間もなく深夜に差し掛かろうとしている時刻にも関わらず、作業場からは光が漏れていた。ハイゼンベルク様はまだ新しい機械兵の開発に勤しんでいるらしい。カドゥに適合していて普通の人間ではないため、身体が頑丈なのは知っている。が、仕える者として主人より先に眠るのは気が引けた。
私が勝手に寝たとしてもハイゼンベルク様は怒らないとは思うけれども。
「…………、」
そっと格子窓から作業場の様子を確認すると、進歩は思わしくないのか険しい顔で図面を睨み付けていた。夜食でも用意すべきだな、と判断して私は即座に踵を返して、工場内の別の作業場に取り付けられた小さなキッチンへと向かった。
作業場に隣接したその小さなキッチンは、私が来てからハイゼンベルク様が用意してくださった物だ。冷蔵庫からコンロ、シンクに至るまで、ここの全てはハイゼンベルク様の手製である。電磁力で金属を操り、ありとあらゆる物を造り上げるハイゼンベルク様は素晴らしいし、機械工学に精通している主人から学ぶことは多い。
冷蔵庫を開けて、何を作ろうかと考える。いや、それよりも先に。飲み物は──ワインよりビールの方がいいだろうか。どちらも飲むため、主人の気分に合わせなければならない。少し悩みつつもビール缶を冷蔵庫から取り出した。
「あぁ、そういえばローストビーフの作り置きが……」
明日の昼食にでも、と思って作っておいたローストビーフがあったのを思い出す。しっかりと冷えていて酒のつまみにも丁度良さそうだ。ラップに包んだそれを出して、薄く切り分けて皿に盛り付ける。緑も欲しい所だが、添えたところでハイゼンベルク様は食べないだろうからやめておいた。
昼食や夕食の野菜ですら、たまにより分けるやや偏食気味の主人には困ったものだったが、主人曰く野菜を食べないくらいで死なない、と。確かにカドゥで身体強化されたハイゼンベルク様が脳梗塞や心筋梗塞といった病気になるとは到底思えなかった。とはいえ、全く野菜を出さないのも私的に許せなくて今でも度々サラダをメニューに組み込んでいる。数回に一度は手をつけてくれるため、根気は大事だと気づかされた。
夜食を乗せたトレイを片手に、私は作業場の扉をゆっくりと静かに開けた。根を詰めている時のハイゼンベルク様はノックを嫌うため、ノックはしない。そっと近づいて、ハイゼンベルク様が使っている作業台とは別の作業台にトレイを置いた。かちゃ──なるべく音を立てないように、と気を付けていたが鳴ってしまった。小さな音だったが、台に肘をついて額を押さえていたハイゼンベルク様の目が私を捉える。普段はしているサングラスも帽子も今はない。色素の薄いグレイ・ダイヤモンドの瞳が私を写して細められる。
「何しにきた」
「お疲れ様です。お夜食をご用意いたしました。少し休憩でもいかがですか?」
「……あぁ、そうだな。そうするか」
ハイゼンベルク様は作業台に置いてある時計を横目で見てから頷いた。広げていた図面用紙を端に寄せて、凝り固まった首筋を回している。
「飲み物はビールでよろしいですか?一応、水も用意しておりますが……」
「あぁ。ビールでいい」
「では、今お入れします」
缶を開けてグラスに注ぐ──よりも前にハイゼンベルク様から制止の声がかけられた。
「いちいちグラスに移さなくていい。缶のまま飲むから寄越せ」
「よろしいので?」
「俺がいいっつってんだ。てめぇは何かにつけて丁寧すぎんだよ。もっと大雑把でいい」
ハイゼンベルク様は機械以外の事には些か雑すぎる気もしますが。という言葉は胸の内に秘めて、私は何も言わずに缶を差し出した。受け取ると同時にビールを呷る。瞬く間に一缶を空にして、ハイゼンベルク様は次を寄越せと催促してきた。はいどうぞ、と言いつつ二本目のビールを手渡す前に引っ込める。
「おい、てめぇ」
じろりと睨んできたが、私は素知らぬ顔でローストビーフの皿を作業台に置いた。一旦止めないとハイゼンベルク様はイッキ飲みをし続けて、すぐ飲み過ぎる。
「どうぞ。こちらを。良い肉を仕入れたので」
「俺は飲みてぇんだが?」
「えぇ。知ってます」
「なら──」
「太りますよ。飲みすぎたら」
「…………」
鏡の前で下腹が出てきているのを気にしていたのを私はしっかり目撃しているし、確かに見た目的にも肉付きは良くなっている。
私の言葉にハイゼンベルク様は押し黙り、大人しくローストビーフを摘まみ始めた。その横に新しいビールを置いて、空の缶を回収する。
「……あぁ……ったく、俺はいつまでミランダの言いなりにならなきゃいけねぇんだろうなぁ?」
ぼそり。吐き捨てられた言葉は何度も聞いたそれだ。
マザー・ミランダ。村の教祖的存在であり、ハイゼンベルク様の母親でもある。ただそれは書類上の繋がりで、実際には血も繋がっていない赤の他人だ。
「カドゥと適合したから息子?愛もねぇ癖に家族だなんてよく言えるぜ」
いつもの愚痴をただ相槌を打ちながら聞く。それでハイゼンベルク様の心労が少しでも軽くなるなら、私は幾らでも聞き続けられた。
ハイゼンベルク様はミランダを憎んでいる。なりたくてなった訳ではない、家族関係。愛、優しさ、幸せの一欠片もない冷えきった繋がり等、誰が欲しいと望むのか。犬ですら欲しがらないだろう。
「あの女が生きてる限り、俺に自由はねぇ……」
ビールを飲み、苦々しげに顔を歪める。
「奴を倒すまで、俺の悪夢は覚めねぇ」
「……終わらない悪夢などございませんよ」
夢はいつか覚めるものです──私が言うと、ハイゼンベルク様は本当に夢の中だったらな、と返して自嘲する。
「機械兵の数は順調に増えてますし、外部との情報共有も滞りなく出来ています。機が熟せば……」
「あぁ……そうだ。その通りだ。俺達は必ずミランダを倒す」
ハイゼンベルク様の瞳に炎が宿った。獣のようにギラつく灰色の目はどんな宝石よりも美しい。その瞳に見惚れつつ、私は不意にハイゼンベルク様に問い掛けた。
「ミランダが倒すべき敵なら……私は?」
「ふっ……てめぇは──」
共犯者だよ──ハイゼンベルク様はにやりと笑って、残り少ないビールを仰々しく呷った。
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