- ナノ -




──臭い。

汗と機械油とその他色々な物が混ざりあった不快な臭気が作業場に充満している。扉を少し開けた瞬間に漏れ出てきた酷い臭いに、私はノブを握ったままの状態で硬直した。

新しいゾルダートの構想をするから、と作業場に入室を禁じられてはや数週間。いつもなら三日だったり一週間程度で終わるのに今回は異様に長い。食事は扉の前に置いていたら三日に一度は無くなっていたので摂ってはいるのだろうが、心配になってこっそり覗きにきた、のだが、これは。

(……あれから一度も風呂に入ってない?)

いや、そんなまさか──。脳裏に過った嫌な想像を振り払いたかったが、鼻腔を突き刺す悪臭がそれを阻止してくる。それに思い当たる事が一つ。洗濯物にハイゼンベルク様の服がなかった。毎日色々大量に洗い物があるため気づかなかったが、そういえばそうだ。

あまりに無頓着すぎるハイゼンベルク様に頭痛を覚えた。入室禁止だがこの臭いは従者として看過できない。

「ハイゼンベルク様!!!」

意を決して、息を止めながら私は作業場に入った。息を止めても生理的嫌悪感のある臭いを感じるのは何故なのか。

「あぁ!?入ってくんなっつってたろうが!」

思い通りに構想が練れていないらしい。足下にはくしゃくしゃに丸められた製図用紙が散らばっている。かなり苛立った様子でハイゼンベルク様が作業台を殴り付けて此方を睨んできた。物差しやら製図ペンが弾んで床に落ち、カラカラと音を立てる。紫電が走り、皮膚が粟立つ感覚と共に部屋中の金属が振動した。

「てめぇは俺の言うことひとつ聞けねぇのか!?」

その剣幕に負けずに私は力一杯叫んだ。

「臭いです!!!」

臭い。
とにかく臭すぎる。
酸っぱいようなすえた臭い。

それが主人から発されているのが、どうにもこうにも我慢できなかった。私はかっこよくて、漢らしく、素晴らしい、カール・ハイゼンベルク様に仕えていた筈で、こんな悪臭漂う野郎に仕えたつもりはない。

「──あ?」

虚を衝かれたようにハイゼンベルク様はぽかりと口を開けた。理解に時間を要していたので「臭いです」ともう一度繰り返す。

「…………そんなに匂うか?」

袖に鼻を寄せて臭いを嗅ぎ、首を傾げている主人に私は力強く頷く。一ヶ月この臭いを嗅ぎ続けて鼻が馬鹿になった主人自身はわからないだろうが、私の鼻は恐ろしく曲がっている。

「そうか」

「……それだけですか!?」

「別にいいじゃねぇか、んなもん」

"臭い"と言われたら普通は風呂に入ろうと思うはずなのだが、ハイゼンベルク様はそうではなかった。あっさりと、たったの三文字で終わらせて、作業台に向き直る。

「駄目です!!まっっっったく何も良くないです!ゾルダートの方がまだマシな臭いしてますよ。今のハイゼンベルク様はゾルダート以下です。生ゴミ……いえ、排泄物──っと失礼。とにかくシャワー浴びてきて下さい。それが嫌ならせめて下水溝を一泳ぎしてほしいのですが?」

「……お前、本当に俺の従者か?」

私の全力のマシンガントークにドン引きしながらも一切動こうとしない。真剣に下水溝に突き落とす方法を考えつつ、再三風呂に入るよう頼む。

「ハイゼンベルク様、もう少し身嗜みに気を使ってください。そんなのだからドミトレスク様に薄汚いとか言われるんです」

「ならてめぇが洗ってくれ」

「それがハイゼンベルク様の要望であれば、幾らでも」

私の返答にハイゼンベルク様は面食らい、言葉を詰まらせる。きっと私の嫌がる顔を想像していたのだろうが、私は従者だ。命令であれば何でもするし、そもそも同性であるハイゼンベルク様の裸体なんてどうとも思わない。

「──冗談だ。風呂くれぇ一人で入る」

「そうですか。それは残念です」

「残念だぁ?」

「冗談ですよ」

「相変わらず、食えねぇやつだ」

観念したようにハイゼンベルク様は立ち上がり、草臥れたコートを脱いだ。一ヶ月着た切りのコートは大変臭かった。



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