おやゆび姫 1
四季折々の花々が咲き誇る、それはそれは美しい国がありました。花の国と呼ばれるその国は、そこに住まう小さな者達の楽園だったのです。彼らは背中から生やした羽で、花々の間を優雅に飛び回ります。ピカピカと光る半透明の綺麗な羽は彼らの自慢でした。
花の国には皆に慕われる王様とお妃様がおりました。二人は大変仲睦まじく、二人の王子をもうけました。二人はとてもチャーミングな男の子に成長しました。しかし兄に比べて弟はとてもやんちゃ者でした。女の子のスカートを捲ったり、大臣が必死に隠していたカツラの秘密を大声で教えて回ったりと。時にやんちゃが過ぎて周りを怒らせてしまうこともありました。
ある日のこと、とうとう怒らせてはならない相手を怒らせてしまいす。その相手とは魔女だったのです。彼女の場合は逆恨みとも言えましたが、激高した魔女はそんなことなどお構い無しです。魔女はローブで顔を隠しながらも、豊かな肢体を惜しげも無く晒した露出の高い格好をしています。
魔女が聞いた事のない呪文を唱えると、誰もが褒め称える王子の美しい羽が無残に引き千切られてしまいました。王子は飛べなくなったと嘆きますが、魔女の怒りは収まりません。
「わたくしの虜にならない王子よ! その姿を醜く変えておしまい!」
なんと恐ろしい呪いまで掛けてしまったのです。すっかり元気を失くした王子に王様は優しく語りかけます。
「いつまでも嘆いていてはいけないよ。確かに君の美しかった羽は無くなってしまい、姿まで変わってしまった。だけどね、空を飛ぶ方法は一つだけではないんだ。物語冒頭の粗筋を読んだだけで全てを見通した気になってはいけないように、君も簡単に諦めてはいけない。この世は君が思うよりもっと深く謎めいているのだよ」
王様は王子にとても不思議なアドバイスを与えてから、ニッコリ微笑みました。隣にいる王妃様も笑っています。
「折角の機会だ。王家に伝わる伝統に則って、少し旅に出てきなさい」
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とある森の奥で、困り果てて蹲る小さな小さな女の子がいました。彼女は親指ほどの大きさしかなかったものですから『おやゆび姫』と呼ばれておりました。彼女は大きな葉の下で雨宿りをしておりました。突然雨が滝のように降り始めたので、家へ帰れなくなってしまったのです。
途方に暮れる彼女の背後から、彼女より一回りも二回りも大きな影が忍び寄りました。ヘビです。ヘビは自分に気付いていない彼女を一飲みにしてしまおうと、大きく口を開けてじわりじわりと近づいていきました。
「危ない! お嬢さん、掴まって!」
間一髪でした。ヘビが口を閉じようとした瞬間、急降下してきた真っ黒なツバメがおやゆび姫を救ったのです。空高く舞い上がるツバメの背に乗せられたおやゆび姫はとても驚きました。ヘビに狙われていたと教えられたおやゆび姫の小さな心臓がドキドキと早鐘を打ちます。
「ツバメさん、助けてくれてありがとう。けれど、貴方まで雨に濡れてしまいましたね」
「このくらいどうってことありませんよ。間に合って良かった」
おやゆび姫は己の危険を顧みず、恐ろしいヘビの前に飛び込んできた勇気あるツバメに感謝して、家へ招待することにしました。ツバメはおやゆび姫が指差す方向へ向かって翼をはためかせます。
雨の中を飛び続けるツバメが少しでも濡れないようにと、おやゆび姫は自分の小さな身体を懸命に伸ばしてツバメを覆いました。その手は風で飛ばされては大変と、ツバメのモノクルを掴んでいます。ツバメは冷たい雨に打たれているのに、ポカポカと胸が温かくなるのを感じました。
家に帰り着くと、野ネズミのお母さんがおやゆび姫を抱きしめました。
「遅いからすごく心配したのよ」
「お母様、心配かけてごめんなさい。ヘビに襲われたところをツバメさんに助けて貰いました」
「まあ! またあのヘビが? あたしが傍にいればとっちめてやったのに!」
娘の危機を知ったお母さんは大変憤りましたが、彼女が無事だったことを喜び、ツバメに御礼にと沢山の御馳走を振る舞いました。御馳走の食べ過ぎで三人のお腹がはち切れんばかりに膨らんだ頃、ツバメが尋ねました。
「お二人は親子なのですか?」
ツバメが全く似ていない二人を不思議がるのは当然でした。野ネズミのお母さんは事情を話しました。
今から一年程前の事です。お母さんが川へ水を汲みに行くと、気を失ったおやゆび姫を背負ったカエルに出会いました。息子のお嫁さんにぴったりの子を見つけたとカエルが言っていたので、お母さんはすぐにおやゆび姫が誘拐されたのだと分かりました。自慢の腕前で彼女を救ったまでは良かったのですが、余程怖い目に合わされたのか、おやゆび姫はこれまでの記憶をすっかり失っていました。それ以来、二人はまるで本当の親子のように仲良く暮らしてきたのです。
「おやゆび姫という名前もあたしが付けたのよ。可愛らしいこの子にピッタリでしょう?」
お母さんネズミが誇らしげに言います。ツバメは頷きました。ツバメも彼女にピッタリだと思ったからです。
「それは大変でしたね。何か覚えている事があれば教えてください。私はこれまで沢山の国を旅してきました。宜しければ力になりましょう」
ツバメはとても優しくて愛らしいおやゆび姫の事がすっかり好きになっていました。彼女の力になりたいと、バサバサと力強く羽をはばたかせます。おやゆび姫は少し考えて言いました。
「覚えている事はあまりありません。黄色いチューリップに抱かれているような、とても暖かな記憶……覚えているのはこれだけです」
余りにも少ない手がかりでしたが、ツバメは驚いたように声を上げました。
「もしかしたら、貴女は花の国の出身かもしれません!」
ツバメは熱心に語ります。遠く遠く離れた花の国の民は、みな花から生まれるというのです。ツバメは、おやゆび姫は黄色いチューリップから生まれたのかもしれないと目を輝かせます。しかし、自分の出生を聞かされたおやゆび姫とお母さんネズミはどんどん顔を暗くしてゆきました。
「ごめんなさいツバメさん、折角教えて頂いたのだけれど、わたくしはずっと此処にいたいのです」
おやゆび姫は申し訳なさそうに言いました。
「この子はもうすぐお嫁に行くのよ」
ツバメは大変ショックを受けました。おやゆび姫はもうすぐお母さんの勧めでモグラのお嫁さんになる事が決まっていると言うのです。今日もモグラの所へ出掛けていたと言うではありませんか。おやゆび姫がお嫁に行くからでしょうか、お母さんもツバメに負けないくらい悲しそうな顔をしています。
「モグラさんはとても格好よくてお金持ちで良いヒトよ。きっと貴女を幸せにしてくれるわ」
寂しそうなお母さんの顔を見て、おやゆび姫まで寂しそうな顔をします。すかさずツバメが尋ねました。
「貴女は自分が生まれた国へ行きたくないのですか?」
ツバメにはおやゆび姫がモグラと結婚したがっているようには見えませんでした。けれど、おやゆび姫は頭を横に振るばかりです。
「次に太陽が顔を見せたら……」
おやゆび姫は自分の部屋へ逃げるように駆け込んでしまいました。次に光り輝く太陽が顔を見せたら、おやゆび姫はモグラのお嫁さんになるのだと、お母さんが教えてくれました。
外ではあんなに酷く振り続いていた雨がすっかり上がり、星の光が瞬いていました。