- ナノ -


脱出ポッドの中は簡素な作りだった。
大人が数人が乗り込めばもう窮屈になる程の大きさで、むき出しのコンソールが壁に取り付けられ、天井の蛍光灯が細やかな光を放っていた。レールに乗ってポッドが動きだし、海底基地から打ち出されて、海面へと浮上していく。外の様子を確認するための丸窓には、ただどこまでも続く暗がりが覗いていた。

これで、全て終わったのだ。

やっと得た安らぎに自然と笑みが漏れる。二人は少し疲れた表情を浮かべながらも、口元は緩やかに弧を描いていた。

「……疲れたね」
「ナツキは訓練が足りないな?」
「これでも体力ついた方だと思うけど!?」

からかわれてナツキは不満げに頬をふくらませて反論する。と、今度はピアーズに笑われた。

「ナツキはまだまだ軟弱だろ」
「ひっどーーーー!!!?」

確かに二人と比べれば体格は小さいし薄っぺらいけれども、前と比べれば筋肉は付いている。自分的に、だけど。

そんなくだらない会話をしていられるのも束の間だった。不意に窓の外を白い影が過る。同時に脱出ポッドが大きく揺れて、明かりが点滅した。

「ハオスッ!?」
「まだ生きていたのか……!!」

窓を覗くとハオスが腕を伸ばして、ポッドを絡めとっていた。下半身は海底基地に引っ掛かっているようで無茶苦茶にされる心配はないが、このままポッドを掴まれていては脱出できない。しかしポッドの中にいる以上、状況を打開する手だてもない。

「不味いな……このままでは……」
「でもどうすれば──……いっ!?」

揺れたポッドで体勢を崩しナツキは尻餅をつく。二人はうまくポッドの突起に掴まっていて、ナツキのようには転んでいなかった。
思い切り打ち付けた尻をいつもの癖で右で擦ろうとして、無いことを思い出す。左手で擦りつつ、奇妙な感覚に気付いた。

「んん?」

右腕がない、という違和感ではなく、むしろ動かしているような感覚。無いのに何かに触れている触感が確かに指先を伝う。硬い金属、それから水の冷たさ──幻影肢とは思えぬ確かな動きに切り捨てた右腕の存在を思い出した。

もしかしたら、もしかするかも──。

勢いよく立ち上がり、ピアーズを突き飛ばすように窓の外を覗いた。

「ナツキ?」
「出来るかも……」

緊張で声が上擦った。額に汗を滲ませながら、食い入るように窓の向こう側を見つめた。ハオスもこちらを覗いて、けして離さぬとでも言うようにポッドを抱え込んだ。

「お前なんかに負けるもんか」

睨み付け、吐き捨てる。必ずしも出来る可能性はない。けれど、確固たる確信がナツキにはあった。神経を尖らせて、見えぬ指先を動かした。

「何するつもりだ?」
「ちょっと、ね……」

おざなりに返事をして、ナツキは腕を──基、触手に全意識を集中させる。どこに動かしているか把握が出来ないため、感覚を頼りに必死に触手を這わせた。

そして、見つけた。ぶよぶよとした奴の身体。指先に触れたそれに一気に触手を巻き付かせて、締め上げる。

『オオオオオオオオォオオ!!』

悲鳴を上げ、ハオスがもがいたが絶対に離さない。こちとら三人分の──大切な人の命が懸かっているんだ。二人の視線がナツキに突き刺さったが、反応を返している暇はない。

ガラスに赤く光る自身の瞳が映り、また呑み込まれるかもしれないという不安が胸を過った。それでも、何もしないで死ぬよりはずっといい。

『オオオオォオ!!』

ハオスが一撃を加えようと片方の手を振り上げた。防御の装甲などないポッドだ。一撃でも食らったら海の藻屑になってしまう。歯噛みしながら触手を精一杯伸ばし、ロープのようにハオスの全身に巻き付けた。

「いい加減、倒れろぉおおお!!!」

持てる力を出し尽くす。手の中で何かが折れるような嫌な感触があった。けたたましい断末魔と共にハオスの身体がぐにゃりと曲がり、脱出ポッドが浮上を再開する。

「やった……ぁ……」

力無く沈んでいくハオスを見届けたら、気が緩んだのか身体から力が抜けた。踏み留まろうとしたが、どうにも力が入らない。また頭を打つぞと、数秒後に訪れるだろう痛みに身構えた。

ぽす──クリスが身体を支えてくれて、後頭部の大きなたん瘤は回避する。ナツキは頭上にある顔を見上げてへにゃりと笑みを浮かべて欠伸をひとつ。ずっと張り詰めていたからか、気が緩んだ今とても眠い。

「へへ……俺、役に立てた……?」
「あぁ……助かったよ。ナツキ、お疲れ様」

また大欠伸が漏れた。それを見たクリスがくつくつと笑う。自然と目蓋が落ちてきて、暗転する。

──おやすみ。

耳元で聞こえた声が嬉しくて、無意識のうちに口角が上がった。



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