クロゼットに隠れて、ベビーをやり過ごしたナツキたちは今度こそエレベーターホールに向かっていた。やっとベビーから逃げ切れる──そんな思いとは裏腹にベビーの声が背後から聞こえて思わず舌打ちする。
イーサンと並んで走っていたナツキは立ち止まって、ベビーを睨み付けた。
「イーサン!エレベーター動かしてて!俺がどうにかする!」
「そんな……危険だ!」
「ちょっとくらいは大丈夫だ、よ!」
エレベーターを目前に襲い掛かってきたベビーをナツキは乱暴に殴り飛ばした。どろりとした体液が飛び散り、悲鳴が大きくなる。
攻撃は当たった。なのに強烈な違和感を覚えて、ナツキは呆ける。
「……何だ?今……」
「あ"あ"あ"あ"あ"!!ぱぱぁ……ぱぱぁ……!」
「ナツキ!乗れ!」
新しいヒューズを入れて、エレベーターを呼び出していたイーサンが叫ぶ。即座に踵を返して、ナツキはエレベーターに飛び乗った。青白い顔をしたイーサンが"上"ボタンを激しく連打するが、エレベーターは一定の速度でしか動かない。泣き声を上げながらベビーがじりじりと寄ってくる。
「ぱぱぁ……ぱーぱぁー……」
ギリギリの所でエレベーターの格子戸が閉じた。動き出したエレベーターに緊張していた身体が脱力する。扉に行く手を阻まれたベビーがどこか悲しげに何度も"パパ"と親を求める声だけが響いていた。
「クソ……悪趣味な敵だ……」
心底不快そうにイーサンが吐き捨てる。ローズを失ったイーサンにあんな物を宛がうなんて確かに悪趣味だ。だが、ナツキにはそれよりも気になる事があった。
(あのベビー……殴った感触がなかった)
確かにそこにいて、殴った時もふっとんでいた。それなのに触れた感触さえなかったのだ。視覚が可笑しいのか、何なのか。
そういえば、館に入る前にもイーサンがミアの幻覚を見ていたのを思い出す。つまりあのベビーは──
「ナツキ?着いたぞ」
「わっ!あぁ、うん、ごめん。考え事してた」
イーサンに顔を覗きこまれて、ナツキは驚いて退く。気がつけばエレベーターは一階に着いていたようだ。閉まりかけた扉を慌てて手で制して、ナツキはエレベーターから降りる。
「……何だ?」
あんな物を見たせいか一階は先程よりも異様な空気に包まれているような気がした。何処からともなくクスクスと笑い声が聞こえてくる。リビングに続く扉をイーサンが恐る恐る開けた。
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