- ナノ -



背中が歪に膨れ上がった怪人モローからフラスクを手に入れたのは良かったが、モローが操る気色の悪い粘液で入り口を防がれてしまった。頭の悪そうな顔しておきながら、地味に姑息な真似をしてくる奴だ。見た目で判断した俺達も悪いが。
撃っても、切っても道を塞ぐ一部の粘液はどうにもならず、一旦村へ戻るのは断念して南下して回れる道を探すことにした。

数体のライカンとの戦闘はあったが、容易く返り討ちにしてボートの鍵を手に入れ、ナツキ達は湖を渡るためにボートに乗り込む。襲われたら一溜りも無さそうな木製の小型ボートだ。一応モーターはついてはいるが、もし追われたとしても逃げ切るほどのスピードは出せないだろう。

「俺、操縦下手だからよろしく」

ただでさえ不安定な足元にびくついている俺がボートを操縦できる訳がない。返事を聞くよりも前に全責任をイーサンに丸投げして、俺はボートの縁にしがみついた。
此方ナツキ。絶対転げない安全体勢に入った。準備は万端だ──なんちって。

「はい。発進していいよ」

「おい。ナツキ、お前なぁ……」

イーサンが呆れているのは分かったが、こちとらボートに良い思い出がなくて大嫌いなのだ。出来ることなら乗りたくもない。大型船ならともかく。

文句を言いつつも、イーサンが操縦席に座りボートを発進させた。川幅の狭い場所を上手く抜け、湖に差し掛かろうとした所で水面が大きく揺らいだ。

「何あれ……!?」

とてつもなく大きな魚影─といっていいのかはわからない─が、跳ねた。五メートルはありそうだ。湖に泳いでいくその姿を見たナツキ達は一旦、すぐそばの洞窟奥にあった桟橋にボートを止めた。

「あんなのどうやって倒せば……」

「わざわざ倒さなくてもここから脱出さえ出来れば問題ない」

「まあ……そうだけど」

そう上手くいくかなぁ……。こういう場合は大抵、倒さなきゃならなくなるのをナツキは経験上知っている。ボートから上がり、光の漏れるボート小屋のビニールカーテンを押し開けて中へと入った。

「ん?」

ボート小屋の中は想像してた物と違った。粗雑な作りの木製テーブルに並ぶパソコン、それに通信機。画面には細かな分析グラフが写し出されている。どうみてもそこにそぐわぬ最新式の顕微鏡──それらにナツキは見覚えがあった。

「何だ、ここ……研究室か何かか……?」

一体何を調べて──イーサンが言い切るよりも前に男が横から飛び出してきて、あっという間にイーサンの身体を地面に縫い付けて、銃を構えた。慌てて止めようとしたが、襲い掛かってきた男が自分のよく知る人物であることに気づいてナツキは目を丸くする。

「ケイナイン!」

「フィーライン!生きてたか!」

ハウンドウルフ隊の中で、一番歳の近いケイナインだ。数時間ぶりに仲間と再会できたのが嬉しい反面、イーサンに秘密にしていた事がバレてしまったのが心苦しくもある。

「イーサン。こんなところにいるとは驚いたな」

「「クリス!」」

はからずもイーサンと台詞が被る。ナツキの存在を思い出したようにイーサンが此方を睨み、叫んだ。

「ナツキ!?コイツらの仲間だったのか!?」

「ナツキ、何故イーサンと共にいた?」

イーサンの存在を無視して、クリスはナツキへと質問を投げかける。責め立てるような声と視線にナツキはおどおどと身体を小さくしながら、視線を落とした。

「保護すべきかと、思って……」

「保護したなら何故退避しなかった?彼は民間人だ。巻き込むべきではなかった」

「……イーサンは民間人だけど……でも……!」

きっとイーサンは自分の手でローズちゃんを助けたいはず──だが、それをクリスに言ったところで聞き入れられる筈もない。言葉を無くした俺にクリスはため息をついた。

「クリス、お前ら……ミアを殺して……次は俺って訳か!」

「違う!」

反射的にイーサンに反論していた。殺すつもりなんてナツキは勿論クリスにだってない。それだけはわかってほしくて必死に叫ぶ。

「何が違う!?お前も今まで俺を騙してたんだろ!!」

「黙ってた事は謝る……!でも、俺は、俺たちは、そんなつもりでミアさんを殺した訳じゃ……」

「ナツキ!いい加減にしろ!それ以上必要ない!」

鋭いクリスの叱責に俺は押し黙る。憎しみさえ滲ませるイーサンの視線から逃げるように、俺は顔を背けた。
ここに来る直前まではあんなにも軽口を叩きあっていたのに、その関係は一瞬にして崩れ去ってしまった。力になりたかったのは本当で、信じてほしかったけど、無理だった。泣きたくなる気持ちを必死に堪えて、静かに息を吐き出す。

「隊長、外で異常な揺れを観測した。すぐに移動しよう」

「揺れだと?震源は?」

「不明だが、このままここにいれば──」

淡々としたナイトハウルの声が聞こえる。俺とは違って皆ちゃんと私情抜きで仕事してた。その点俺の何と情けないことか。

ずび、と鼻を啜り、ごしごしと目元を擦る。

「フィー泣いてんのか?」

「……泣いてない」

涙は溢れてないからセーフ。
泣きそうになっただけ。

唇を噛み、ケイナインに向き直る。俺の顔を見たケイナインが「まあ、確かに泣いてないな」と鼻で笑った。

「──これ以上は首を突っ込むな!」

クリスの大きな声でびくりと肩が揺れる。

「一体何が──!」

──下がれ!と誰かが叫んだ。次の瞬間には足場が崩れ、水の中に引き込まれていた。



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