- ナノ -


タァン──



乾いた銃声が鼓膜を震わせて、頬に微かな熱と痛みが走った。目前の出来事を処理するのに数秒時間を要した。生きている。まだ呼吸が出来ている──その事実に心のどこかでほっとした。

「……こんな事、やってる場合じゃねぇんだよ」

感情を押し殺すように吐き捨てられた言葉に、俺は顔を俯けて音もなく「ごめん」と呟いた。きっとジェイクは俺の謝罪なんて求めてはいなかったろうけれど。

酷い空気の中、タイミングを計ったかのように建物が揺らぎ始めた。激しい振動で天井からパラパラと塵が落ちてくる。

「早く脱出を!」

ピアーズがいち早く声を上げ、全員を促した。

「何、あれ……?」

そんな中、シェリーが天井を見上げて怯えたようにぽつりと言葉を漏らす。視線を追いかけてナツキも頭上を見た。

釣り下がっていた蛹がぐにゃぐにゃと鼓動している。羽化をしようとしている蝶のように、自らを覆う殻を破ろうとしているようだ。大きさはさておき生まれるのがただの蝶であれば何の脅威もないが、背筋に走るゾクゾクとした冷たさがアレがそんな生易しいものではなく恐ろしいものだと告げている。

「おい、モタモタすんな!エレベーターで逃げるぞ!」
「えぇ!急ぎましょう!」

ジェイクが遠く離れた場所にあるエレベーターを目敏く見つけて駆け出した。シェリーもその後を追う。

「よし、俺達は向こうのエレベーターを使おう。ナツキもな」
「りょーかい!」

ジェイクとシェリーが向かったエレベーターとは丁度正反対の位置にもう一機エレベーターが設置されている。昔と同じ様にクリスの背中を着いて走るのが、嬉しくて堪らない。危機的状況だというのに口元が緩んだ。

「ん?」

その途中、何かが映し出されたモニターパネルに気付き、ナツキは足を止めた。モニターとその横にはエレベーターの起動ボタンが緑色に光って存在を示している。

「ねぇ、クリス!これ見て!」

先を進むクリスを呼び止めて、ナツキはパネルに目を向けた。モニターには簡易的に描かれた地球が表示されている。

『ハオス解放、感染率20%……60%……』

音声が流れて、地球が徐々に赤く染められる。

『感染率100%』

全てが赤く染まった地球に、俺は眉間にシワを寄せた。ハオスを解放した場合のシュミレーション映像──この映像が見る限り、ものの数時間で地球全体をウイルスで支配できるらしい。ゾッとしない話だ。

「……これは……」
「この蛹が解き放たれたらこうなるってことだよね……」
「必ず止めなければな」
「勿論。まだシェバに逢ってないもん」

戻ってきたクリスが映像を見て、決意を固くする。俺もそれに同意しつつ、起動ボタンを押した。

エレベーターに乗り込みジェイクとシェリー、クリスとピアーズがそれぞれレバーを引く。長く動いていなかったのかエレベーターは軋んだ音を立てながらもゆっくりと動き出した。

「まったく、あんな無茶をする必要はないでしょう」

隊長──エレベーターの間、咎めるようにピアーズが切り出す。ウェスカーは死んで当然だ、と言うピアーズに俺は目を伏せた。過去に辛いことがあったのか、或いは正義感からか、生物兵器やそれらを産み出した人物にはかなりの嫌悪感があるようだ。俺を見るその目は責め立てるような怒りを滲ませていて、居心地が悪い。逃げるみたいに背を向けて、対岸にいる二人を眺めた。

「だがあいつにとってはたった一人の父親だ。知っておく権利がある」

ウェスカーに造られたのに、ウェスカーを殺した。ジェイクの目に俺はどんな風に映っているだろう。きっと憎まれている──そこまで考えて緩く頭を振った。今は目の前の事に集中するべきだ。ここから脱出して、世界を守って、またジェイクと会った時に答えを聞けば良い。

「くっ!敵だ!」

休息もすぐに終わりを告げる。上層階からジュアヴォが飛び降りてきて、武器を手に襲い掛かってきた。苦々しげにピアーズが叫んで応戦する。
貨物用らしく通常よりも大きいが手摺の無い狭い足場に敵が複数集まるのは危険だ。それに足を滑らせようものなら──考えただけでも恐ろしい。手汗を滲ませながらナツキも銃を構え、ジュアヴォを撃ち抜いた。

急所を撃たれ怯んだジュアヴォにクリスが強烈なストレートを繰り出して、エレベーターの外に殴り飛ばす。もがきながら堕ちていく姿に心臓がぎゅっと縮んだ。

「クソッ!スナイパーがいるぞ!気を付けろ!」
「俺がやります。隊長は周囲の敵を!」

敵の狙撃をいなし、ピアーズがライフルで撃ち落とす。足場は依然として動き続けているのに着実に仕留めていく。そんなピアーズを守るように背に庇って、近付くジュアヴォを一掃した。

スタンガンを振りかざしてくるジュアヴォは足を、マシンガンを構えたジュアヴォは頭を狙う。ピアーズが巻き込まれないように視界にいれつつ、しっかりと。

「…………助かる」

弾を籠めるタイミングでピアーズと視線が交錯する。相変わらずその目には差別的な色が見えたが、小さな声は確かに届いて、ナツキは笑みを浮かべて頷いた。


ジュアヴォの猛攻を凌ぎ、ナツキ達は無事に一番上まで辿り着いた。二基のエレベーターが同じ位置で停止して、シェリーとジェイクと合流する。

良かったと安堵したのも束の間で、ぶら下がっていた蛹の背がメリメリと音を立てて割れた。薄い膜を纏った幽鬼のような恐ろしい生き物がぬるりと蛹から現れる。その背中には白くぶよぶよとした触手らしきものが生え、ゆらゆらと揺れていた。

頭蓋骨が透けて見えるその恐ろしい生き物──ハオスは歪な形をした巨大な腕を乱暴に振り下ろす。

「避けろ!!」

クリスが叫ぶよりも前にほぼ全員が左右に避けていた。叩きつけられた衝撃で足場が崩れ、ハオスも自らの動きでクレーンが緩んだようでコードを引きちぎりながら堕ちていく。だが、それくらいではハオスは死なず、下層から目の無い顔が此方を見上げていた。

「クリス!」
「お前達は先に行け。こいつは専門家の仕事だ」

こんな状況だというのにクリスは至って落ち着いた声色で二人に言う。「でも」と食い下がろうとするシェリーをジェイクが嗜めて、腕を引いて奥へと走っていった。その背を見送って、ナツキは振り返る。

「俺はクリスと一緒に行くからね」
「……前みたいに命を放り出すようなことはするなよ」

クリスの言葉に苦笑して「もうしないよ」と頷いた。それでもクリスはどこか不安そうだったけれど。

「隊長!上へ!」

壁をよじ登り、ハオスがナツキ達のいる足場に巨大な手を乗せた。重量オーバーで嫌な軋音が足元から響く。ピアーズが壁に取り付けられた梯子にクリスを誘導する。遥か上まで続く梯子に気が遠くなりそうだったが、足元はすでに限界の悲鳴を上げていた。

「ひぇっ!」

ナツキが梯子を掴むのと、足場が崩壊するのは殆ど同時だった。もう後戻りは出来ない。落ちれば即ゲームオーバー、追い付かれてもゲームオーバーのデスゲームの始まりだ。汗ばむ手の平が滑りそうだし、背後から迫るハオスの気配が恐ろしい。

「ナツキ!急げ!」
「そんなこと、言われてもっ!」

B.O.W.といえどもこちとら力を使いこなせてない寝起きのポンコツだ。視界の端で梯子がハオスの手により削られて行くのが見えて血の気が引く。

我武者羅に腕を動かして漸く梯子を登りきったが、すでに二人は先へと進んでいた。

「ちょ、ちょっと!置いてかないでよぉおおおお!!!」

キャットウォークのように壁に這うように取り付けられた足場を二人を追いかけて駆け抜ける。ひとつずつ崩されていく足場に半泣きになりながら、全力疾走して何とか二人に追い付いた。

「くっ……ピアーズ!手を貸してくれ!」

目測三メートルはあろう段差が行く手を阻む。クリスが先にピアーズを押し上げて、その後にピアーズが上からクリスを引き上げようとするも、焦りも合わさって中々引き上げられずにいた。モタモタしている間にハオスは目前まで迫っている。

──このままじゃ三人とも仲良く奈落の底だ。

顔を引き締めて、ナツキは両足に力を込めた。地を蹴って軽やかに飛び跳ね、そしてピアーズの横に着地して、即座にクリスの救出に回る。

「クリス!今手を貸すよ!」
「…………」

必死になりすぎて、ピアーズの物言いたげな視線にナツキはちっとも気が付かなかった。



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