚に飾られていた梅小路家に伝わる守り刀を手に取る。1尺(約30cm)もない短刀であるものの、鉄の塊だ。ひやりと手に冷たいが、不思議と重いと感じたことは無かった。
「使用許可を頂きます」
半ば事後承諾のように言えば、祖父はもう勝手にしてくれとばかりに、ぜいぜいと息を吐きながら、行け、と手を振った。
丹田に力入れ、細く息を吐く。
「……参ります」
守るべき対象を背に庇い、骨の蛇に向かって鞘から抜き放った白刃を向けた。