- ナノ -


ゴンドラは集落からそう遠くない場所で止まった。微かに聞こえる音に俺達は警戒しながら、ゆっくりと一歩を踏み出す。

「ひっ!?」

乗降所の出入り口、そこから見えた光景に思わず喉がひきつった。逆さ吊りにされた男が水面から飛び出してきた巨大なワニに一呑みにされる瞬間。赤く濁る水面に背筋が凍った。
俺の息を呑む声が聞こえてしまったらしい。ぎゃあぎゃあと聞き取れない言語を叫びながら、武器を手にマジニが襲いかかってくる。

死体を見るのは慣れたけれど、人が死ぬ瞬間を見るのはまだ恐ろしい。怖くて銃を握る手が震える。こればかりは一生慣れる事はなさそうだ。

「来るぞ!気を付けろ!」

クリスの声にナツキは歯噛みして、銃を構えた。


見える範囲の敵を一掃し、ナツキ達は高台に作られたゴンドラの乗降所から飛び降りた。着地の衝撃で踵がぐきり、と少々不安な悲鳴を上げたのは気のせいだと思いたい。

「こっっっわ……」

水上に取り付けられた細い橋は手摺もなく、あちこちが老朽化で崩れておりとても心もとない。おっかなびっくりで橋を歩く。うっかり躓いて転落でもしたら一巻の終わりだ。ワニに食べられて死、なんて本当に笑えない。
水面を注視しつつ、なるべく橋の中央を歩くように努める。

「また跳ね橋か……」

集落の時と同じように、洞窟に続く跳ね橋が行く手を塞いでいた。先程の戦闘中にマジニが橋を上げたようだ。どこかしらに降ろす仕掛けがあるのだろうが、面倒くさい。

「あのスイッチを押せば下ろせそうね」

ジャンプでは届きそうにない向こう岸の壁側にこれ見よがしと赤いスイッチが見えた。

「あのイカダに乗れば行けそうだな」

クリスの視線の先を辿ると確かにイカダがある。イカダの先にはロープが繋がれており、クランクを回すことでロープが巻き上げられて動くようになっているみたいだが、この池には人喰いワニがいる。あのイカダに乗るのはかなりリスキーだ。

勿論俺はクランクハンドルを回す方で──と思ったのに、二人は何故か笑顔で俺を見つめている。嫌な予感がした。

「じゃ、頼んだ」

「は?」

「よろしくね」

「はぁあっ!?」

ぽんっと二人に両肩を叩かれて、背中を押された。乗れという無言の圧力を二人から掛けられても、嫌なものは嫌だ。

「いやいやいやいや!!!無理だって!!俺、一般じ──ぐへぇっ」

全力で拒否したら、グダグダ言うなとシェバに突き落とされた。受け身を取る間もなかったから思い切り顔を打ったし、何だかシェバが黒い。いてて、と頬を擦りながら、身体を起こすと同時にイカダがゆっくりと動き出した。どうやらクリスがクランクを回し始めたらしい。

「……っ」

ぞわり、と背中を撫ぜる冷たい気配。ここに来てから何度も感じたから分かる。殺気だ。目を閉じて、神経を尖らせる。

「後ろかっ!」

膨れ上がった殺気に即座にバックステップで避けた。数秒前にナツキがいた位置にワニが噛みついていた。近くで見ればより分かるワニの異常な大きさに全身から汗が滲む。後何度攻撃が来るのか、なんて想像したくもない。

(早く回してぇええええ!!クリスぅぅううぅ!!)

二度目の攻撃を何とか避ける。クリスも頑張ってるのだろうが、イカダにいる側からしたら腕がもげる勢いで回してほしいくらいだ。まだイカダは池の半分ほどしか進んでいない。

「クリス!早くしてぇ!!」

「分かってる!!」

再び殺気が強くなって、心臓がきゅっと縮む。水面が大きく波打って、ワニが飛び出してきた。ナツキはそれを転がるようにして避ける。生え揃ったギザギザの歯がばちんと目の前で閉じて、ひっと息を呑む。

「っぶな……」

ずっとギリギリで運良く避けれているが、偶々だ。ビギナーズラックにも限界がある。

(後もう少し、耐えれば……!)

イカダの終着点は目と鼻の先だ。だが、まだ手を伸ばすには遠い。足下をワニが通り抜けた気配がする。ぐるぐると泳ぎ回って噛みつくタイミングを図っているらしいが、向こう岸はもう近い。

ぽこり、と泡が弾けた。

「ナツキ!上がれ!!」

「言われなくてもっ!!」

ナツキが岸に上がるのと、水飛沫が上がるのはほぼ同時だった。最後の最後、ワニも本気を出したらしく、巨大な肉体がイカダ半分に乗り上げている。一歩逃げるのが遅かったら、間違いなく喰われていただろう。
最後のチャンスを逃したワニは悔しそうに唸りながら水中へと戻っていった。

「はぁぁぁあ……」

ようやっと命の危機から脱して、ナツキは魂まで出そうなため息を吐き出す。もう二度と乗りたくない、最悪のアトラクションだった。

心臓が正しいリズムを刻むまでナツキは深呼吸を繰り返して、それからゆっくりと目的のスイッチを押した。



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