- ナノ -


城の中に誰かが侵入した。

あちこちの陶器製の壺やら飾り棚のガラス戸やらを破壊するイカれた侵入者だ。床に散らばったガラス片を箒でかき集めながら、私は修繕費を頭の中で計算してため息をついた。
戸棚に入れていた結晶や物を盗むのは良くはないが百歩譲って良いとして、普通に開けて盗っていってほしい。わざわざガラス戸を割るなんて悪質過ぎる。幸いお嬢様達が侵入者を捕らえてくれたので、これ以上被害が増えることはないが、放置していたら城の窓ガラスまでも全部割られていただろう。塵取りでガラス片を回収して、私は立ち上がった。

「やれやれ……」

ため息混じりに城の裏手にあるごみ捨て場に続く廊下を歩く。塵取りの中のガラスが一歩踏み出す度にカラカラと音を立てた。
ただでさえ多い仕事を増やすような真似をしないでほしいものだ。

「──あぁ!こんなところにいた!何やってるのよ!!」

声を荒らげて、ベイラ様が私の肩を掴んだ。何故そんなに怒っているのか検討もつかず、私は小首を傾げた。眉間にシワを寄せて、私の腕を乱暴に掴むと大股で歩き出す。向いている方向とは逆に引っ張られて、体勢を崩したが何とかギリギリで耐えた。手に持っていた塵取りはゴミを散らかして倒れてしまったが。

(あぁ!折角纏めたのに……!)

私の心中など一切無視して、ベイラ様は廊下を突き進む。「ベイラ様?」と問いかけても何も答えない。唇を噛んで、何かを堪えるように黙っている。腕を掴む指先から伝わる微かな震えに、私は戸惑いを隠せないまま、ただただその後ろをついて行くしかなかった。

廊下には窓から差し込む光に反射してキラキラ輝くガラス片だけが残されていた。


ベイラ様に引っ張られて連れてこられたのは地下牢でもオルチーナ様の前でもなく、私の自室だった。扉が開ききる前に背中を強く押される。強引に部屋に押し込まれてつんのめりかけながら振り返った。戸口から顔だけを覗かせたベイラ様と目が合う。

「私が出たら鍵かけて。お母様が来るまで絶対に出ちゃダメよ」

あまりにも説明が少なすぎる。
一体全体何があったのか。

「お、お待ちください!一体何が……」

駆け寄ろうとしたが目の前で扉が閉められた。名前を呼び、扉を開けようとしたが、向こう側から押さえつけられていてびくともしない。どん、と乱暴に扉を叩いた。

「お嬢様!扉を──」

「……ぜったい、絶対に出ないで……。私たちとは違って、貴方は普通の人間なんだから」

その声色は弱々しく、普段のベイラ様からは考えられない懇願するような物で。私は思わず、動きを止めた。

「……ベイラ様」

「ほら、鍵を掛けなさいよ。そうじゃなきゃ私、安心できないの」

「……わかりました」

促されるままに私は内鍵を閉めた。扉の向こうのベイラ様の気配が羽音と共に遠ざかっていく。扉にすがり付くように崩れ落ちた。

(私は、無力だ……)

"普通の人間"であることを初めて悔いた。オルチーナ様と、お嬢様達と共に平和に暮らせるならば人間のままでいいと思っていた。思っていたのに──。

シワの深い両手で顔を覆う。守らねばならぬ存在に守られて何が執事だ。所詮俺には執事の真似事など到底出来なかったという訳だ。

私は項垂れたまま喉をひくつかせて自嘲した。





聞こえる。聞こえてくる。
重なる銃声と男の怒声。
それから、オルチーナ様とお嬢様の声。

私の耳は鮮明にそれらを捉えて、居場所を把握する。目を閉じればより鮮明に。執事としていつどこで呼ばれても駆け付けられるように、と鍛えた能力だ。

タァン──耳を澄まさなくとも聞こえる銃声に肩を揺らす。オルチーナ様もお嬢様達も銃弾や刃物が多少当たったくらいではかすり傷にすらならないことは分かっているが、聞こえる度に肝が冷えた。

大丈夫。そう、大丈夫な筈なのに、どうしようもなく不安になるのは何故なのだろう。古いホールクロックの振り子が刻む音も心をざわつかせる。私は落ち着きなく部屋の端から端を行ったり来たりしながら、何度も扉のノブに手を伸ばしかけて止めるのを繰り返していた。

──身体が崩れて!!どうして、私がこんな……助けて!!

はっとして顔を上げる。

「ベイラ、さま……?」

そう遠くない所で聞こえた悲鳴。聞いたこともない、ベイラ様の声に私は茫然とする。

「嘘だ……うそ、だ……」

そんなはず──。いてもたっても居られず、私は部屋を飛び出した。

城内は酷い有り様になっていた。あちこちの窓ガラスは割れ、ありとあらゆる調度品は床に散らばっていた。一歩踏み出す度に靴底でガラスが弾ける音がする。

声は自室から近かった。私の耳が可笑しくなっていなければ、厨房の奥、地下牢に続く所からだ。いつもは近いはずのそこがいやに遠く感じる。必死に両足を動かしているのに鉛を付けているかのように身体が重くて思うように動かない。

石造りの厨房にたどり着いた時には全身が汗に濡れていた。激しく脈打つ鼓動を落ち着かせようと大きく息を吸い込み、吐き出したが、大した意味はなさなかった。冷たい風が奥から吹き抜けて、私は身体を震わせる。侵入者はここの小さな換気窓さえも割って行ったらしい。

「ベイラ様、ご無事ですか……?」

呼び掛けながら恐る恐る一歩、二歩──歩みを進めた。返事は、ない。息を潜めて角を曲がる。そこに見えた残骸に私は息を詰まらせた。

「…………!!」

──ベイラ様、だった物が、床に散らばっていた。よろよろと近づき、膝をついてその欠片を拾い上げる。白い結晶は何も言わず、ただ手の平で煌めいているだけで。

「あぁぁ……」

抱き締めるようにその欠片を胸元に押し付けて言葉にならぬ声を喉から溢す。名前を何度呼んでもベイラ様が言葉を返すことはない。人の形には戻らない。

「……身体に触れることをお許しください、ベイラ様」

胸ポケットからハンカチを取り出して、床に散らばる結晶をかき集める。ひとつひとつ、丁寧に。歯噛みして、肩を震わせてこぼれ落ちそうになるものを堪えた。

ハンカチで包み、そっと胸ポケットにしまいこんだ。そんなことをしても無意味な事だと分かっていた。けれど、何もせずにはいられなかったのだ。

「一緒に行きましょう。ここは寒いですから……」

中庭を抜けて、南棟の階段を上がった。

廊下に敷かれた高価なウィルトン織りのペルシャ絨毯を踏みしめる。ここの窓はまだ割られてはいないことから推察するに、侵入者はここには来ていないようだ。

「オルチーナ様!!」

城主の部屋の黒地に金の装飾がされた豪華な扉をノックも忘れて押し開ける。窓際で煙管をふかせていたオルチーナ様が振り返り、私を見て眉をつり上げた。

「何故出てきたの!?自室にいろとベイラに言われていたでしょう!?」

「声が、聞こえて……いてもたってもいられず……!」

「全く貴方は……」

頭が痛い、とばかりに眉間を押さえて、オルチーナ様は息を吐き出した。ぼそぼそと謝罪をして、オルチーナ様に歩み寄る。

「ベイラ様が……」

「わかってる!わかっているわ!!」

オルチーナ様は背を向けて、目線を落とした。強く固く握りしめた手は怒りからか微かに震えている。当然だ。血は繋がってはいないとはいえ、オルチーナ様は本当の娘のようにお嬢様達を愛していた。

「薄汚いネズミをこのままにしておくわけにはいかない。ドミトレスクの城を荒らした罪は重いという事を教えてやらなくては……」

愛娘を独り、失ったオルチーナ様の痛みは計り知れない。私ですらこんなにも胸が苦しいのに。
オルチーナ様が振り返る。私は火の消えた煙管を受け取り、オルチーナ様を見上げた。

「貴方は部屋にいなさい。何が聞こえたって出てはダメよ。非力なのだから、守られていたらいいの」

「ですが、私だけ指を咥えて見ているだけなんて……!」

食い下がろうとした私の両肩を掴み、顔を覗きこむ。金色の双眼に泣き出しそうな顔をした私が映る。

「貴方まで喪いたくないのよ」

──分かるわね?

それは幼子に言い聞かせるように優しい声色だった。


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