- ナノ -


暴走リフトを乗り越え、当初の目的であるエレベーターへ乗り込んだ。リフトとは違い正しく動作するエレベーターに内心安堵する。誰も何も言わず、ただエレベーターが止まるのを待った。

スライドするドアの向こうには望洋とした空間が広がっていた。上にも下にも広い空間は円形になっており、その中央には溶けたような奇妙な物がぶら下がっている。まるで羽化を待つ、昆虫の"蛹"のようだ。時折大きく脈打つ蛹は気味が悪い。

「何だありゃ?」
「分からないわ……でも──」
「良くないモノ……だよね……」

絶対に世に放ってはいけない、巨大なB.O.W.だ。今のところはまだ無害だが、あれがもし羽化してジュアヴォの変異体のようになったなら──その先は想像したくもない。

「!」

不意にナツキ達三人以外の足音が聞こえた。二人分の音に口をつぐんで顔を見合わせる。各々銃を握り、臨戦態勢を取った。

近付いてくる足音に緊張感が走る。

曲がり角から勢いよく現れた人影に銃を向けて──そして目を丸くした。

「クリス!?」

シェリーが名前を呼ぶ。
懐かしい名前に心臓がとくりと跳ねた。ずっと、ずっと会いたかった人。その横顔は、姿は、記憶とほとんど変わらずそのままで、夢を見ているような錯覚さえ覚えた。

「二人とも無事だったんだな……それから君は──」
「隊長?」

視線が交錯する。不自然に言葉を止めたクリスに隣の青年が不思議そうに声を掛けたが、俺もきっとクリスも聞こえなかった。言葉もないままクリスは大股で歩み寄り、そして口唇を戦慄かせるようにして言葉を落とす。

「ナツキ……なのか?」

少しだけ小皺の増えた顔を見上げて、目を潤ませながらナツキは小さく頷いた。頷くやいなや身体に逞しい腕が回り、痛いくらいに抱き締められる。ナツキも腕を回して、堪えきれずに溢れ落ちた涙を隠すように胸板に顔を押し付けた。
ちょっぴり汗臭いシャツの臭いさえも懐かしい。

「おれ、俺だよ……クリス……ずっと、ずっと、会いたかった!」
「俺もだ……ナツキ」

クリスは俺を解放すると、今度は優しく頭を撫でてくれた。温かく柔らかな感触に俺は目を細める。

「隊長……その子供は?」
「彼はナツキ。四年前に共に任務を果たした」
「……え?ナツキはBSAAなんですか?」

シェリーが驚いたように聞き返す。ナツキを見る視線は疑念に満ちていた。

そんなに俺にBSAAは似合わないのかと少しばかりショックを受けつつも、先程のクリスの台詞を思い出す。

──四年前に共に任務を果たした。

聞き間違いでなければ、クリスはそう言っていた。四年。あの出来事からもうそんなに経っていたのかと衝撃を受ける。自分自身に自覚も記憶もないせいでまるで実感が湧かない。そもそも俺は死んだ筈だったのに。だからこそクリスが覚えていてくれた事がより嬉しく思う。

「……ナツキは……」

シェリーの問いにクリスは答えづらそうに視線を彷徨わせた。ナツキはその背中を突っついて、助け船を出す。

「クリス、いいよ。自分の事は自分で言う」
「だが……」

渋るクリスを「いいの」と笑顔で押しきって、俺は三人に向き直った。

「二人には……今まで黙っててごめん。俺、実は……ウェスカーに創られたウロボロスに適合した人間なんだ。人間って言ってもいいのかわからないけど……。四年前にクリスに助けてもらって、少しだけ一緒にいたんだ」

誰かが息を飲んだ。ナツキの暴露に三人とも言葉を失っていた。

「おいおい……笑えねぇジョークだな、そりゃ……」

重い沈黙を破ったのはジェイクだった。眉間にシワを寄せて、険しい顔でこちらを見つめている。俺が冗談でこんなことを言わないと分かっているからこその表情なんだろう。

「……本当なの?外見からは全然分からないわ」
「見た目はこんなだけどさ……本当だよ」

シェリーは改めてナツキの姿を顔から足元までなぞって、信じられないとばかりに頭を振った。

確かに俺は臆病だし、へっぽこだし、見た目からは想像もつかないかもしれない。けれど嘘じゃない、真実だ。

「怪我は早く治るし、力も異常だったりするし……」

苦笑混じりに告げる。不本意ながらも得てしまった力。それに助けられたことも少なくない。

カチャ──

銃を構える音に全員の視線がそこに向いた。クリスと共にいた青年がナツキに銃口を向けている。此方を睨む険しい表情からはB.O.W.に対する激しい憎悪が見てとれた。

「止せ!ピアーズ!」

クリスが青年──ピアーズさんを制止する。が、銃口はナツキを捉えたまま下ろされない。

「何でですか、隊長!コイツは、コイツは──」



──"化け物"なんですよ!!



次の瞬間、ピアーズさんはぶっ飛んでいた。

「ナツキは人間だ!そんな風に言うな!!」

肩で息をしながら、クリスは荒々しく怒鳴る。上官に殴られた事が酷くショックだったのか、ピアーズさんは呆然としながらも反論した。

「ウイルスに適合してるなんて、化け物じゃないですか……奴らと何にも変わりない……!」
「ピアーズ!!」

化け物。そう、俺は化け物だ。
ピアーズさんは間違っちゃいない。

でも、化け物と言われる度に胸が張り裂けそうになる。違わないけれど、現実を突き付けられると苦しくて悲しい。
同時にクリスが人間だと言ってくれて嬉しくもあった。まだ俺は人でいていいんだと安堵できた。

人か、化け物か。不毛なやり取りを続ける二人を止めるために、ナツキはクリスの肩をそっと叩く。ナツキを見て眉をひそめるクリスに笑顔を返して、ピアーズさんの傍らに膝をついた。嫌悪の眼差しを臆すことなく受け止める。

「ピアーズさん。俺は普通じゃないかもしれないけど、それでも人であり続けたいって思ってるんです」

"化け物"と自身の口から出すのは怖くて濁した。

「……もしも、俺が正気を失くして皆に危害を加えるようになったら、なりそうだったら……その時は幾らでも俺に銃を向けてください」
「……!!」

銃口を掴み、ナツキはそれを心臓に押し当てた。今ピアーズさんが引き金を引けば、ナツキの心臓は吹き飛ぶだろう。そうなればウロボロスで強化されたナツキだって流石に死ぬ。

恐ろしい物を見るように此方を凝視するピアーズさんに、俺はへらりと笑った。

「バカな事を言うな!」

肩を掴まれて、強制的にピアーズさんから引き離される。泣き出しそうな、怒ったような、両方が綯交ぜになった顔でクリスが叫んだ。

分かってる。
ずっとクリスは俺の味方でいようとしてくれている。でも"もしも"の可能性はなくはない。だからこそそうなった時は、俺を──。

「……あの時みたいに我を失って……クリスを、皆を傷付けるかもしれない。そうなったら──!!」
「だったら、前と同じように俺が名前を呼んでやる!」
「それでも、戻らなかったら?」
「戻るまで呼び続けるさ、ずっとな」

あぁ。どうして、クリスはこんなにも優しいんだろう。堪えていた嗚咽が漏れる。顔を隠すように俯くと、頭を暖かな手で撫でられた。

いつもクリスは俺の欲しい言葉をくれる。その優しさが嬉しくて、愛しくて、涙が溢れた。

「ありがとう、クリス……」

涙を流す俺を、クリスは何も言わずにそっと抱き寄せてくれた。





クリスは、俺の周りの人達は皆優しすぎる。優しくて、温かくて、こんな俺がここにいていいのか分からなくなる。幸せを噛み締めながら俺は緩やかに口角を上げて、クリスの胸元から顔を離した。泣いてはいなかったがクリスも俺と似たような表情を浮かべていて、それが少し可笑しくてどちらからともなく吹き出すように笑った。

もう一度俺の頭を撫でてから、クリスは切り替えるように真剣な表情でシェリー達を見た──正確にはジェイクの方を。

そして、告げる。

「……よく見れば、父親の面影がある」
「……え?」

シェリーはハッとして、ナツキはきょとんとする。
父親──ナツキには無いもの。初めてジェイクを見て感じたのは、ウェスカーに似ている事。クリスの言葉はそれが気のせいではなく、真実だと裏付けるもので、ナツキは思わずジェイクの顔を凝視した。

「ちょっと待て……知ってんのか?」

ジェイクは僅かに怒気を滲ませ、鋭い眼光をクリスに突き付ける。

「あぁ……俺が殺した」

その答えにシェリーを除く全員がほぼ反射的に動いていた。ジェイクはクリスに銃を向け、ピアーズさんはジェイクに銃を構え、俺はクリスを護るように間に入る。

「どけ、ナツキ!」
「嫌だ……!」

低く唸るジェイクに震えながらも反発した。クリスは嘘をついている。ウェスカーを殺したのは俺だ。クリスはほんの少し攻撃を加えただけに過ぎない。

「……ウェスカーに止めを刺したのは俺だ。クリスじゃない!」
「ナツキ!!」

咎めるようにクリスが叫ぶ。それに聞こえない振りをして言葉を続けた。

「……俺が、俺が道連れにしたんだ……溶岩に飛び込んで──」

目を伏せれば思い出せる。脳裏に焼き付いたあの光景。焼ける、というよりも融かされると表現した方が正しい熱さと痛み。熱気でカラカラになった喉で叫んだ『さよなら』と、ウェスカーに抱き締められた感触。全部覚えている。

自ら溶岩に飛び込んで心中紛いの真似をした。にも関わらず、こうして俺は生きているけれど。

「やめろ……!ナツキ、お前は……」
「止めないでクリス……俺がウェスカーを殺したのは事実でしょ?」

理由がどうあれ、クリスをただ護りたかった。もう一度こうして逢えただけで十分幸せだ。クリスを護って死ねるならこの上ない僥倖だ。

急所を確実に射抜ける位置に構えられた銃口を真正面から見返した。撃鉄はすでに起こされ、後は引き金を引かれればナツキは終わる。死を目の前にしても不思議と恐怖もなく、冷静さを保っていた。

「……何故、父親を殺した?」
「大切な人達を……護るためだよ」

銃を握る手に力が籠ったのが分かった。それでもナツキは目を反らさず、見つめ合う。

「ジェイク!やめて!」
「やめろ!」
「撃つぞ!」

シェリー、クリス、ピアーズの声が重なって、そこへ覆い被さるように銃声が響き渡った。




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