07 明暗2
倒れてくる祖父を支えきれずに一緒に倒れた。膝の上でグッタリと上体を預けた彼は、喉からおびただしいほど血を流している。
「なに、が」
頭が真っ白になる。現状が理解できなかった。
「ご当主!」
「梅小路さん!?」
亀田と津留崎が驚愕の声を上げた。
「ああ、すみません……」
いつからそこにいたのか。ほんの目と鼻の先に、長く、太い骨の尾を生やした鈴木が立っていた。上手くバランスが取れないのか、右に左にフラフラと揺れている。
「す、ずき、さま?」
その手には紅く染まった刀が握られていた。
「狙い……が、ズレてしまいました。これ以上の邪魔が入る前に、仲良く、一緒に、と思いましたのに。そのまま、動かないで、くだ、さ……いね、今度は、外さないように、しま、す、か……ら」
一言重ねるごとに、顔からズルリと皮膚が落ちた。
「まさ……か、なぜ、こんな?」
頬が、唇が、眼球が、あらゆる肉がこそげ落ちてゆく。パキパキと音を立てて身体が歪む。バリッ。肩の皮膚を破って長い爪が飛び出した。頭からは角がのぞいている。
「歴史は正さなければならないんです。あなたもすぐに理解できますよ」
髑髏が嗤い、鬼火が舞う。落ちくぼんだ眼球のない目の中には、青白く不気味な光が宿っている。女の皮を脱ぎ捨てたソレは、歴史修正主義を謳う時間遡行軍の姿をしていた。
髑髏が腕を振った。無慈悲に刀を振り下ろしたのだ。
亀田と津留崎が声を張り上げた。逃げろと叫ぶ。彼らは異変を察知してすぐに駆け出していたが、彼女の元へは未だ距離がある。叫ぶしか出来なかった。
雅は逃げなかった。避けるでも戦うでもない。ただジッと、我が身に迫る、血に濡れた切っ先見つめていた。
(……血が、こぼれる)
スローモーションのように、ゆっくりと刃が近づいてくる。こぼれた雫が空気の抵抗を受けて楕円に広がった。
あの雫も温かいのだろうか、と詮無いことが気になった。
ギン゛ッ!!
彼女に届く寸前、凶刃がはねのけられた。
「危ない、あぶない。娘よ、恐ろしくて動けなかったのか? 斬られたいわけではあるまいに」
一足先に追いついた三日月が、遡行軍との間に割り込んだ。
「……すまんな、俺の落ち度だ」
「………………」
雅は何も答えられずにうつむいた。決して斬られてもいいと考えたわけではない。ただ、何も考えられなかったのだ。
「これ以上はさせぬぞ。俺が相手をしよう」
三日月は威嚇するように髑髏に刃を向けた。亀田と津留崎も追いつき、小銃を構える。二人とも、決定打は与えられずとも壁の役目くらいにはなるつもりだった。
雅は緊張感の高まる周囲を余所に、糸の切れたマリオネットのように座り込んでいた。気配で遡行軍が去ったと分かったが、既にどうでも良く、膝の上の祖父をぼんやりと見ていた。
一目で理解してしまった。
祖父はもう助からない。
守るべき存在の命が尽きようとしている。
先程から少しも頭が動かなかった。凍りいてしまったかのようだ。身体までもがすっかり固まって、指一本動かせずにいた。
「 」
祖父の唇がかすかに動いた。機能を失った声帯は意味のある音を紡ぎはしない。それでも、声にならない声を確かに聞いた。
「……諦めてしまうのですか? 貴方らしくもない」
聞きたくもない残酷で温かな言葉が、凍った頭にジワリと染みてゆく。
「 」
すぐそばで亀田と津留崎が大声で何かを言っている。だが、不思議と彼らの声は耳に届かなかった。届くのは、祖父の、声にならない声だけだ。
「そうですね……。それでこそ、お爺さまです」
「 」
苦しいだろう。死の淵に立っているというのに、邪気に蝕まれたせいで、痛覚を失う救いすら与えられず、ずっと激痛にさらされ続けている。
にもかかわらず、呻くように笑うだ。
「いいですよ」
だから彼女は、弱弱しくも、かつてと同じ言葉を繰り返した。
望んでいたのは、手を差し出したのはどちらだったのか。今となっては瑣末な問題となり果ててしまった。
「ひと思いに楽にしてやれ。このままでは魂を掠め取られるぞ」
反射的に手中の守り刀を握り締めた。
(なにが……なにが、守り刀か!)
自分がコレを持つ意味はなんだったのかと、自責の念ばかりが強くなる。きつく噛み締めた唇から血が流れた。
「おい、三日月っ! 他に方法はねぇのか!?」
彼は繁幸を殺せと言っている。青ざめた亀田がすがるような悲鳴を上げた。
「ない。この者の器は壊れる寸前だ。邪気に魂を掴まれているこの状態で生命を落とせば、間違いなく持っていかれるぞ」
「そ、そんな、この人が死ぬ? 馬鹿な、ありえない!」
亀田は信じられないものを見るような目で繁幸を凝視している。
「身体ごと奪うつもりなら抗いようもあったが、身体を壊した上で持っていこうとしているな。俺は止めるすべをひとつしか知らぬ。逆に問うが、お主らの技術ならば、この者の器を癒せるか?」
「「………………」」
亀田と津留崎は揃って沈黙した。それが答えだった。
三日月はふむ、と思案して雅に向き直った。
「若い娘に身内を手にかけろとは酷な話だったな。娘、俺が代わろう。場所を代われ」
三日月はスッと自身を構えた。天下五剣の、最も美しいと言わしめた刀身が鮮やかに煌めいた。