- ナノ -





それから地獄のような日々が始まった。

ツォンは毎日来るわけではなかったが待遇が酷いことに変わりはなく、食事も満足にさせて貰えなかった。味気のないパンがひとつとほんの少し塩の味のするスープ。それが一日に二回。酷い時には一日一回しか無い時だってあった。食事はあの特徴的なヘルメットを被った神羅兵が運んできたり、ツォンが直々に持ってきたりしたが、後者の場合はそのまま拷問に続くことが多く、ツォンに対する苦手意識はより一層強くなっていた。

シャワーも浴びられず、身体は時々濡れタオルで拭くのみ。衣服の着替えも与えられない。

そんな辛い日々の中、唯一の癒しは眠る事だけだった。
優しい温もりに抱かれて揺蕩う夢の中だけが、私を安心させてくれる。苦しさも傷の痛みも夢の中だけは忘れられた。

ひとりだけの穏やかな時間。

ライフストリームのさざめきを聞きながら、膝を抱えて目を閉じる。ずっと、ここにいたい。目覚めたくなんかない。

「かえりたい……」

この星から日本に。私が住んでいた元の世界に帰りたい。けれど帰り方も分からない。国どころか星単位で場所が違うのだ。どうやって帰ればいいのだろう。
ネガティブな感情のまま考え付くのは”死”だったが、臆病な私にそんな事が出来るわけもなかった。死を想像するだけで足がすくみ、心臓が縮こまる。

出来るとすれば──ツォンの顔を思い描いて、俯いた。

「──誰か、いるのか?」

不意に聞こえた声に、私ははっとして顔を上げる。震える身体を掻き抱き、周囲を見回して声の主を探す。穏やかに光るライフストリームの流れの中に人の姿は見当たらない。声だけが遠くに聞こえた。

「そこにいるのか?」
「──っ」

問い掛けが繰り返される。男の声が今の私にとってはツォンと同様に聞こえ、恐ろしく感じて耳を押さえた。息を飲む小さな音を男は聞き逃さなかったらしい。

「……怖がらなくていい。俺はお前を傷付けたりはしない」
「…………、」
「ずっと泣き声が聞こえていた。それが今日ようやっとお前に言葉が届いた」
「ぇ……」

夢の中で泣き叫んでいた声をどこの誰とも知らない男に聞かれていたと知り、じわりと恥ずかしさが滲む。帰りたい。辛い。苦しい。助けて。もう嫌だ。死にたい──そんな言葉を繰り返していたような気がする。衝動のまま叫んでいたから定かではないが。

「何がお前を苦しめる?」
「ぁ……え、と……」

果たしてこの得体の知れぬ男に、事実を告げていいものか分からず言葉に詰まる。

「話したくないか?」
「……まだ、怖い……」

ツォンの事を、拷問の事を、全てを言葉にするのも怖く、男が信用に足る人物かを推し量るにはまだ早すぎた。

「そうか……なら無理には聞かない」

落胆した気配がしたが、男はそれ以上なにも聞いてはこなかった。再びライフストリームのさざめきだけが響く空間に戻る。しかし、今までの空間と少しだけ違う。

静かな空間にひとりぼっちではないと分かって、心なしか気持ちは和らいでいた。


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