- ナノ -


国境を越えて:01


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早朝、誰よりも早く起床した俺は身支度をしてから外に出た。
まだ出発には早い時間だ。早朝の冷えた空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
街の人はちらほらと見えるものの、昼間ほどの活気はない。

軽くストレッチをしてから、街を探索する。

神託の盾兵の姿は見えない。どうやら撤退したようだ。
これならカイツールに向かうことができる。
ぐるりと街を一周し、再び宿屋の前へと戻ってきた。

「おはようございます、ルーク様」

「あぁ……あんたか」

赤い髪を揺らしながら振り返り、ルークは眠たそうに目を擦った。

「そういや、様とか敬語とかいらねぇよ……なんかウゼーし」

貴族らしからぬ言葉に俺は苦笑しつつ、分かったよと頷いた。
ルークと会話を交わしているとジェイドが宿から出てきた。
寝ぼけている様子もなくしっかりした表情だ。

「おはようございます、大佐」

「えぇ、おはようございます、ナツキ、ルーク」

朝の挨拶を交わし、俺はジェイドに神託の盾兵がいないことを伝える。
ジェイドは頷き、それから両手を腰のポケットへと突っ込んだ。

女性陣が出てきたのはそれから30分ほど立ってからだった。
一番最後に出てきたティアがごめんなさいと謝罪する。

「では行きましょうか」

ジェイドの一言で俺達はセントビナーを出発した。

ローテルロー橋が漆黒の翼のせいで落ちてしまったため、フーブラス川を渡らなければならなくなった。
確かに川を越えた方が最短ルートなのだが、少々面倒だ。
今の時期は川の水流が穏やかなため越えることができる。それだけは幸いだった。
勢いが強いときは足元をすくわれ、下手すりゃ海まで流されることもあるだろう。

道なりに進み、木々が生い茂る森を横手にずんずんと突き進む。
と、灰色をしたとがった岩がごつごつ生えている場所が見えてきた。
あの辺りが比較的水流が穏やかで水深も低い。
靴は濡れてしまうだろうが、身体全部が濡れない分マシだ。

「うへぇ……きもちわりぃ」

片足を上げ、ルークは不満げに声を上げた。
導師イオンでさえ文句言わずに川を渡っているというのに。

ミュウは流される恐れがあるので俺の肩に乗せている。

「まあ、仕方のない事だな」

「おや?ナツキ、敬語はやめたのですか?」

ルークに対して普段通りの口調である俺が珍しかったらしい。
前を歩いていたジェイドが振り返った。

「ルークとガイには。大佐は上官なのでいつも通りですよ」

つれないですねぇ。ジェイドは至極残念そうに笑った。


川を渡り終え、すぐだった。

ダンッ――

目の前にライガが飛び降りてきた。
すぐに俺はイオンとルークの前に出て、中腰になる。

「後ろからも誰か来ます」

ジェイドが振り返ると、そこには教団服に身を包んだピンク色の髪の女の子がいた。
妖獣のアリエッタだ。六神将の一人である彼女は魔物と対話しそして使役するそうだ。

人形をぎゅうっと抱きしめ、彼女は強張った顔をしながらも強く俺達を睨んだ。

「アリエッタ!見逃してください!あなたなら分かってくれますよね?戦争を起こしてはいけないって!」

イオンが前に出てアリエッタに叫んだ。
イオンの言葉に僅かにアリエッタの目が揺らいだ。
が、すぐに彼女は首を振り、俺達を睨んだ。

「イオン様のこと……聞いてあげたいです……でも、その人達、アリエッタの敵!」

「彼らは悪い人ではないんです」

イオンは首を振り否定する。
するとアリエッタは人形に顔を埋めながら弱弱しい声で言った。

「ううん……悪い人です……だって、アリエッタのママを――」

次の言葉に俺は驚いた。

「――殺したもん!」

いつ、彼女の母君を殺しただろうか。
俺はすぐに記憶の糸を辿った。が、彼女のようなピンクの髪の女を殺した覚えはない。

全員がアリエッタの言葉に驚愕した。

「アリエッタのママはお家を燃やされてチーグルの森へ住み着いたの。
 ママは子供たちを……アリエッタの弟と妹達を守ろうとしただけなのに……」

「まさか……」

ライガクイーン?あの凶暴なライガクイーンがアリエッタの"ママ"だというのか。
しかし今の説明ではそれしか思いつかない。

「彼女はホド戦争で両親を失って、魔物に育てられたんです。
 魔物と対話できる能力を買われて、神託の盾騎士団に入団しました」

イオンの説明で漸く点と点が繋がった。
それで、俺達はアリエッタにとって母親の敵というわけか。
可哀想なことをしたと思ったが、魔物は普通の人間にとっては害悪でしかないのだ。
いくらアリエッタが人を襲うなと命令したとしても、魔物はご飯のために人間を襲うだろう。

「アリエッタはあなた達を許さないから!地の果てまで追いかけて……殺しますっ!」

怒りと憎しみと、そして悲しみの混ざった眼光が俺達を貫いた。
随分と重たい言葉だった。一触即発という瞬間。
それは突然に訪れた。

ドドドドドドド――

地を揺るがす音がして地面に亀裂が走った。
足元にも亀裂が走り俺は半歩脚を下げる。
亀裂から蒸気のようなものが噴出する。丁度足元から出たせいで思わずそれを吸い込んでしまう。

「――ぐっ……」

「中佐!?」

吸い込んだ瞬間、ぐらりと視界が揺れ膝をついた。
突然屈み込んだ俺にティアが叫んだ。

「いけません!瘴気は猛毒です!」

「吸い込んだら死んじまうのか?」

「長時間、大量に吸い込まなければ大丈夫。とにかくここを逃げ……」

不自然にティアの言葉が止まった。
亀裂が隆起し、道を塞ぐ。ジェイドもガイも瘴気を吸わないように手で口元を覆っている。
アリエッタとライガはかなり吸い込んでしまったらしく、ぐったりと倒れている。
このままでは恐らく彼女達は死んでしまうだろう。

「仕方ないわね……トゥエ レィ ズェ クロア――」

ティアが突然譜歌を歌いだす。
足元に陣が浮かび、辺りが真っ白な光に包まれる。

次、目を開けたときには瘴気は姿を消していた。

「瘴気が持つ固有振動と同じ振動をぶつけたんですね」

「えぇ、良く分かったわね」

口を覆っていた手を外し、俺は立ち上がった。
まだ少し具合は悪いが先ほどよりは幾らかマシになった。

「とりあえず、此処から逃げましょう」

ジェイドに向かって声をかけると、彼は頷くと同時に槍を出現させてアリエッタに向けた。
ルークが咎めるように叫んだ。

「や、やめろよ!どうして殺そうとするんだ!」

「生かしておけば、また命を狙われます」

淡々とジェイドは正論を言う。
その表情に感情はない。

「だけど、気を失って無抵抗の奴を殺すなんて……」

「酷い、か。甘いな」

敵に甘すぎるルークが呆れと共に羨ましくなる。
今まで生死に関わることがなかったんだろう。まるで籠の中の鳥のようだ。
飛ぶ事を知らず、そして世界を知らない。
それが、幸せなのか幸せではないのか俺の知るところではないが、平和といえば平和だろう。

「見逃してください、ジェイド」

黙っていたイオンが静かに言った。
イオンの言葉に肩越しにジェイドが振り返った。
随分とつめたい眼光だった。

「アリエッタは元々僕付きの導師守護役なんです」

「……まあ、いいでしょう」

しぶしぶといった風にジェイドは武器を腕に収めアリエッタに背を向けた。

「瘴気が復活しても当たらない場所に運ぶぐらいはいいだろ?」

暫く事の成り行きを見守っていたガイが提案する。
文句は言いませんよ。とジェイドがため息を付いた。

俺とガイの二人でライガとアリエッタを瘴気の出ていない岩壁の傍へ寄せた。
勿論ガイはライガを運び、俺はアリエッタを運んだ。

気を取り直し、俺達は目的であるカイツールへ足を進める。
フーブラス川を越えればカイツールは目前だった。
海岸沿いに進むと、目の前に高く聳え立つ塀が見えてきた。あれが、国境だ。




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