【刀剣乱舞】月夜烏・改 | ナノ
17 登山


 平野が振り返ると、二人の姿は見えなくなっていた。随分進んだのだから当然なのだが、怪我を負った前田を思うと、あのまま帰して良かったのかと今更ながらに不安を覚えた。
 共にしんがりを務める薬研の袖を引いた。
「あの……前田は、大丈夫でしょうか?」
「俺は問題ないと思うが、心配か?」
「はい……あ、いえ、あなたが問題ないと言うのならそうなのでしょうが、……それでも、やはり、彼女と同じ審神者だというのなら……」
 彼は破壊寸前の大怪我を負っていた。いくら人手が足りないとはいえ、ほぼ初対面の審神者に任せて良かったのだろうか。今の彼では……人にすら遅れを取るかもしれない。
 平野は扉のある阿津賀志山を見遣った。彼よりいくらか上背のある薬研が、帽子の上からポンポンと頭を叩いた。
「彼女もそうだが、前田なら大丈夫だ。あいつは、俺たち兄弟の中で一番のしっかりモノだからな」
「……それは、分かっています、けれど」
 前田がしっかりモノだということは平野が一番よく分かっている。加賀前田家で200年以上共に在り続けたのだ。だからこそ心配で堪らない。彼は、刀剣男士として新たに得た主君の力になりたい、全力を尽くしたいと、自分以上に張り切っていた。だから……。

 ――平野藤四郎様、お力をお貸しください。

 ふと、いつかの記憶が脳裏を掠めた。皇室御物として微睡んでいた平野を優しく揺り起こした柔らかな声。あの声は、あれは、いつのことだったか……。
「いつからだったかな……」
「え?」
 考え込んでいた平野は、薬研の呟きを拾いきれずに聞き返した。が、薬研は何でもないと首を振った。
「ともかく、俺もお前と同じだ。何とかしたいと思っている。だから、できる限りの手を尽くしたい。前田だってそう思っているハズだ」
「……はい」
 薬研は前田に、ある日突然姿を消したこんのすけを探すように言った。それを聞いたとき、平野はかつての本丸を思い出して泣きそうになった。かつて政府から派遣された小さな管狐は、お役目はきちんとこなしていたようだが、見た目通りと言おうか、動物らしく、ときに昼寝をし、ときに鳴狐の子狐と語り合い、ときに夕飯の油揚げを失敬したりと自由気ままに過ごしていた。
 あの頃は、兄弟も、仲間も、彼女も笑っていた。取り戻せたらどんなにいいだろう。しかし――。
「薬研は、自分が顕現した日のことを覚えていますか?」
「ん? ああ、細かいことは忘れちまったが、それなりにな」
「僕は昨日のように思い出せます。人の器を与えられて『目』を開いたとき、いち兄や、粟田口のみんなが僕を囲んで歓迎してくれました。薬研、あなたも居てくれましたね」
「……そうだったな」
「そして……前田が『また会えましたね』と手を差し出してくれました。その手が暖かくて、僕は、彼とまた、手を繋ぎたかったんだなって……」
 付喪神としての自我を得てから。前田も平野も、時折、宝物庫を抜け出して城内や城下を散策することがあった。主の役に立つために見聞を広める、という名目で、ふたりであちこちをこっそり見て回ったものだ。似た者同士のために衝突することも多々あった。全てが良い思い出ばかりではないが、……振り返ってみると、実に楽しかったと思う。
 だが、時は流れて明治の世になると、平野は皇室へ献上され、ふたりは離れ離れとなった。本丸での再会は、実に4世紀ぶりだったのだ。
 また皆で笑い合いたい。しかし、怪我を負った前田に無理をして欲しくもない――誰も、欠けて欲しくなどないのだ。
 グスグスと鼻をすする平野の頭を、薬研が再びポンポンと叩いた。
「早く三日月宗近を見つけて帰ろう。本丸へ戻ったら、手くらい、いくらでも繋げるさ」
「……はい」

 ――再びあなた様にまみえたいとおっしゃるご兄弟がいらっしゃいます。
 ――お力をお貸しください。歴史を、前線で戦うご兄弟をお守りくださいませ……。

 柔らかな声が、平野の頭の中で反響し続けていた。


++++


 その頃、平野たちの心配をよそに、雅と前田は阿津賀志山の登山に勤しんでいた。
 ザッザッザッ。
 ザッザッザッ。
 前田を先頭に無言で山道を登る。雅としては訊ねたいことが山ほどあったのだが、殆どがスルーされてしまい、仕方なく口を噤んでいたのだ。大怪我の身でありながら、気丈にも自分の足で進む彼の体力を削るまいとも考えた。
 だが、流石の彼も、急勾配の山道を進むにつれて速度が鈍りだした。心もとない足取りで、息は乱れ、肩を上下させている。
 無理もない。いくら怪我の痛みを気力で押さえ込もうとも、服の下から覗く包帯は真っ赤に染まっている。いくら刀剣男士とはいえ、あれだけ血を失えば辛かろう。
「前田殿、肩をお貸しします」
 本当なら背負って行きたいところだが、すでに拒否されていた。
「……けっこう、です」
「それなら、せめて私が先陣します」
 獣道を進んでいたので、時折、伸びた枝や雑草が行く手の邪魔をした。普段なら何でもない雑事も、今の前田にはひどく厄介だろう。
「あなたは人でしょう。黙って付いて来てください」
「しかし……」
 その時、隣の茂みがガサリと音を立てた。
「っ、下がって!」
 短刀を抜いた前田は、雅と茂みの間に身体を滑り込ませた。はぐれた遡行軍がいるかもしれない。素早く臨戦態勢を取った。……が、
「……兎、でしたか」
 茂みから出てきたのは茶色い毛並みの野ウサギだった。警戒するこちらにギョッとした様子で慌てて走り去ってゆく。
 ホッと息を吐いた前田は刀を鞘に戻し、雅を振り返った。
「いつまでも一箇所に留まっていては危険です。行きますよ」
 覇気のない、疲れきった声。雅は苦笑した。彼を庇護する立場のつもりが、彼の意識は逆らしい。
「信じて欲しいとお願いしたところで、聞き入れて貰えそうにありませんね」
 何しろ今日初めて会った身だ。肩を竦ませて言うと、胡乱気な視線を向けられた。
「あなたの、何を信じろと?」
「そうですね……、私の目的、でしょうか」
 彼の顔にひたりと視線を置いた雅は、懐に忍ばせていた守り刀を抜いた。前田は怪我と疲労で意識が朦朧とし始めていたが、自分に向られた刃にハッと我に返った。
「なにを……!!」
 すぐに柄に手をやったが、怪我を負った腕に痛みが走り、抜刀が遅れた。
 雅は取り乱す前田に構うことなく、水平に斬り払った。――彼の頭上スレスレを。
 キシャァァァ……。
 寸前まで迫っていた骨の化物が断末魔を上げて散ってゆく。前田は目を見張った。遡行軍の接近に、まったく気づけていなかったのだ。
 ポカンと間が抜けた顔で自分を見つめる彼に、雅は目元を和ませた。
「私の役目はあなたを無事に連れ帰ることです。薬研殿と約束したではありませんか」
「そ、それは、そうですが、あなたが僕を守っても何の得にもなりません。それなのに、……すみません」
 先ほどの遡行軍に負わされたのか、雅の頬には一筋の紅が走っていた。前田の視線に気づいて頬を拭うと、傷らしきものなどなかった。
「返り血です、お気になさらず」
 前田は一瞬だけ安堵の表情を見せたあと、眉間にしわを寄せて下を向いた。
「得はないとおっしゃいましたが、そんなことはありません。23世紀の政府に連絡をとって頂きたいのです」
「……そういえば、帰る手段を探していると言っていましたね」
 興味をそそられたのか、前田が顔を上げた。
「はい。私はいくつかの事故が重なった結果、あなた方の本丸へ飛ばされてきました。自分の本丸へ行くために、23世紀へ戻らなくてはなりません」
 遡行軍の本部強襲。突然の避難。時空の嵐の遭遇。全てが不可避な事態だったとはいえ、なぜか今、鎌倉時代の戦場にいる。戻れる術のない雅は困り果てたが、薬研が前田に政府と連絡を取るようにと言っていた。
 連絡を取れさえすれば――帰れるのだ。
「それなら、あなたの刀剣男士はさぞや心配を……、いえ、そちらの初期刀はどなたですか?」
「初期刀?」
 初めて耳にする単語に首を傾げた。
「あなたも審神者なら、打刀五口の中から一振りを選んだ筈です。あなたを守る刀剣男士を……そうだ、そうですよ。なぜ初期刀すら連れずにこんなところまで一人でやってきたのですか! ここは戦場です! 多少腕に覚えがあるようですが、あなたは人だ! 下手をしたら生命を落とすしていたかもしれないんですよ!」
 前田は途中から何かのスイッチが入ったらしく、説教モードに突入してしまった。しかし、分からないものは分からない。初期刀? 打刀五口の中から一振り? マニュアルに目を通したと言っても途中までだ。
「おっしゃっている意味が分かりませんが……」
「ですから、なぜ初期刀を連れてこなかったかと聞いているんです! あなたの薄情な初期刀は、加州清光、歌仙兼定、山姥切国広、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行の中の誰ですか!」
「誰でもありません。私に初期刀はおりません」
「ありえません」
 ふざけていると思っているのか、前田はイライラした様子だ。釣られるように雅の機嫌も急降下し始めた。
「ありえないと言われましても、居ない刀(モノ)を居るとは言えません! 審神者になったばかりの身で、初期刀はおろか、満足な説明ひとつ頂けないままに飛ばされてしまったんです!」
 理不尽を訴えたいのはこちらだ。愛刀の守り刀を握り締め、前田の前にズイと差し出した。
「居ない方を連れてはこれませんが、私の身など心配せずともコレが守ってくれます」
 強く言い切ると、彼はまたポカンとした顔を見せた。
「そんな小さな刀が……守ってくれると、信じているのですか? でも、どうせ新しい刀が手に入れば、古い刀は捨てるのでしょう?」
「……? おっしゃっている意味が分かりませんが」
 この刀は梅小路の家宝――雅のしるべであり、贖罪の形だ。
「私の生命はコレと共にあります。手放すなど、未来永劫ありえませんよ」
 あなたの腰にある大事な刀と同じです、と言うと、前田は、やっぱり分かっていませんね、と硬い口調で言い放った。
 つっけんどんな口調とは裏腹に、今にも泣きそうな顔で言うものだから、雅は反論に開いた口を閉じて押し黙った。うつむいた彼の頭を帽子の上からポンポンと叩く。やめてください、と小さな抗議が上がったが、話しかけたのに無視された意趣返しではないものの、聞き流すことにした。
 肩を貸すと言えば、今度は大人しく従ってくれた。
 今や戦場は遥か後方だ。
 過去に背を向けて、静かに扉を潜った。
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