- ナノ -


配電盤に入っていたレリーフを扉に押し込んで、扉を開けた。ここは電気が通っているらしく明るい。それだけで少しだけ気持ちは軽くなった。
所々壁紙の捲れかかった細い廊下の突き当たりは大きな戸棚が倒れて通れなくなっていたため、仕方なくすぐ手前の扉に入る。厨房だ。それも最近まで使われていた形跡がある。シンクやワークトップには汚れのついた皿が積み重なり、鍋やフライパンもそのまま放置されていて、羽虫が集っていた。

「うわ……」

その汚さにドン引きしつつ、厨房を抜ける。廊下を隔てた奥は寝室に続いていた。地下の他の部屋とは違い、比較的小綺麗でベッドメイクもされており、所謂お金持ちのお嬢様の一室だ。この部屋だけを見るならば、だが。

「あ」

何かないかな、とチェストを開けて──閉めた。見てはいけない乙女の聖域だった。

「変態」

「不可抗力……不可抗力じゃん!?」

別に見たくて見たわけじゃないのに!何か無いかなって開けたらそうだっただけなのに!

イーサンにものすごく冷めた視線を向けられて、全力で否定する。

「大体そういう棚って下着だろ?わざわざ開けるなよ」

「…………」

そう言われるとぐうの音もでない。ナツキは押し黙り、そそくさとクロゼットの横にある配電盤に近づいた。真新しいヒューズが嵌め込まれている。丁度エレベーターのヒューズと同じ型のようだ。

これがあればエレベーターを動かせる。やった!と心の中で小躍りしつつ、少し背伸びしてヒューズに手を伸ばした。

バチ、と電気の弾ける音がして、部屋の電気が落ちる。

「わ……!えっと、ペンライト……」

真っ暗闇の中でヒューズを片手に腰のポーチをまさぐった。突然の暗闇に驚いたが、ヒューズを取ったら電気が落ちるのは当たり前だ。

「おい」

「ごめんって!」

咎めるような声が暗がりから聞こえて、ナツキは即座に謝罪しながら探し当てたペンライトを点けた。

「そういうときは一言言ってくれ」

ため息混じりにイーサンも自前のライトを点ける。二人分のライトで室内は充分明るい。

「ごめんごめん。じゃあ行こうよ」

目的の物も見つけて、ナツキたちは来た道を戻る。エレベーターホールに向かうために厨房を通り、廊下に足を踏み出した。

耳障りな声が鼓膜を叩く。
ハッとして顔を見合わせた。

「また来た!」

ベビーだ。廊下を塞ぐようにベビーが詰め寄ってくる。即座に踵を返し、寝室まで戻ったがこの部屋にうまく撒けそうな場所なんて見当たらない。それにあまり悩んでいる時間も無さそうだ。

(どうすれば……)

室内を再度見回して、俺は目についた縦長のクロゼットを開けた。中身は何も入っていない。大きさも丁度頑張れば大人二人くらいは入れそうだ。再び現れたベビーに平静さを失っているイーサンを呼び、クロゼットに押し込み、自分も入って扉を閉めた。ライトの電源をオフにするのも忘れない。

「きつい……もっと離れてくれ……」

「俺もきついって……!ちょっとくらい我慢してよ……!!」

イーサンの文句にナツキも声を潜めながら言い返す。
何が楽しくて野郎と箱詰めされなきゃいけないんだ。こういうのは是非とも美女とご一緒したい──ベビーに追われるのは勘弁してほしいけど。

「しっ!」

扉の開く音に二人は口を閉じた。身の毛もよだつような泣き声を上げて、ベビーの歩くてちゃてちゃという湿った足音が二人の隠れるクロゼットに近づいてくる。

ごくり──唾を飲み込み、息を止めた。ベビーがクロゼットの板一枚を隔てたすぐそこにいる気配を感じる。大丈夫、見つからない。そう信じてはいるが、やはり恐ろしいものは恐ろしい。内心でひぃひぃ悲鳴を上げながら、表ではしっかりとお口をチャックする。

狭いクロゼットの中、ナツキは自分の物ではない震えに気づいた。

(……イーサン?)

気丈な振りをしていてもイーサンは民間人だ。それにローズのこともある。 "大丈夫"そんな意味を込めて俺が手を握ると、イーサンは痛いくらいに握り返してきた。



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