- ナノ -






細やかな希望があったとしても、絶望が大きければ押し潰されるのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。一日、二日、三日と何も変わらぬ酷い日々を重ねると、やっぱり希望なんて無かったんだと思い直す。

ベッドに転がったまま、痩せ細った腕で身体をかき抱いた。あちこちが痛んで起き上がる気力もない。

鈍い音がして、扉が開いた。入ってきたのはツォンだ。怯えて身体を縮こまらせたスミレを一瞥し、ベッドの空いたスペースに簡素なご飯が乗せられたトレイを置く。

「今日は忙しくてな……お前に構っている暇がない。良かったな」

そんな言葉をかけられてスミレは戸惑った。いつもなら無言でトレイを置いて去っていくのに、どうしてわざわざ声をかけてきたのだろう。無言のままのスミレにツォンは気にした様子もなく、そのまま部屋を出ていった。

ツォンが出ていってから数分後、スミレはやっとのそのそと身体を起こしてトレイを引き寄せる。二日振りのご飯だ。内容は薄い食パンと具材のないシチュー。珍しい。いつもは乾いたパンと塩のスープなのに。

ほんの少しだけ気分が持ち上がるのを感じながら、スミレは食パンにかじりつく。ぱさぱさで味は悪かったが、食べ物にありつけるだけ満足だった。

咀嚼し、飲み込む。食パンを食べきるのに五分も掛からなかった。満たされない胃袋が小さな音を立てる。スミレはいそいそとスプーンを掴むと、シチューを口に運んだ。

「まずい……」

持ってこられるご飯はどれもあまり美味しいものではなかったが、このシチューはダントツに不味い。舌先にぴりぴりとした苦味が纏わりついてくる。それでも数少ない食料だから、と我慢して嚥下した。

「……っ」

時間を掛けながらゆっくりとシチューを食べていたら、視界が揺れた。猛烈な気分の悪さと共に指先が痺れてきて、スプーンを取り落とす。

カチャン──

床に落ちたスプーンが音を立てて跳ねた。拾いたいのに、身体がうまく動かない。酷い目眩と吐き気がして、痙攣する指先で何とか口許を押さえた。

何で、こんな──まさか、毒?

思い当たった答えにスミレは呆然とシチューを見つめる。妙に不味かったのも、舌がぴりぴりしたのも全部毒のせいだった訳だ。

「ぅ……がはっ、げほ……」

噎せるように咳をしたら、喉の奥から何かが溢れ出て手のひらが濡れた。血だ。血で手のひらが真っ赤に染まっている。吐血なんて──

「ぁあ……げほ、うぅっ……!」

喉元を押さえながら、全身を震わせた。だんだんと呼吸が出来なくなり、視界が霞む。徐々に近づいてくる死の足音が恐ろしくてスミレはもがいた。

死にたいとまで願ったのに、死を目前にするとどうしようもなく恐ろしくて、死にたくないと思ってしまう。怖い、嫌だ、誰か、助けて──意味もなく伸ばした手を誰かがそっと掴み、スミレの身体を抱き寄せた。

「……エスナ」

耳元で状態回復魔法が囁かれる。不思議な力が働いて、身体を蝕んでいた毒が一瞬にして消え去ったのを感じた。指先の痺れも目眩もなくなり、スミレは自身を抱き締める主を見上げる。

銀髪と、魔晄色の瞳──

「やっと、見つけた……スミレ」

穏やかに笑う男の声は確かにスミレが夢の中で聞いていた物と同じだった。ああ、そんな、まさか、セフィロスだったなんて。

「間に合って良かった」

スミレの頭を抱き寄せて、心底嬉しそうにするセフィロスにどう反応すべきなのかが分からず硬直する。というよりも身体を動かせるほどの体力がなかったのだが。
ずっと冷えきった部屋にいたからだろうか、人肌の温もりが心地よい。目を閉じて安心感に身を委ねているとぽんぽんと頭を撫でられた。

「──いくら英雄といえども、こんなことをされては困るのですが」

セフィロスの背後からツォンの声が聞こえた。剣呑な色を宿した声にセフィロスは首だけを動かして肩越しにツォンを見た。魔晄色の瞳が苛立ちを孕ませて細められる。

「何がだ」
「捕虜を助けるような真似を、です」
「この少女はウータイ兵ではない」
「何を根拠に──」
「さあな」

あっけらかんと吐き捨てる。つまりは適当。あるいは直感。ツォンもまさか英雄ともあろう人間が理由もなく捕虜を助けるなんて予想もしていなかったらしく、面食らった顔をしながら押し黙った。

「もし何か問題が起きたら……」
「その時は俺が責任を持つ」
「……わかりました。上にはそう伝えておきます」

セフィロスが一介のソルジャーだったならツォンは間違いなく食い下がり、突っぱねたのだろう。ギリギリまでツォンは許可を出すのを渋っていたが、最終的には折れ、仕方なくといった様子で承諾した。

「何があっても知りませんよ」
「構わないさ」

捨て台詞をさらりとセフィロスに流され、ツォンは閉口する。そして意味深な眼差しで一顧してから出ていった。

「さあ、俺達もここを出るか……いや、まずはお前の治療するべきだな」

セフィロスは弱った身体を労りながら優しくベッドに下ろし、まるで幼子を相手にするかのようにそっと頭を撫でる。ライフストリームにも良く似た淡い緑色の光がスミレを包み、瞬く間に痛みが引いていく。流石に大きな傷は跡になってしまったが、傷は全て完治していた。

初めて見る魔法に私は目を丸くさせて、傷があった筈の場所を指先でなぞる。

「治ってる……」
「まるで魔法を初めて見たような言い方だな」

実際、初めて見たのだけれども、そんなことをセフィロスは知るよしもない。セフィロスの言葉に何も返せず、スミレは誤魔化すように曖昧に笑った。

「これで問題ないな。さあ行こう」

手を引かれ、出入口へ連れられる。
やっと待ち望んだ拷問室の外──なのに、不安が胸を埋め尽くす。本当に外に出られるのか。もしかしたら別の拷問室に連れていかれるんじゃないか。セフィロスを信じきれず疑心暗鬼になっている自分がいた。

「どうした?」

スミレが足を止めたのに気付いて、セフィロスが不思議そうな顔をする。

私は俯き、口を噤んだ。『貴方を信用できない』なんて本音は言えなくて、かといってここでずっと蹲っている訳にはいかないのに。

黒いブーツの爪先が視界に入るのと、頭に手が乗せられるのは同時だった。

「……怖いか?」

尋ねられて、あからさまに肩を揺らしてしまった。図星だとバレただろう。助けてくれたのに怖がるなんて最低だ。俯いたままどうすることもできず沈黙する。

「安心しろ。俺はお前の味方だ……タークスにはもう手だしはさせん。もちろん科学部門にもな……だから、顔を上げてくれ」

懇願されてスミレはおずおずと顔を上げた。

「スミレ、俺はお前を裏切らない。だから、今は少しだけでいい、信じてくれ」
「……うん」

小さく頷くとセフィロスは柔らかく微笑んだ。
ゲーム内では見たこともない表情を浮かべるセフィロスの美しさに恐怖も忘れて見惚れてしまった。


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