- ナノ -


昨晩から愛用の懐中時計が動かなくなってしまった。元々年季の入ったものだったのだが、うっかり落としたのがトドメをさしてしまったらしい。大体の事は何でも出来るが、専門的な知識のいる機械等は直せない。あまり行きたくはないが機械工学に詳しいハイゼンベルク様なら時計を直すくらいはわけないだろう。

そういうわけで私は滅多に行かない、機械油の臭いが漂うハイゼンベルク様の工場を訪ねていた。オルチーナ様には黙って来ているので、後でバレた時が怖いが。

「──突然のご訪問、失礼致します。ハイゼンベルク様」

「てめぇが来るたぁ、明日は槍でも降るのか?」

葉巻の煙を吐き出しながら、にやりと口角を上げた。私は肩を竦めることで返事をして、本題の品を差し出す。手のひらのそれにハイゼンベルク様は片眉を上げた。

「あぁ?懐中時計か?」

「えぇ、止まってしまったので直していただきたいのですが……」

「ドナといい、てめぇといい……俺を便利屋か何かと勘違いしてねぇか」

まぁ、いいけどよ。と葉巻を咥えて、懐中時計を摘まんだ。ハイゼンベルク様はしげしげと懐中時計を眺めると作業台らしき場所に置いて、近くの金属ラックから工具箱を取り出した。咥えていた葉巻を灰皿に押し付けて、作業に取りかかる。

「ちぃっと待ってろ。こんぐれぇならすぐ直る」

「見ただけでわかるのですか?」

「まぁな」

自慢げに鼻を鳴らして、工具箱から幾つか精密作業用の道具を引っ張り出す。あまり覗き込むのも良くないとは思いつつも、自分でも直せるようになれればとハイゼンベルク様の手元を注視する。別段気にした様子もなく、ハイゼンベルク様は作業を進めていた。

次々と分解して、歯車や名前も解らぬパーツを小分けの容器に移していく。完全に分解できた所でハイゼンベルク様は振り返り、壁際の薬品棚に手を翳した。手の動きに合わせてひとりでにガラス戸が開く。

「そっから、揮発油を取ってくれ。赤い蓋の奴だ」

いつ見ても魔法のようだ。言われるままに私は棚からそれらしい瓶を掴む。雑な筆跡で"Volatile oil"と書かれたラベルが貼られている。取り出すと同時にガラス戸が締まり、鍵まで掛かる音がした。万能な能力だ。

「どうぞ」

「おう」

ハイゼンベルク様は揮発油を適量ガラス製の容器に移し、先程分解したパーツを潜らせて刷毛で軽く払う。それだけでくすんでいたパーツがキラキラと輝きを取り戻していた。

「良い時計だな」

揮発油で濡れたパーツを宙に浮かせて乾燥させながら、ぽつりとハイゼンベルク様が言った。

「父から譲り受けた物です。何でも曾祖父が大枚はたいて購入したとか」

「だろうな。今じゃパーツも滅多に手に入らねぇ、年代物だ。大切にしてんのがわかるぜ」

素直な誉め言葉に、私が意外そうに目を見開くと少しばかり機嫌を損ねたらしく、眉間に皺がよる。それでもハイゼンベルク様は修理を放棄することなく、パーツを一つ一つ丁寧に合わせて、組み立て直してくれた。





組み立てはあっという間に終わっていた。鮮やかな手付きだった。隣で見ていたのにどこをどう組み合わせたのかさっぱりわからずじまいであった。やはりその道のプロには執事も勝てない。

「おら、出来たぞ。歯車がずれてただけだ。ついでに電池も変えてやったから暫くは大丈夫だろうよ」

最後に竜頭を引き上げて時刻を合わせてから「ほらよ」と能力を使いながら投げ渡される。それを礼と共に受け取ろうとしたが、触れるよりも前に引っ込められた。

「──どこまで知ってる?」

主語のない問いかけ。その問いに隠された意味に気付かぬ振りをして私は「何の事でしょう?」と何食わぬ顔で聞き返す。

「俺が聞きてぇ事をわかってる癖に惚けやがって」

ハイゼンベルク様にはお見通しだったらしい。「食えない野郎だ」とぼやき、葉巻を咥えて胸元をまさぐり出したハイゼンベルク様にすかさずその先にライターを灯した。そして、目を伏せながら口を開く。

「私は……何も知りません。オルチーナ様はその事だけは頑なに教えてはくださりませんから」

火の点いた葉巻を指で摘まみ、葉巻の煙を燻らせる。紫煙を吐き出してハイゼンベルク様は笑った。

「はっ!あのババアのがよっぽど家族を大事にしてるたぁ笑えるぜ。本当に……ミランダの奴に教えてやりてぇよ」

「どういう……」

「いい機会だ。教えてやるよ。ミランダはガキを蘇らせようとしてんだ。百年も前に死んだガキをな……俺達はその過程で出来た副産物に過ぎねぇのさ」

それはオルチーナ様が隠していたこと。
私が知らなかった事実。

次から次へと語られるミランダ様の野望に言葉を失う。ハイゼンベルク様は終始笑ってはいたけれども、その端々には憎しみを滲ませていた。

「子供とも思ってねぇのに、お母様、なんて呼ばせて家族ごっこをしてやがんだよ。ミランダはな」

「そんな……」

「村の連中もミランダを崇拝するように仕向けられてる。お前は違うみたいだがな」

浮いていた懐中時計が手元に落とされた。震える指先で時計を握りしめて、金属よりも自分の手が冷たいことに気づく。俯いて言葉を溢す。

「オルチーナ様が私をミランダ様に会わせないようにしていたのは、」

「てめぇの事を守るため、だろうな」

「…………、」

私は、守られてばかりだ。
いつも。いつだって。

狼一匹すら殺せない非力な自分が情けなくて、ただただ項垂れた。私にハイゼンベルク様のような力があれば、オルチーナ様のような力があれば、良かったのに。

「もうじきガキを蘇らせる儀式が始まる。ガキが蘇ったら、俺達はどうなるだろうな?」

本当の子供が手に入ったら仮初の子供は──考えずとも分かる。ハイゼンベルク様の話が嘘の可能性は零ではないが、わざわざ嘘をつく理由もない。

ミランダ様がもしもオルチーナ様を消そうとしているなら私は──。

「……ひとつ教えてください。ハイゼンベルク様はオルチーナ様の敵ですか?」

「さぁ。どうだろうな。俺に歯向かうなら敵になるだろうよ」

草臥れた帽子を目深に押し下げて、ハイゼンベルク様は背を向けた。



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