- ナノ -


扉の先は長い通路が続いていた。水中にあるらしいこの施設は薄暗く、足元にある僅かな光源が道標のように先を示している。ガラス張りの向こうは全く光りも見えぬ暗い闇に包まれていて、音もしない不気味な空間が広がっていた。

そうそう壊れるような造りにはなっていない筈だが、ハオスみたいな巨大生物が暴れたら──無意識のうちに身体に力を入れて顔を強張らせる。

「──ナツキ」
「……え、と何?クリス?」

不意に声を掛けられて反応に遅れる。先の戦闘で減った弾薬を補充しながら、クリスが緩やかに笑みを浮かべた。

「必ず生きて帰るぞ」
「!」
「俺だけじゃなく、シェバにも会いに行くんだろう」
「……うん」

──シェバ。クリスと同じ大切な人。最期に見えたあの悲痛な瞳が今も脳裏に焼き付いている。

「……怒られるかな?」
「さぁ……どうだろう。だが、覚悟はしておいた方がいいかもしれないな」

肩を竦めてクリスは苦笑した。でもきっとシェバの事だから──最初は泣いて怒って、それから笑って許してくれるんだろう。シェバの顔を想像してナツキも釣られるように笑った。

「隊長!早くしてください!」

着いてきていない二人に気付いたピアーズが怒ったように声を上げる。その声に返事をしてナツキとクリスは足早に動き出した。

長く続く通路を進んでいると、不意に頭上が黒い影に覆われた。ガラスの向こうにハオスを認識すると同時に激しい衝撃と共に通路がぐにゃりとひしゃげる。傾いた足元に体勢が崩れた。

「うわぁっ!?」

網目上になっている床の凹凸を掴んで転がり落ちるのを済んでのところで回避したが、頭上でハオスが旋回し次の攻撃準備をしている。二撃目が加えられたら通路ごと海の中へ持っていかれてしまうだろう。不味い状況だ。

「隊長!隔壁が……!!」

悪いことは重なり、衝撃を感知して自動的に隔壁が閉じていく。あの隔壁が閉じてしまえば逃げ場は完全になくなり──そして死だ。それだけは避けなくては。俺一人なら全然構わないが、クリスとピアーズが死ぬのは嫌だ。こんなネガティブな事クリスには言えないけれど。

指先に力を込めて急勾配になった床をよじ登る。幸い隔壁の閉まる速度はそう速くはない。しっかり一歩ずつ上っていけば大丈夫──邪魔さえ入らなければ、だが。

「急げ!」

体力のあるクリスが一番にたどり着き、隔壁を抑えながら急かすように叫ぶ。急ぎたいが休憩なしの連戦続きと体力の無さが祟って、腕が思うように持ち上がらない。肩で息をしながら、重い腕をひとつ上に掛ける。またひとつ。もうひとつ──後少しが遠い。

何とか一番上に手を掛けて、やっと上りきったと思った瞬間にハオスが狙いを澄ましたように突撃してきた。

「……ぁ!」

激しい衝撃が全身を襲う。不味い。そう思ったときには指先は床から離れ、身体は傾いていた。焦った表情でクリスが手を伸ばすも──届かない。何も掴めず身体は重力に従い自由落下を始める。

もう、駄目だ。ここで死ぬんだ。

絶望的な状況。死を目前にしてナツキは恐怖のあまり目を固く閉じた。

「──ナツキッ!!」

呼び声と共に腕を強く握りしめられた。一体誰が──引き留められた事に驚いて、顔を上げて目を見開く。

腕を掴んでいたのは、ずっとナツキの事を見ようともしなかったピアーズだった。もう片方では閉じかけた隔壁を抑えており、体勢がキツいらしくその顔は苦渋に歪んでいる。

「必ず……生きて帰るんだろ!?そんな諦めた面するな!!」

先程の会話をピアーズも聞いていたらしい。怒鳴られた俺は戸惑いながらも小さく頷いて答える。ピアーズはやっぱりどこか俺を非難するような目をしていたけれど、それ以上は何も言わずにただ身体を引き上げてくれた。

引き上げると同時にさっと手を離し、そっぽを向いたピアーズの背中に俺は呟くように声をかける。

「……ありがとう」

返事は返ってこなかったが、感謝の気持ちは届いた筈だ。きっと。初めは分かり合えなくても、いつか分かってもらえたらそれでいい。小さくても大きな一歩だ。

「ピアーズ!ナツキ!早くしろ!隔壁が閉まる!」

クリスの声にハッとして前を見た。もう半分ほど閉ざされている隔壁にナツキとピアーズは駆け出して、スライディングをしながら潜り抜ける。

まだ通路は続き、隔壁も順繰りに閉じようとしていた。そのまま次の隔壁に進もうとするが、それをハオスが阻んでくる。

「チッ!急いでるっていうのに!」

白い腕が壁を突き破り、通路を塞いだ。今しがた出来た穴から海水も入り込んで、川のように足元を流れていく。苦々しげにピアーズが舌打ちをして、ショットガンを撃ち込むが効果はない。

「これでやる!離れてろ!」

ピアーズを後ろに下がらせて、クリスはグレネードランチャーを叩き込んだ。腕が吹き飛ぶまではいかなかったが、ハオスは怯んだように腕を引っ込ませる。
行くぞ──クリスの合図よりも前に三人とも身体は動いていた。金網を叩きつけるような、けたたましい足音を立てながら、薄暗い通路を駆け抜けていく。

扉を開き、幾つもの隔壁を抜けるが、ハオスの追跡は止まらない。隔壁程度の薄い鉄板では足止めにもならないようだ。背後で通路がいとも容易く消し飛ばされていくのが音で分かる。緊張と恐怖が合わさって心臓がどくどくと脈打つ。それらを振り払うように死に物狂いで足を動かして、閉まりかけた隔壁に滑り込んだ。

すぐに身体を起こして、背後を確認する。

「うわっ!?」

ハオスが隔壁を持ち上げ、三人のいる空間に入り込んできた。休憩する間もなく、ハオスは巨大な腕を振るい攻撃を繰り出してくる。

「隊長!」
「クリス!」

ナツキとピアーズの声が重なった。直前までの全力疾走の疲労でナツキは全く動けなかったが、ピアーズは違った。クリスを守るべく動き、突き飛ばす。

しかし、その代わりにピアーズが腕を掴まれてしまった。ピアーズはまるで小さな羽虫を掴むように宙にもたげられる。

「ピアーズ!」

クリスが叫び、腕に銃を撃った。ナツキも解放すべく狙い撃つ。二人の反撃にハオスは耐えかねて、ピアーズを投げ捨てた。

その軌道の先に鋭く尖った金属片が見えて息を飲む。もしもあれがピアーズに突き刺さったら?考えたくもない。

すでに身体は動き出していた。


護りたい人達がいる。
変えたい未来がある。

俺にはその力があるって、信じてもいいよね──ねぇ、ウェスカー。




prev mokuji next