- ナノ -


目の前にある扉を蹴破り、中に入った。美しかった城はみる影もない。咥えた葉巻を摘まみ、ため息混じりに紫煙を吐き出す。

「ったく、面倒クセェ事になりやがって」

結晶に埋もれるように倒れている男に吐き捨てる。胸元を染める赤い色。男がすでに死んでいる事は明らかだった。

ほんの少し願っていた。男がここから逃げて生きていてくれれば、と。結果は想像の通りだった訳だが。

「……後追い自殺なんざ、ババアは望んでねぇんだよ。バカ野郎が」

そばに転がる血も付いていない銀のナイフを拾い上げる。あの男に血腥い事は似合わない。イーサンに一太刀も浴びせられなかった事は容易に想像できた。

ナイフを投げ捨てて、男の死に顔を眺める。目元から伸びる涙の筋に、自分が今からやろうとしている事が正しいのかと悩んだ。このまま寝かせてやる方が幸せなんじゃないかとさえハイゼンベルクは想う。
葉巻を固まりかけの粘つく血溜まりに押し付けて、ハイゼンベルクは死体を懇切丁寧に持ち上げた。

「ったくよ……どいつもこいつも……俺は便利屋じゃねぇんだよ」

吐き捨てた言葉は誰にも聞かれることなく、虚空へと消えた。


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