02 憑物2
「そもそも、人の身体に長く触れる仕事は、憑かれやすいと言われています」
「そう、なんですか?」
「体調を崩されるのは、決まったお客のあとではありませんでしたか?」
「え?」
思い当たることがあるのか、遠藤は「あっ」と声を上げた。
「そういえばそうです。いつも私を指名してくれる方がいらっしゃるんですが、その方の施術を行ったあとは、いつも酷く疲れてしまって……」
その相手とは、テレビで見ない日がないほどの有名な人物だった。相談先でさえ、名前を出すのが憚られるほどの。
はじめて貰った指名は彼女の気まぐれ。でもなぜか気に入られて、それから毎回指名されるようになった。自分はまだ未熟者だと分かってはいたが、それでも満足してもらえるように頑張ってきた。終わったあとに感じる疲労感は相手が相手なのだから仕方がない。むしろ勲章だと……話し終えた遠藤は、クシャリと顔を歪めた。
「少しおかしいと思っていました。彼女は、どこか遠藤さんに執着しているように感じていましたので」
と、同僚の鈴木が付け加えた。
「私、まだまだ未熟ですが、それでも認めて貰えているんだと喜んでいたんです。でも、以前、体調を崩して店長に代わって貰ったんですが、他の人は嫌だと帰ってしまわれたんです。ウチの店長、すごく有名で、彼女目当てに通う女優さんだっているのに……考えてみればおかしいですよね」
よほどショックだったのか、彼女はうつむいて震えている。
「お見受けしたところ、遠藤様は感受性が高いように思われます。受け取りやすく、憑かれやすい。おそらく災厄の身代わりにされていたのでしょう。体調不良で済んでいたのは幸いでした」
「……私、これからどうすればいいんですか?」
「方法は二つあります」
「二つ?」
「一つは他者に肩代わりしてもらう方法です。その方のように」
「そんなっ! そんなの無理です!」
「それなら、これからは決して受け取らないようにするしかありません。その方の指名が入っても断ってください。他の店に移られてもいいかもしれません」
「でも、私、今も何かに取り憑かれているんですよね?」
今後はそれで凌げたとしても、それでは根本的な解決にはならない。遠藤は今にも泣き出しそうな顔だ。
「大丈夫です。ウチの当主は有能ですから」
意図的に微笑んで見せれば、遠藤もぎこちなく微笑んだ。
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仏間に入ると、目当ての老人はすぐに見つかった。ちょうどひと段落したようで、息をつき、眼鏡を外している。
経本をりん棒に持ち替え、おりんの横で小さく振った。
チーン。
庭では夏の盛りを象徴するかのように沢山のセミが鳴いている。しかしこの部屋は、空間を切り取られたかのようだ。やけに静かに感じる。
チーン。
軽やかな金の音が幾重も反射し合って響き渡る。
淡雪のように音が溶けて消え、しばらく経っても、仏壇に向けて手を合わせた老人は中々顔を上げなかった。客を待たせた状態であるが、語り合いの邪魔はするまいと、腰を降ろして静かに見守った。
彼の傍にいた子犬が雅の膝に擦り寄ってきた。艶やかな黒い毛並みを撫でていると、長く手を合わせいた老人がようやく顔を上げた。
「ご主人様、お客様がいらっしゃいました」
待ちかねたように口を開く。老人は眉間に皺を寄せた。
「……のう、ワシは誰じゃ?」
「私の主人である梅小路様です」
雅は少し呆けた顔をした後、真顔で答えた。
「失礼を承知で申し上げますが、ボケるには些か早いかと」
「ボケはお前じゃ、大ボケ娘! よいか? お前はワシの孫、同じ梅小路じゃ。お爺さまと呼ばんか、お爺さまと!」
雅はパチパチと瞬きをした。
「イキナリどうなさいました?」
確かに戸籍上では彼の孫にして貰ったが、拾われっ子の雅は彼と血は繋がっていない。「ご主人様」だの「旦那様」だのと敬称で呼んでしまうのは、つい恐れ多さを感じるからだ。彼もそれが分かっているのか、今まで好きに呼ばせていたというのに、急にどうしたのか。
老人はおもむろに雅の頭に手を乗せた。
「ご主人様?」
唐突に頭を撫でられた雅は困惑した。
「お爺さまと呼べといったじゃろ、じじいの特権じゃ。……さて、客が来ていると言ったか。先日の客は見当違いもいいとこじゃったが、今日の客はどうじゃ?」
「先日のお客様は、お言いつけ通りの病院をご紹介しておきました。納得されてはいないご様子でしたが、ご病気では仕方ありません」
梅小路家は代々憑き物落としを生業としてきた。歴史は長く、本家ともなると千年以上遡れる古い家柄となる。
発達した文明が闇を退けるに従い、怪異もその数を減らしていった。しかし、全く無くなったワケではない。異端の力は疎まれながらも望まれ続けた。梅小路の門を叩く者が絶えないのがその証拠だ。
しかし、素人判断で悪い霊にとり憑かれていると思い込む者も少なくなかった。
「今回のお客様も、情緒不安定、幻聴や幻覚、不眠などの症状を訴えておられます」
「ふむ、典型的じゃの」
「屋敷の結界に反応して隠れておりますが、間違いないかと」
「お主の見立ては?」
「蛇です」
ざわりと感じた力に、二人は客間の方へ顔を向けた。
「急いだ方が良さそうじゃな」
「はい」
雅は部屋を出る際、静かに振り返った。位牌の横に飾られた写真立てに視線が向かう。雅をそのまま幼くした少女が、あどけない顔で笑っていた。