クリスは俺が資料を読んでいる間にコンピュータに入っているデータを見終えたらしい。 先ほど入ってきた扉とは別の扉を開ける。
部屋から廊下に出た俺たちを待ち受けていたのは、血痕と鋭い爪あとがついた壁だった。
「な、なななにこれ?」
壁を抉る様に付けられた爪あとと血を指差しながら菜月がどもる。
「何かいるみたいだな……ナツキ、銃を持っておけ」
「う、うん」
眉間にしわを寄せながらクリスが爪あとをまじまじと見る。 そして、菜月に指示をだす。 俺は言われたとおりにガンホルダーからハンドガンを取り出す。 グリップが汗で濡れて、気持ち悪い。
俺たちが廊下を走る音しか聞こえない。 まるで、誰もいないかのように……本当に、誰もいないのかもしれない。生きている人間は。 一体何が起こったのだろうと思うほど、廊下は悲惨な状態だった。
血が天井から壁から床まで色をつけていた。 その横には必ず大きな爪あとが残されている。 曲がりくねる廊下の突き当りには、ハンドルつきのドアが待ち構えていた。
クリスがハンドルを回しロックを外した。 中は薄暗く視界が悪かったが、足元が血に濡れているのは分かる。 シャッターが道を塞いでいるため、レバーを引きシャッターを開けた。
「……ひぃ!」
機械式らしく僅かな機械音を立ててシャッターが開いたのと同時に、 左上に向かってガラスの向こうを何かが過ぎった。 今度は間違いなく何かがいた。俺は引きつった顔をして、何かが去った場所を見つめた。
「ナツキ、いくわよ!」
「ちょ、シェバァアア!!??」
シェバがガラスをナイフで叩き割り、ものすごい音を立ててガラスが床に落ちた。 菜月は先ほどの化け物のことなど頭から吹き飛び、シェバの名を叫んだ。 ど、どんだけ勇敢なんですかぁあああ!!?? ガラスをナイフでわるって、怪我するでしょッ!!??
しかし、シェバはガラスの破片を頭から被ったはずなのに、傷ひとつ付いていない。 シェバの頑丈さに一頻りビビると、菜月はガラスの向こう側に行った。
「あ、わんこ」
幾つもの檻の中に犬やヤギがそれぞれ一匹ずつ収納されていた。 そのうちのひとつに菜月は寄り、適当に呼んでみる。
「わんこ〜、こんなところにいて怖くないの?」
名前なんて知らないのでわんこと呼びながら、柵の間から手を差し伸べる。 だが、犬はくぅーん、くぅんという弱々しい声を上げて、檻の隅に小さくなってしまった。 俺は怖くないよ〜なんて言っても、犬に通じるわけがない。 拒否されてちょこっと落ち込みながら、やっぱ怖いんだろうなと思って菜月は檻の前から立ち去る。
ガシャーン!!
ガラスの割れるような大きな音に菜月は顔を上げた。 一番奥の方でクリスがショットガンを構えている。
「何だこいつは―――!!?」
菜月は銃のグリップを力強く握り、駆け寄った。 クリスの持つショットガンが大きな音を立てる。
「な、なにこいつ!!?」
その見たことのない形状のイキモノを見て、菜月もクリスと同じ意味の言葉を叫ぶ。 僅かな灯りに照らされて桃色の四肢がテラテラと光る。 両前足には鋭い大きな爪が三本、小さな親指が一本ずつ付けられていて、 後ろ足には大きな爪はなく、それよりも太い太ももが特徴的だ。 頭には脳……らしきものが飛び出し、目は無い様で代わりに大きな蛇のような口がある。
こんなイキモノどの動物図鑑を探しても、見つかりやしないだろう。 シェバもマシンガンをそれ――リッカーβに打ち込んでいくが、効いていないのか動きを止めもしない。
大きな爪を煌かせながら、飛び掛ってくるリッカーβをサイドステップで避ける。 桃色の体が軽々と横を通り抜けていくのを冷や汗かきながら眺める。 あんな爪で串刺しにされたら、一溜りもないだろう。 さっき通った廊下のような、血飛沫を撒き散らしながら絶命するであろう。
それを想像して、菜月は顔を蒼くさせた。
ある程度距離を置いて菜月は銃を連射する。 やはり9ミリパラベラム弾ではたいしたダメージを与える事が出来ないようだ。 しかし、多少のダメージくらいはあるはずだ。そう信じて撃ち込んでいく。
銃など怯えもせずににじり寄ってくるリッカーβに菜月は後ずさりながら銃を発砲する。 そこで、リッカーβが前足を上げた。 何らかの攻撃態勢であろうと感じた菜月は身構える。
――この距離からじゃ爪は届かないはず……じゃあ、何をするつもりだ?
脂汗がじわりと滲む。 リッカーβがガパリと口をあけて何かを伸ばしてきた。 その速さ僅か0.1秒。
「ガハッ――!」
避ける間もなく首に巻きついた何か――口から出ているってことはおそらく舌だろう。 力強く首に巻きつくそれは、菜月の酸素を補給を許してくれない。
苦し紛れに舌を握る。 ぬめぬめした感触が手にあたる。気色悪いとかそんなこと言ってられない。 渾身の力を込めて菜月は舌を握った。
ブチブチ――
舌が千切れる嫌な音とともに菜月は苦しさから開放された。 首に残った舌の先を地面に叩きつけるように捨てて、酸素を一気に補給する。
「ナツキ大丈夫か!?悪い、もう一匹の奴に手間取ってな」
クリスがショットガンをリッカーβに撃ちこみながら此方に走ってきた。 リッカーβが怯んでいる所にシェバがマシンガンで応戦している。
ぜぇぜぇ、と荒い息をしながらも、片腕を上げてクリスに無事だということを知らせる。 というかこいつ二匹もいたのか……。 これ以上こいつらの相手するのは嫌だ。
ダァン!
クリスの放った一発が決着をつけたようだ。 リッカーβは壁に叩きつけられ、そのまま床に崩れ落ちぴくりとも動かなくなった。
はぁー、と長く深い安堵のため息をつくと、菜月はハンドガンの弾を銃に詰め込んだ。 奴らのお陰で随分と弾を消費してしまったようだ。 軽くなったかばんの中を覗き何があるかを確認する。 んーと、救急スプレー1本とハンドガンのマガジンが2本、マグナム一丁、後はタオル1枚。 マガジン2本だけってのはちょっと不安だが二人と一緒なら何とかなるだろう。
というか自分何も持たなさすぎだ……。 救急スプレーもマガジンもマグナムも、後から手に入れたものだ。 ということは、初めから自分で持っていたものはタオル1枚のみということだ。 菜月は自分に呆れながらも、かばんのチャックを閉めた。
「首は大丈夫か?」
「何とかねー」
川の向こうでおばあちゃんが手を振っていたのが見えたのは気のせいなはずだ……多分。 菜月の返事を聞き、クリスはそうかと言って菜月の頭をくしゃっと撫ぜた。
「うお、やめろよ」
髪の毛をかき混ぜられて、菜月は表面的には嫌がりながらも心の中では嬉しかった。 クリスに撫でられると、安心できる。 誰にも見られないように菜月は小さく笑った。
ずっとクリスとシェバと一緒にいれたらいいのに、
なんて、思う俺はどうかしてるんだろうか……?
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