- ナノ -


神殿のような造りになった部屋の中央に見覚えのある女が背を向けていた。

「そこまでよ!エクセラ・ギオネ!」

「ブラボー」

気だるげな拍手をしながら、エクセラは振り返る。銃を突き付けられているにも関わらず、表情に恐怖の欠片も見せずにただ冷たい眼差しで此方を見据えた。

「喋ってもらうぞ!」

「教えてあげない事もないけど……どうしようかしら?」

ふふふ、とエクセラは笑い、首を傾けた。肝が据わっている、というよりはまだ何か隠しているような気配がする。エクセラの腹の中を探ろうとしていたら、視界の端から音もなく跳んできた鳥を模した仮面の人間に蹴り飛ばされた。

「かはっ!?」

「ナツキ!……っく!!」

ナツキを踏み台にして、飛び上がった仮面の人間はクリスとシェバの間に着地し、間髪を入れずにシェバの手を蹴った。鍛えているだけあって銃を弾かれるまではいかなかったが、シェバは怯み後退する。

「このっ──」

攻撃後の硬直を狙ってクリスが至近距離で発砲した。つんざくような鋭い音がして、仮面が宙を舞う。だが、黒いコートのフードで顔はまだ見えないままだ。

続けてクリスとシェバが撃つが、仮面の人間は軽やかな身のこなしで避け、エクセラの隣に並んだ。

「下手な小細工を!さっさと言え!」

不意打ちをされて不快そうにクリスが叫んだ。その時だった。

「──相変わらずだな」

低い声が鼓膜を揺らす。
どくりと心臓が一度大きく脈打った。かつり、かつり、と地面を踏み鳴らしながら、上階から降りてくる。だが、声の主を見ることは出来なかった。

自分が自分でなくなりそうな気がして、脳がその存在を認識するのを拒否していた。

「ウェスカー!やはり生きていたのか!」

クリスが唸る。
ウェスカー。アルバート・ウェスカー。その名前を聞くとどうにも平常心でいられなくなる。心臓が耳元に移動したんじゃないかと錯覚するほどに鼓動がうるさい。漠然とした恐怖だけが胸中を渦巻く。

俯いたままナツキは両手を握りしめた。

「貴様とこうして顔を合わせるのは、スペンサー邸以来か?」

近付いてくる足音が死神のそれのように聞こえる。温暖な気候の地方にいる筈なのに、身体は冷水を頭から被ったみたいに冷えきっていた。

(来るな。来るな。来るな!!)

声すら聞きたくなくて、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。

「久しぶりにあのときの三人が再会したんだ。もう少し嬉しそうな顔をしろ」

すぐそばにウェスカーがいる。
クリスとシェバはナツキの異変には全く気づいていないようだった。宿敵が目の前にいるのだから無理もない。

気づいて欲しいけど、でも心配はかけたくない──相反する思いを燻らせたままナツキは目を硬く閉じた。

「三人だと!?」

「やれやれ……鈍い男は嫌われるぞ」

何があったのかはわからないが、クリスが息を飲む気配がした。

「──ジル!?」

やや間あってクリスが叫んだのはかつての仲間であり、ずっと捜していた人の名前だった。

「ジル!俺だ。クリスだ!」

「えっ?確かなの?」

名前を呼び掛けるクリスに、シェバの戸惑うような声が交じる。俯いているナツキには今どういう状況なのか、いまいち理解できなかった。けれど、恐怖心が身体を縛り付けていて顔を上げることすら叶わない。

「愛しのジルとご対面だ」

ウェスカーが嗤ったのが気配だけでわかった。強く地面を蹴る音がして、次の瞬間にはクリスの身体は宙に浮かんでいた。反射的にその姿を目で追う。

「え……く、くりす……?」

金髪の女性がクリスを蹴り、地面に叩きつけている所だった。話の流れからしてあの人がジルさん、なのだろうけれど。シェバがハンドガンで攻撃するが、一発も当たらない。機敏すぎる動きに翻弄されていた。

「っ痛!」

手元を蹴り飛ばされ、シェバは今度こそ銃を手放してしまった。無防備になったシェバの首もとに両足を巻き付け、勢いを殺さないまま後ろに回転し、地面に叩きつけた。

瞬く間に二人は倒されて、残るは俺だけだった。震える指先で銃を向ける。

「二人に、何するんだよ!」

その時初めて、ウェスカーを見た。
後ろに撫で付けられた金髪。全ての感情を隠すような真っ黒なサングラス。一際大きく心臓が鳴る。

「やはり戻って(・・・)きたか」

ウェスカーは愉快そうに口許を歪めた。
漠然とこの人には逆らってはいけない、と思う。何故そう思ってしまったのかわからない。理解ができない。自分の事なのに──。

「"戻って"きた?どういうことだよ!」

「クックックッ」

「何が可笑しい!?」

意味ありげに嗤うウェスカーにらしくもなく怒鳴った。

「プロジェクト"N"……あの資料を見て何も思わなかったのか?」

「!それは……」

「プロジェクト"Natsuki"──あれはお前のことだ。ウロボロスに適合した、資格を持つ人間を生み出すプロジェクト。それで産み出されたのがお前だ──ナツキ」

そう考えなかった訳じゃない。でも、信じたくなくて。

「……がう……ちがう!!だって日本で暮らした記憶が──」

ただ否定する。だって俺は日本人で、高校に行ってた。テストの点数はぼちぼちだったけど、友達はそれなりにいて幸せな、暮らしを──してた、筈、なんだけど。どうして、友達の顔も、両親の顔も思い出せないんだろう。
黒いインクを溢したように、そこだけが欠けている。いいや、それだけじゃない。名前もだ。何もかもが曖昧で、不確かで。

「あぁ。それは睡眠学習の結果だ。必要最低限の知識を植え付けるためにな」

「嘘だ……!!」

「嘘ではない。お前は俺に造られた。ウロボロスに完全適合した人間だ」

「うそだ!!うそだぁああああ!!!」

それ以上聞きたくなくて、銃を手放して耳を塞ぐ。俺は人間だ。普通の人間で、ナツキって名前で──。

「俺に従え。そうすれば何も考えずにすむぞ?」

「い、いやだ……」

脳髄に染み渡る声に震える。身体のどこかがウェスカーに命令される事を歓喜していた。でも、俺はそれを拒否する。自ら意思とは別に身体が動き出そうとして、俺はぐっと押し止めた。ダメだ。何やってるんだ。

立っていられなくなって、崩れ落ちるように座り込む。

「ナツキ!大丈夫なの!?」

「来るな!!俺に触るなぁっ!」

触れようとしたシェバの手を振り払う。傷付けてしまうのが怖くて拒否したのに、俺が泣きたくなった。

「ほら、こちらに来い」

甘美な囁きが脳髄を揺さぶった。じわじわと自分が自分でなくなる感覚がする。行っては行けないと分かっているのに身体はふらりと立ち上がり、引き寄せられるように覚束ない足取りでウェスカーに歩み寄った。

「ぁ……」

気が付けばすぐ傍にウェスカーがいて、俺は呆然としたまま立ち尽くす。ウェスカーは愉快そうに口端を上げて、俺の耳元に顔を寄せた。

「いい子だ。ナツキ」

名前を呼ばれた瞬間、辛うじて残っていた俺の意識はホワイトアウトした。



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