【刀剣乱舞】月夜烏・改 | ナノ
01 憑物


 夏の空は、ターコイズブルーのくすんだ青で塗りつぶされていた。
『おはようございます。○○△△です』
 縁側に置いたラジオから軽快な音楽が流れ、ナレーターが番組の開始を告げた。
 今日が始まった、という気持ちで手に持っていた手ぬぐいを物干し竿に掛けた。何となく家事の片手間に聞くようになったのだが、今ではコレがないと一日が始まった気がしない。
『まずはニュースからお伝えします。**回目の終戦の日を迎えた今日、政府主催の全国戦没者追悼式を東京都千代田区の……』
 いつもなら飛び出す冗談の一つもなく、先程からずっと硬い声が続いている。無理もない。今日は8月15日だ。
 昭和××年。
 焦土と化したこの国は、復興に向けてガムシャラに走り続けた。その甲斐あって、世界に類を見ない程の急激な経済成長を遂げるまでとなった。国民の生活水準は軒並み向上し、人も街も、僅かな間にめまぐるしく変わってゆく。
 光が強まるに従い、少しずつ闇と信仰が減ってゆく――今は、そんな時代だ。
 それでも闇は無くならない。光が強ければ強いほど、その影には色濃い闇が生まれるものだ。急激な発達がもたらした副作用、それも新たに生まれた闇と言えるだろう。
 雅は、昔から変わることのない青い空を見上げた。
 大都市の空は排気ガスでどんよりと曇り、太陽は乳白色に濁っていると聞く。好景気がもたらす変化の波は、この国をくまなく覆い尽くさんとしている。しかし、こんな田舎まで浸透するにはまだ時間がかかるらしい。
 空の青を塗り変えようと、思い切りシーツを広げた。空気を含んで大きく広がる。物干しに掛けてハサミで止めた。出来上がりを確認するように見渡せば、整然と並んだ洗濯ものが風を受けてなびいている。
 まるで泳いでいるようだ。
 しばらくその光景を眺めていたが、これからの予定を思い出して洗濯カゴを持ち上げた。今日は来客の予定が一件入っていた。
 ラジオを操作していると、頭上でアブラゼミが鳴き始めた。つられて頭を上げる。入道雲が沸き立たちはじめていた。
 額につたう汗を拭う。
 今日も暑くなりそうだ。

 門の前を掃除するべく外に出ると、ちょうど割烹着姿の女性と出くわした。こちらに気づいてぎょっとした顔をする。近隣に住むご婦人だ。
「おはようございます」
 声をかけるも、彼女は決してこちらを見ることはなく、僅かに頭を下げ、足早で立ち去ってゆく。空瓶を抱えていたところから、ご近所に醤油でも貰いに行くところだったのか。ウチに声をかないのも、挨拶を返されないのも今更である。
 村八分とまではいかないものの、雅の家は昔から腫れ物のように扱われていた。稼業に原因があるのだと分かってはいる。しかし、やはり気分の良いものでもない。
 腹立たしさを抑えることができず、乱暴に箒を動かした。


++++


 門の外で車が止まる音がした。時間を確認すれば、約束の少し前だ。客が来たのだろうと目星を付けて、爪先につっかけを引っ掛けて外に出た。
 呼び鈴が鳴った。
 門を押し開けると、去っていくタクシーをバックに、約束をしていた女性が一人……ではなく、二人の女性が立っていた。ふらつく一人をもう一人が支えている状態だ。
「遠藤です。よろしくお願いします」
 青い顔をした、小柄な女性が頭を下げた。
「お待ちしておりました。今日はお一人と伺っておりましたが」
 遠藤を支える背の高い女性に視線をやると、彼女は「鈴木です」と頭を下げた。
「彼女は職場の同僚で、心配してついて来てくれたんです。ここを教えてくれたのも彼女で」
「そうでしたか。ではお二人とも、中へどうぞ」
 門の中へ導き、先導する。遠藤は青い顔をしているというのに、雅の後ろでキョロキョロとあちこちに視線をやっている。都会からやってきたのなら、田舎の家は珍しいのかもしれない。
 客間に案内して、冷たい麦茶を出す。
「遠藤様、ご気分がすぐれないようでしたら、布団の用意もできますので」
「いえ、少し車に酔っただけですので、もう大丈夫です」
 この辺りの道の舗装は完全ではない。かなり揺れたと思われたが、本人の言葉通り、だいぶ顔色が良くなっている。
 ならば平気だろうと判断して、メモとペンを用意した。
「では、話を聞かせてください」
 遠藤は目を丸めた。
「あの、あなたが?」
「はい」
「……大人のひとは、いないの?」
 困ったような顔をした彼女の一言で全て理解できた。
 雅は小柄なうえに童顔だ。これまで何度か似たような扱いを受けてきたが、実年齢の遥か下を想像されているらしい。
「私は当主の補助を勤める者です。若く見られがちですが、成人しております」
 遠藤は顔を赤くした。
「すみません」
「いえ、それよりお話を聞かせてください。粗方のお話は伺っておりますが、準備の問題もありますから」
 当主に余計な手間を掛けさせたくない、という思いもある。
 遠藤は同僚の方をチラリと見て、意を決したように口を開いた。
「私、東京でエステティシャンをやっているんです」
「は? えす……なんですか?」
 馴染みのない言葉に首を傾げた。聞くところによると、美を追求する女性に美容術を行う仕事らしい。豊かさを象徴するように、今の都会では芸能人の影響もあって、裕福層のみならず一般利用客の数も増えてきているという話だ。
 施術の例としては、顔や体にマッサージを行うのだと彼女は言った。
「なるほど、按摩(あんま)のようなものですか」
「それは違います」
 知っている言葉に置き換えて理解しようとしたが、即・却下された。が、話が続かないので先に進めることにした。
 遠藤はエステティシャンとして一年前に就職。憧れのお店に入れたのが嬉しくて、真面目にコツコツと頑張ってきた。お陰で腕が上がり、彼女目当てに通う固定客もつくようになった。しかし頑張り過ぎたのか、このところ、あまり体調が思わしくない。疲れが取れない体は鉛のように重くなっていく。なのにあまり眠れない。他者から見ると、いきなり怒鳴りだしたり、独り言が増えたり、大食いしたりと様子がおかしい。そんなある日のこと、口から泡を吹いて倒れたそうだ。その現場を見た鈴木が、これは仕事の疲れなどではない、何かに取り憑かれているのでは? と思ってやってきたという話だ。
「お話は分かりました」
 一通りの話を聞いた雅が神妙にうなづいた。
「あの、私って……本当に?」
 不安げに尋ねる遠藤に、言葉少なに「はい」と肯定した。戻りつつあった顔色がまた悪くなった。
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