side:Chris
「──ナツキ?」
様子が可笑しい。クリスの宿敵であるウェスカーに引き寄せられるように近付いてから動かなくなった。だらりと腕を下に垂らし、俯いたままぴくりともしない。
シェバもしきりに名前を呼ぶが、それにすら反応がない。悪い予感がクリスの脳内を埋め尽くす。
「ナツキ。鬱陶しい羽虫がいるんだ。潰してくれるな?」
ウェスカーがナツキの耳元で囁いた。それはクリス達を攻撃する物で。ナツキがそんな命令を聞くわけが──
タンッ──
地面を蹴る音がして、次の刹那にはナツキは目の前にいた。まるで瞬間移動だ。鳩尾に衝撃が走り、クリスは二、三歩後退する。ミリタリーベストが無かったら気を失っていたかもしれない。それくらいの威力だった。
「ナツキ!どうしたんだ!!?」
「…………」
返事はない。無言のままナツキは顔を上げた。その顔を見て思わず息を飲む。長い前髪の隙間から赤い瞳が覗いていた。瞳孔は爬虫類のように鋭く尖っている。少し前に戦ったウロボロスと男と同じ目だ。
ナツキも──ウロボロスだった。アーヴィングが、エクセラが、意味深に言っていたのはこの事だったのか。叩き付けられた事実にクリスは内心で悪態をついた。
再びナツキが接近し、クリスに攻撃を仕掛けてくる。感じたこともないナツキからの殺気。
「っ目を覚ませ!」
腕を交差させて防御体勢を取りつつ、必死に声を掛ける。連続して繰り出される拳の威力は普段のナツキとは段違いに強い。身体を鍛えているクリスでさえ、屈しそうな程に。このまま攻撃を受け止め続けるのはじり貧だ。どうすべきか──。
銃声が聞こえて、ナツキが跳ねるようにして離れた。その後ろでシェバが銃を構えていた。
「……クリス!無事!?」
「あぁ……だが……」
ウェスカーを庇うようにナツキが前に立ち塞がる。感情の抜け落ちた顔は別人のようで、それがまた恐怖を感じさせた。
「どうしたら……」
「殴ってでも止める」
「そうね」
ナツキが正気に戻った時に哀しまないように──。目にも止まらぬ速さで突っ込んできたナツキの拳をいなし、カウンターを繰り出す。しかし、ナツキは素早い動きで後退し、クリスの攻撃をかわした。
──速い。
シェバが回し蹴りを繰り出すも、それもまた避けられた。そこらのBSAA隊員よりも俊敏な動きだ。全くナツキを捉える事が出来ない。
「ナツキ!!しっかりしろ!ぐぅっ──」
防御さえもすり抜けて、脇腹に膝を捩じ込まれた。内臓を抉られるような威力のそれにクリスは呻き、よろめく。打たれた腹を押さえ、嘔吐の衝動をぐっと堪えた。
無意識に銃に手が伸び、グリップに指先が触れて我に返る。
(ダメだ。ナツキを撃てるわけがない)
銃を使えば鎮圧することは容易だろう。だが、ナツキを殺しかねない。そんなことクリスには出来なかった。
苦い顔をして「くそ」と悪態を吐き捨てる。ナツキの向こう側で下卑た笑みを浮かべているウェスカーが腹立たしい。
「──クリスッ!」
自分の名を呼ぶ、鋭い声にハッとした。赤い閃光が目の前に迫り、拳を振り上げている。防御も間に合いそうにない。時の進みが遅くなったみたいに、近付いてくる拳がスローモーションで映る。無表情なのにその赤い瞳の端からは滴が溢れていた。
(……情けないな。泣いてる子供一人守れないなんて)
すまない。心の中で謝罪をしながら、クリスは目を閉じた。
◇
いつまでたっても、衝撃は来なかった。恐る恐る目を開ける。腕はクリスに触れる僅か数センチの所で止まっていた。
「くり、す……っ」
無表情だった顔が苦悶に歪んでいる。瞳は丸くなったり、尖ったりと不安定に揺らいでいた。
「ナツキ!大丈夫なの!?」
「…………」
シェバの問いかけにナツキは無言のままただ笑みを浮かべた。消えてしまいそうな程に儚げな微笑みに息をするのを忘れる。
このままナツキが居なくなってしまうのではないか、なんて錯覚さえした。
「ナツキ……──」
「くぅ……あ"あ"っ……!!」
頭を抱え、ナツキが苦しげに悲鳴を上げる。ふらふらとクリスから離れるように後退し、言葉にならぬ呻き声を吐き出す。偶発的に意識が戻っただけで、まだ完全に意識を取り戻した訳じゃない。ウェスカーがいる限り、ナツキは支配されたままだ。
ちらり、とウェスカーを見た。鈍色の銃口が此方を──いや、ナツキの方を向いている。全身から血の気が失せる感覚がした。
ダァンダァン──
ナツキの身体に赤い花が咲く。目を見開き、呆然とする。こふ、とナツキが口から血を吐き出す。
ダァン──
崩れ落ちたナツキの身体を反射的に掴んだ。血で滑りそうになったが何とか抱え、地面にゆっくりと下ろす。夥しい血が流れ落ち、地面に血溜まりを作った。傷口を押さえ、止血するが出血量があまりにも多い。
「ナツキ!しっかりしろ!眠るんじゃない!」
「くり、す……しぇば……」
「ナツキ!!」
「……ごめん……なさ、」
謝罪を最後にナツキは目を閉じた。心音を確認してまだ何とか生きていることに安堵する。だが、予断は許されない。急いで適切な治療してやらなければ死んでしまう。そのためには奴を殺らなければ。
「ウェスカー!!許さんぞ!!」
怒りに身を任せて銃を抜き、ウェスカーを睨み付けた。
「どうした?クリス。それを撃たれた事がそんなに気に入らなかったか?」
ククッと笑いながら、ウェスカーは肩を竦める。"それ"──まるでナツキが物か犬猫のようなその物言いに怒りが増して、銃のグリップがぎちぎちと軋音を立てた。
「"それ"だと?ナツキは俺達の大切な仲間だ!」
「仲間?くだらん。そいつは人の皮を被った化け物だぞ?」
「黙れ、ウェスカー!!それ以上言ってみろ!ぶん殴ってやる!!」
「クックック……いいだろう。やってみればいい」
お前にできるのならな──余裕綽々なその台詞に苛立ちを隠せないままクリスは引き金を引き、戦いの火蓋を切った。
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