- ナノ -


ウロボロス・アヘリを退けたナツキ達は再び船橋に戻っていた。赤い警告灯が光り、館内放送が流れている。アヘリとの戦闘で大暴れしたせいで船のどこかしらに不具合が生じたようだ。

「──待て」

何かに気付いたクリスが制止をかけ、とあるモニターに近づいた。先程とは画面が変わっていて、黒い戦闘機らしき物が映し出されている。

「爆撃機……!?ジルの言ってた世界中にばら撒くって……」

「こんな物まで用意していたのか……」

クリスが苦い顔をして呟く。もしこれが空に飛び立ったら、なんて考えたくもない。それこそ世界の終わりだ。

音もなく画面が切り替わり、不鮮明だが黒い人影が映った。

「ウェスカー!」

クリスが叫んだ名前にギクリとする。あの暗い赤色に睨まれた時の事を思い出して心拍数が上がる。大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせたが、正直、次会ったときに正気でいられる自信がない。
もしかしたらまた操られてしまう可能性だってある。そうなったら──

「!」

不意に電子音が響き渡り、ナツキは思考を止めた。出所はクリスのモバイルのようだ。クリスが画面をスワイプして着信に応答する。

「ジル!?無事なのか?」

電話相手はどうやらジルさんらしい。出会ったのがウェスカーとの戦闘の時だったから殆ど記憶にないが無事で何よりだ。
ひょこりとクリスの脇からモバイルを覗きこむと画面の向こうのジルさんが少し目を見開いた。

『貴方も無事だったのね』

「あ、うん。何とか。ギリギリだったけど……」

本当に操られる一歩手前で踏ん張れたのは奇跡だった。半笑いを浮かべてナツキは遠い目をする。

『……それよりも良く聞いて、ウェスカーの能力、あれはウィルスのせいなの。ウィルスは不安定で、それを安定させるために奴は薬を投与しているわ』

「……じゃあ薬を打たせなければいいんじゃ……?」

そうすれば少しくらいはウェスカーに痛手を負わせれそうだ。方法は想像もつかないけれども。
ナツキの提案にジルさんは「残念だけど」と前置きして首を横に振った。

『少し前に使っているの。次の投与は当分先よ』

「ってことは……」

良い案だと思ったのだが、そう都合良くはいかずナツキは肩を落とす。

『だけどその薬、分量を間違えると危険らしいの。大量摂取は奴にとって毒と一緒のはず。確か薬のラベルは"PG67A/W"だったはずよ』

「"PG67A/W"!?」

『私は脱出する方法を考えるわ』

不意に映像と音声にノイズが混じる。此方の声も向こうには届いていないのか、クリスが「ジル?」と問い掛けてもジルさんは返事をせず一方的に言葉を続けた。

『あなた達は薬を探して。エクセラが持ってたはずよ──』

「ジル?どうした、ジル!」

強制的に通信が切れ、ツーツーと虚しい機械音声が響く。恐らく敵に通信を妨害されたのだろう。それでもジルさんの無事をしれただけ良かった。

「ねぇ。ジルが言っていた"PG67A/W"って……これのことよね?」

シェバが腰に着けたポーチから白いペン型注射器を取り出した。その側面に貼られたラベルには確かに"PG67A/W"と印字されている。ナツキが知らない内に手にいれていたようだ。

「試す価値はありそうだ」

「だね」

顔を見合わせて力強く頷いた。





船橋の奥のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが駆動する鈍い音を聞きながら、三人は言葉を交わす。

「爆撃機でミサイルを!?でも、そんなもので飛び立っても落とされるのがオチ……」

「まさか……」

ウェスカーの思惑に気づいて、クリスを見た。険しい顔のままクリスが頷く。

「そのまさかだ。一度飛び立てば落とせない。落とせばそこからバイオハザードが始まる」

「目的は確実にウイルスを拡散させること……?」

「恐らくな。想像していた中で最悪のケースだ。何としても止めないと……」

タイムリミットはウェスカーが爆撃機を起動させるまで。となると残された時間は少なそうだ。耳触りのいいエレベーターの到着音が鳴り響き、扉がスライドする。二人が先行し、銃を片手に外に出た。

(俺がいたら危険なんだろうな……)

二人は優しいから大丈夫だと言ってくれたけれどナツキが化け物であることに変わりはない。それがどうしようもなく虚しく、どこまでもナツキの心に重くのし掛かる。

(……化け物が何悩んでんだか)

自嘲気味に口元を歪め、少し遅れながらエレベーターを降りた。
赤色の警告灯が辺りを照らし、熱気が全身を撫でる。女性の淡々としたアナウンスが流れていた。

『警告。機関部にて火災発生。警告。第一隔壁を閉鎖します。乗員は速やかに退避して下さい』

退避しろ、と言われても機関部には武装したマジニが大量発生していて、ちょっとやそっとでは全滅しきれなさそうだ。スタンロッドを手に向かってくるマジニをシェバがマシンガンで蹴散らす。二人から弾を貰いつつ、ナツキも応戦した。

『警告。第二隔壁を閉鎖します。乗員は速やかに退避して下さい』

次いで別の隔壁の閉鎖をアナウンスが告げる。目の前で巨大な鉄壁が通路を封鎖した。面倒だがどうにかして開けるしか無い。今までの経験上どっかしらにレバーか何かがあるだろう。

「うわっ!?」

どん、と目の前で爆発が起こり、それにマジニが巻き込まれて吹っ飛ばされた。エネルギーを循環しているからか、至るところで定期的に爆発が発生している。うっかり巻き込まれて大火傷なんてしたら笑えない。
タイミングを見計らい、通路を抜けた。

「よし、隔壁を開放するレバーを見つけた!引くぞ!気を付けろ!」

隔壁で閉鎖され、範囲が狭くなった機関部で操作レバーを見つけるのは容易く、真っ先にたどり着いたクリスがレバーを引き下ろす。鉄の隔壁が鈍く動きだし、その向こう側にもマジニが待ち構えているのが見えた。

「げっ」

自分に向けられた銃口に気付いた瞬間、ナツキは即座に転がって物陰に身を隠した。そのすぐ後に激しい銃撃が襲いかかり、ナツキが隠れた柱を抉る。心臓がきゅっと縮まった。ドクドクと鼓動が激しくなり、銃のグリップを強く握り締める。弾は有限だ。その内止まる。敵がマガジンを変える僅かな隙を狙おうと息を潜めながら待った。

「今だ!行くぞ!」

「らじゃ!」

銃声が止んだと同時に飛び出して一気に前進し、敵が引き金を引くよりも前に頭を撃ち抜いて確実に仕留めていく。第一隔壁が行く手を阻む。開放レバーは隔壁の両脇に二つ──同時に引く必要があるらしい。つくづく面倒な仕掛けだ。

「ナツキはそっちを頼む」

「うん!分かってる」

クリスが右側に行ったのを見て、ナツキは左側のレバーに駆け寄った。目配せして迷うことなくレバーを引き下ろす。

『第一隔壁を開放します。付近の乗員は注意してください』

アナウンスが流れ、隔壁が動き出す。その時だった。びちゃ、と水分の多い何かが落ちる音が背後で響いた。聞き覚えのあるその音に冷たい汗が背中を伝う。

「──っ!」

シェバの声が遠くに聞こえて、自分の振り返る動作も瞬きも異常な程に遅く感じた。背後でリーパーが鎌のような前肢を振り上げていて身が竦む。

(避けれない──!)

化け物でも首を落とされたら死ぬのだろうか。分からない。けれど、心の中に湧いた思いは──死にたくない、だった。

「うわああああぁああ!!!!!」

無我夢中で振り下ろされた鎌を左手で掴んだ。手の平の肉が抉れ、血が吹き零れる。そこまで切れ味が良くなかったのは不幸中の幸いだった。痛みを歯を食い縛って堪え、鎌をしっかりと握る。

「あああああああああ!!」

リーパーの動きを止めて右拳に力を込め、急所の胸元の白いワタに叩きつけた。力を込めすぎたのかワタを潰すだけに留まらず、リーパーの身体は掴んだ左側の鎌を残して二、三メートル先に飛んだ。

「……は、」

飛んでいったリーパーを見つめたまま、へなへなとへたりこむ。リーパーの鎌を握り締めたままなのも忘れて呆然としていた。

「ナツキ!大丈夫か!?」

焦った表情のクリスが視界に映る。その背後でシェバが救急スプレーを持って駆けつけてくるのが見えた。

「ぁ……っ痛ぅ」

肩を揺すられてようやっとナツキは我に返る。忘れていた痛みが戻り、左手に走る激痛に顔をしかめた。
そろり、と左手に視線を落とす。そして後悔した。自分が思っているよりも数倍酷い有り様で、血は勿論、肉が一部削げ落ちて骨らしき物が覗いている。痛々しいという言葉では足りないくらいの大怪我だ。

「ナツキ、今治療を──」

「大、丈夫……治る、から……」

「治るってそんなわけ……」

シェバの治療を手で制し、拒否した。戸惑うシェバを他所にじっと左手を見つめる。
じんわりと熱を持ち、失った肉を補う様に新たな肉が生成されて見えていた骨を覆い隠した。薄い皮膜が被さり瞬く間に怪我は跡形もなく治る。
化け物らしい回復力には笑いさえも漏れなかった。沈黙が辺りを包み、ナツキは無言のまま目を伏せる。大丈夫と分かっているのに自分の人外じみた力を目の当たりにするとどうしようもなく身体が震えて、二人と目を合わせるのが怖くなった。

「……そう」

そんな声と共にぷしゅーと顔面に吹き掛けられる救急スプレー。想定外のそれに目を庇う暇もなく。

「いったぁあああああ!!!!??」

刺激が眼球にダイレクトアタックしてきてナツキは絶叫した。突然のシェバの奇行には理解が追い付かない。クリスも若干引いているし、何でこんな事をしたのか。目元を押さえてナツキは痛みに悶えた。

「治るっていっても痛いことには変わりないんでしょ?やせ我慢しないでちゃんと言いなさいよ」

つんとした態度。彼女なりの優しさに気が付いてナツキは口端を上げて、小さく頷いた。

「……うん」

ちょっとだけ泣いたのは秘密。




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