- ナノ -


今日はこの地方にしては比較的暖かい日だ。といっても、氷点下が近いことには変わり無いが、それでも数度違うだけで過ごしやすさは劇的に変わる。丁度、良いタイミングだ。城の裏で育てている、ワイン用の葡萄の木の剪定を済ませてしまおう。それから、中庭の草木の手入れと──次から次へと仕事を思い付く。

「──っと、つい詰め込み過ぎてしまうな……」

つい先日、過労で倒れたばかりなのにまた倒れたら、今度は仕事をさせてもらえなくなるかもしれない。とりあえず今日は葡萄の木を整えよう。その後の事は余裕があれば、だ。

厚手のコートを羽織り、ペンチとバケツを片手に私は馬車寄せから外に出た。眩しさに目を細める。久しぶりの良い天気だ。澄んだ空気を胸一杯に吸い込んで、吐き出す。殆ど溶けかかり、薄くなった雪に足跡を付けながら、小さな葡萄畑に足を踏み入れた。
我が物顔で居座るカラス達がぎゃあぎゃあと威嚇してくる。ちょっと目を離したらこれだ。鳥避けの案山子もカラスに集られて、全く意味をなしていない。城の上空を飛び回る蝙蝠のような幽鬼──サンカをこの辺りに飛ばした方がよっぽど効果がありそうだ。あれらを見るのはあまり好きではないが、葡萄のためなら前向きに検討しておこう。

「しっし。あっちへ行け」

みすぼらしい風体の案山子の両肩に留まるカラスを腕を振り回して追い払い、ようやっと仕事を開始した。
今は葉も付いていない木だが、春になれば芽をつけ、夏には青々とした葉、そして秋口にはたわわな実をつけるのだ。美味しい葡萄を作るためには今からきちんと世話をする必要がある。枝を見極めて一本ずつ丁寧に切り落とし、切った枝はバケツに放り込む。単純作業だが、中腰にならなければいけないのが地味に辛い。

「ふぅ……」

畑の半分程の剪定を終わらせて私は息を吐き出した。地味な作業程重労働だ。少しだけ休憩をしよう、と石の縁に腰かける。寒い地方とはいえ、これだけ動くと汗ばむ。熱を持った身体を冷ますように襟元のボタンをひとつ外して扇いだ。

ぼうっと空を見上げる。遥か上空でサンカが飛び回っていた。平和な一日だ。何もない日こそ素晴らしい日だと私は思っている。

「──見つけたわ!!」

外では絶対に聞こえる筈のない声が背後から聞こえて、私は跳ねるようにして立ち上がり、振り返った。

「よくこんな寒い所に居られるわね」

「カ、カサンドラ様!?」

白い息を吐き出して、身体を震わせているカサンドラ様に私は目を丸くして駆け寄り、着ていたコートを脱いで肩に掛けてやる。全く。お嬢様の突拍子もない行動は予想がつかなくて困る。

「あぁもう……ご用なら呼んでくだされば良いものを……!」

私でさえ外に出るときはコートを着ているというのにカサンドラ様ときたら、いつも通りの黒いフード付きのローブ一枚だ。寒がりの癖に着込むという考えがないのがお嬢様らしいというか、なんというか。
寒さで硬化して人形を形成出来なくなった羽虫達が足元に散らばっている。それらを急いで拾い上げて、とりあえずコートのポケットに突っ込んだ。死んでいるわけではないため、温めればまた復活するだろう。

「ふふ、このコート……貴方の温もりが残ってる」

「……、」

「匂いも……うふふ」

コートの襟元を引き上げて、鼻先を擦り寄せるカサンドラ様に頭が痛くなる。私はともかく、聞く人が聞けば勘違いしそうな台詞だ。

「カサンドラ様……他の男性の前ではあまりそういう発言はなさらないように」

「他の男なんて皆、餌よ」

お嬢様らしいといえばそれまでだが、それはそれで如何なものだろう。私は眉間を押さえながらため息をつく。

「……まあ、いいです。さ、早く城へ戻ってください」

「貴方は?」

「私はまだ仕事がございますから」

葡萄の木の剪定が後半分残っている。好き放題に伸びている木の枝を指して、私が答えるとカサンドラ様は不満げな顔をした。

「待ってる」

「はい?」

「待ってるって言ってるの。だから、早く終わらせてよ」

つんとした顔でそう言うと先程私が座っていた場所に腰かける。寒いのに本気で待つつもりらしい。こうなったらカサンドラ様は梃子でも動かない。

(仕方ないな……)

さっさと仕事を終わらせる他ないだろう。私はやれやれと肩をすくめて、先程放り投げたハサミを拾い上げ、残りの葡萄の木に手を伸ばした。





ぱちん、ぱちん──枝を切り落とす。背中に刺さる視線が痛い。気付いてはいるが、敢えて反応せずに無言で作業を続ける。

「まだかしら?」

待っているだけで退屈なのだろうが、体感でもわかるくらいには時間は過ぎていない。早々にそんな事を言われて私は苦笑する。「まだですよ」と窘めて、私は次の葡萄の木の剪定に移った。

「貴方も、いつか死ぬの?」

ぱちん、ぱち──不意に投げ掛けられた問いに私はハサミを動かしていた手を止める。

「……そう、ですね。人間である以上、死からは逃れられませんから」

事故死。病死。老死。どういう死に方になるかは分からないがいずれは訪れる。オルチーナ様やお嬢様には老衰や病気は縁が無いだろうし、死は遠いものだろう。悲しいかな、私は主人よりも先に死んでしまうのだ。

「何年後かはわかりませんが、ね」

親も兄弟も早くに亡くして天涯孤独だと思っていた私にとっては老衰でオルチーナ様とお嬢様に看取られるのも悪くない。根本に落ちた枝を拾い上げながら、私はため息混じりに笑った。

「そんなの嫌。お母様と私達と貴方とずっと一緒に暮らすのよ」

「そう仰られましても……寿命、と言うものがありますので」

私だってできることならそうしたい。何十年、何百年、永遠に時を刻みたいが、人の身では到底叶わぬ願いだ。

「なら貴方もカドゥと適合すればいいのよ!」

名案だ、とばかりにカサンドラ様が手を打ち鳴らした。"カドゥと適合"なんてとんでもない事を簡単に言ってくれる。村人の殆どが適合出来ずにライカンだのモロアイカだのハウラーだの自我のない放浪するだけの生き物になっているというのに。

「私が適合できるとは思えません」

「そんなの試してみないとわからないじゃない」

「そうですね。試さねば分からないでしょう」

カサンドラ様の言う通り、試さねば分からない。けれども、試せば後戻りは出来ない。

「適合出来ずにライカンになる可能性だって零ではありません。そうなるのは不本意ですから」

淡々と告げると、カサンドラ様は「あ」と漏らす。カサンドラ様の中では私は必ず適合するものだと思われていたようだ。適合するか、しないか。確率の低いギャンブルをするくらいなら私は、私のまま生きて、私のまま死にたい。

「それに、カサンドラ様の好きな血が不味くなるかもしれませんよ」

全ての葡萄の木の剪定を終えて、私は根本に生えた雑草を引き抜いていく。

「それでもいいわ!貴方と一緒に居られるなら──」

「カサンドラ様」

カサンドラ様の言葉を遮る。
そう思ってもらえるだけで私は幸せだ。

「……私が死ぬ時は血を吸い付くして殺してください」

「家族を食べろって言うの?酷い人ね」

「えぇ、私は酷い男なのですよ」


だから、どうか──。


私はただただ笑みを浮かべて、眉を下げた。



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