- ナノ -


気合いを入れて見知らぬ部屋を出たものの、見覚えもなければフロアマップもない。人の気配のしない静かな廊下には青白い光を放つ蛍光灯が随所に取りつけられていたが、光源としてはやや頼りなく見通しは不明瞭だった。
ジェイクか、シェリーか、誰かの声が聞こえたりしないかと耳をそばだてながら、ナツキは銃のグリップをしかと握り締めて一歩ずつ歩みを進めていく。ここは敵地だ。いつ敵が出てきても可笑しくはない。過去のクリスの見様見真似で、ぶきっちょながらも角を覗いて向かう先のクリアリングをした。

敵影なし。大丈夫そう──グチ、グチャ──だ。

「………………、」

大丈夫グチャだいじょうグチュぶ──不自然に音が混ざった。少しだけなら気のせいだと思い込めたけれど、何かが潰れるような生成されているような、どちらとも言えない音がすぐそば、ナツキの背後から聞こえてくる。冷たい汗が滲んで、心臓が早鐘を打つ。

音は形状を変えてひた、ひたり、と不安定な足音になり、ナツキは意を決して振り返った。

「ひぃっ!」

足音の主は人のカタチはしていたが、人間と呼ぶには程遠い姿をしていた。
肌は土気色を通り越して青黒く、目や髪はなく代わりに口は裂けたように大きい。歪に傾いた身体を小刻みに痙攣させながら、近付いてくるその恐ろしさたるや。盛大に叫ばなかっただけ誉めてほしい。

ゆらりゆらりと距離を詰めてくる度、ナツキも銃を構えたまま、じりじりと後退する。

今まで色んなB.O.W.に遭遇したが群を抜いて気持ち悪い。レポティッツァといい、中途半端に人のカタチをしているのが嫌だ。獣や虫の姿をしている方がまだ気持ち悪くない。

「あ」

うえぇ。キモイ。気持ち悪い──目の前の衝撃に足下の注意が疎かになっていた。ほんの僅かな段差に踵が引っ掛かり、重力に引かれて身体が傾く。

その向こうで表情などない筈の顔がにたりと俺を嘲笑ったような気がした。

「ぎゃぁああああああ!!!いやぁああああああ!!!」

奴──ラスラパンネが好機を逃すはずもなく、崩れ落ちたナツキにのし掛かる。思ったよりも滑らかで人間味の帯びた青白い指先がナツキの肩を掴み、地面に縫い付けた。細身のように見えたが、非力なナツキではとても振り払えない。
もがいて、あがいて、何とか危機を脱出しようと試みたが意味はなかった。頼みの綱の銃は転んだ時に手落としてしまったようで、数メートル向こうに転がっている。最悪だ。

人の頭さえ丸飲み出来そうな口ががぱりと開き、ピンク色の内蔵のような、はたまた別の生き物のような何かが飛び出した。ぼたぼたと粘液が溢れ落ち、ナツキの顔面を濡らす。

「──っ」

顔面に迫り来るそれに息を呑む。ラスラパンネの肩を押して離そうとしたが、細やかな抵抗に過ぎなかった。

「……何……こ……か…………ク……?」

絶体絶命の極限の状況下で、微かなその声を聞き取れたのは奇跡だ。二人分の足音がそれが空耳ではないことを裏付けてくれている。

「──っ助けてぇええええええ!!ひぃっ!!」

一呼吸、息を吸い込んで力一杯叫んだ。のはいいが、頬にべちょりとラスラパンネからの熱い接吻を受けた。絶望的過ぎて一瞬意識が遠退く。

「ナツキッ!?」
「ったく、手のかかるガキだな!」

地面を蹴る音がして、腹部の重みが無くなった。それから、トドメを刺すように銃声が連なる。

「ナツキ!大丈夫!?」

暫し呆けていたら心配そうにシェリーが顔を覗いてきた。

「しぇりぃいいい……!!」
「ちょっと……本当に大丈夫なの?」

見知った顔に安心感を得たと同時に涙腺が決壊して大粒の涙を溢すナツキにシェリーは困った表情で、更に眉を下げておろおろとする。

「会えて良かったぁああ……ずびっ……もう会えないかと思って……」
「……怪我とか、何かされたりとかはないのね?」

鼻水をすすりながらこくりと頷くと、シェリーは安堵したように胸を押さえて息を吐き出していた。
ナツキは自分のことで手一杯だったのにシェリーはずっと心配してくれていたらしい。自身の浅はかさにちょっぴり胸が痛んだ。

「ナツキ……本当にごめんなさい」
「へ……?」

緊張で凝り固まった身体を解していると、シェリーが暗い顔で謝罪を述べてきた。何のこと?と謝られる理由が分からず、首を傾げているとシェリーはほんの少し苦笑して、申し訳なさそうに言葉を続ける。

「私のせいでこんな事に巻き込んでしまって……本来なら一般人の貴方を守らなくちゃいけない立場なのに……」

俯くシェリーの表情は苦しげで、辛そうで。俺を危険な目に会わせてしまった事を余程思い悩んでいたようだ。一般人と言えど、志願したのは俺の方なのに。それに今回以前にはもっと危険だろう遺跡や火山にだって行ったことがある。独りは怖かったけれど、それと比べたら全然マシだ。
そもそもウロボロスウイルスに適合した人間って恐らくきっと"一般人"じゃない。たぶん。

それはさておき、ナツキ自身はちっとも巻き込まれたと思ってないし、シェリーに恨み言を言うつもりもない。寧ろ、捜しに来てくれて、一緒に居てくれて感謝しているくらいだ。

「シェリー……俺は巻き込まれたなんて思ってない。危険な事くらい分かっててレオンに……シェリーに着いて来てるんだ。だから謝らないでよ」
「でも……死ぬかもしれないのよ!」
「……俺、会いたい人がいるんだ。その人に会うまでは絶対に死なない……ううん、死ねないから……だから、大丈夫だよ」

俺は微笑みながら、シェリーの目尻に浮かぶ涙をそっと親指の腹で拭う。それでもなおシェリーは眉を下げ、顔を歪めていた。

「いいじゃねぇか。どうせここまで来ちまったんだ。今更どうこう言おうが無駄だろ?」
「そうそう!それに俺こういうサバイバル慣れてるし!」

タイミングよく敵を倒して戻ってきたジェイクに同意しながら、ナツキはぴょんと元気よく立ち上がって銃を構えて見せた。

「シェリーが謝る必要なんてないよ。ほら──」

座ったままのシェリーに手を差し伸べ、にっこりと笑う。暫しシェリーはその手の平を見つめていたが、やがてゆっくりと手を重ねた。

「……ありがとう、ナツキ」

綺麗な淡いブルーアイがナツキを見上げて、弛やかに弧を描く。もうその瞳に憂いはない。ナツキは真っ直ぐな感謝にむず痒さを憶えながらも「どういたしまして」と言葉を返した。

「──で、二人は何してたの?」
「エレベーターの電源を入れてまわってる最中だ」

その問いにジェイクが簡潔に答える。短い相槌を打ち、ナツキは転がっていた銃を拾い上げ、それぞれのコンディションが整ったところで三人は動き出した。





モバイルでマップを確認しながら、廊下を走る。もう電力は大方復旧しており、後ひとつ電源を入れれば完了するようだ。レバーを見つけて動かせば簡単に出来る。道を阻む奴らさえ居なければ、だが。

ぐちゅぐちゅと嫌な肉音を立てて、青黒い肉片が細い排水溝の隙間から溢れだす。潰れた肉片がラスラパンネへと変貌するのにそう時間は掛からなかった。

「チッ!また来やがったか!」

ラスラパンネが再生しきるよりも先にジェイクがその細い胴体にショットガンを撃ち込んだ。細かな弾丸はいとも容易くラスラパンネの上半身を吹き飛ばし、二分する。残された下半身がぐちゃりと崩れ落ちた。

が、それは個々の意思を持つかのように再び動きだし、ナツキ達に襲いかかる。

「うっそぉ!まだ生きてんの!?」

肘から下だけの腕さえも跳ね動く、そのしぶとさには畏怖の念さえ抱く。腕を避け、迫り来た上半身に素早くハンドガンを向けて反撃する。

──タァン

狙いは雑だったが、うまく脳天を撃ち抜いた。急所を突かれたラスラパンネの上半身は痙攣し、やがて白くなって干からびる。それでも完全に殺れた訳ではなさそうで、鼓動するように微動を続けていた。
見た目同様、気味悪く恐ろしい生き物だ。額に滲んだ汗を拭い、ナツキは息を吐き出した。下半身はジェイクがうまく倒してくれたようだ。

マップが示す目的地はもうすぐそこだった。何に使用するのかもわからない機械の並ぶ部屋を足早に抜けて、電力供給レバーのある部屋に辿り着く。敵はいなかったが、部屋を分断するように電磁バリアが張られていた。素早くレバーに駆け寄り、電磁バリアの向こうにいるシェリーに目配せする。二つあるレバーの片方をシェリーが掴んだのを確認して、同時に引き下ろした。

がこん──その音の背後に質量のある水音が混ざる。ここに来てから散々耳にした音だ。視界端で天井から落ちてきた黒い塊にげんなりとした。

「ナツキ!下がれ!!」

ジェイクがその肉塊に向けて銃弾を撃ち込んだが、怯ませるには至らない。無遠慮に振り回された腕をナツキは即座に身を屈めて避け、下段蹴りを繰り出してラスラパンネの足を払った。

「ナイス!良くやった!」

体勢を崩したラスラパンネをジェイクが電磁バリアに向けて蹴り飛ばす。人を阻む高電圧がラスラパンネを受け止め、激しい電光と火花を放った。決して良いとは言えない肉の焼け焦げる臭いが充満して、不快感から顔をしかめる。

「あ」

先程下ろしたばかりの電力供給レバーにラスラパンネがしなだれかかるように倒れた。途端に機械がエラーを吐き出し、アラートを鳴らす。電気を帯びたラスラパンネの接触で不具合が生じたらしい。

『電力供給に異常を確認。エレベーターで退避して下さい』

アナウンスが緊急事態を淡々と告げてくる。

「パワー不足の次は有り余って暴走か……あり得ねぇ……」
「……ねぇ、今のってどう考えてもジェイクの──」

言い切るよりも前に後頭部を叩かれた。地味に痛い。涙目になりながら、恨めしげにジェイクを睨んだがそっぽを向かれた。酷い。
電力異常のお陰で電磁バリアは解除され、向こう側にいたシェリーと合流し、施設中央の吹き抜けにあるリフトに乗ろうとした。

「止めれないと進めないわ……」

が、電力異常の不具合はここにも起きているようで、リフトは激しく回転していて、乗り込むものを弾き飛ばす勢いで拒んでいる。こうなる原因を作ったお隣さんをちらりと見上げた。

「あのクレーンに引っかけりゃ何とかなるんじゃねぇかな?」

全く悪びれることなく、さらりと提案する。確かにジェイクの言う通り、回転するリフトの側には用途の分からない大きなクレーンが取り付けられており、ちょうどこの階層から操作できそうだ。かなり無茶な提案だが、それ以外暴走リフトを止める方法は見つからない。そもそもジェイクがあんな事をしなければこんな事にはならなかったんだけど。そんな嫌味は心の内に秘めて、三人はクレーンを操作するために部屋を出た。
壁や機械、配線、あちこちから漏電し、紫電が弾けている。うっかり生身で触れようものならあのラスラパンネと同様、ばっちり美味しく焼け焦げるだろう。恐ろしい。

廊下を抜けた突き当たりの部屋でクレーンの操作レバーを発見した。レバーを引き下げるとクレーンが連動して下がっていき、足場と同じ高さまで降下した直後、大きな音と衝撃が起きる。クレーンはリフトの回転の勢いにやや危なげに揺れたが、足場を止めることには成功した。

「よし、行くぞ!」

ジェイクが一番先にリフトへ飛び移り、その後にナツキとシェリーと──青黒いモノが続く。着地の音がひとつ多いのに気付いて振り返り、真っ先に視界に入ったのは迫り来るラスラパンネの両腕だった。

「うわっ!?」

反射的に銃を構え、牽制射撃をしたが足元の不安定さに銃身がぶれて弾は明後日の方へと飛んでいく。ラスラパンネの攻撃も空ぶってはいたけれど。

「ナツキ、下がれ!これで終わらせる!」
「う、うん!」

ジェイクがラスラパンネの足元に何かを置く。その隙にナツキは退いて、リフトの中央に逃げていたシェリーの隣へ並んだ。

カチリ──と、ジェイクが手元のスイッチを押すと、ラスラパンネの足元の箱が小規模の爆発を起こし、粉々にした。リモコン式の爆弾だ。うまく使えばかなり良い代物ではあるが、ここは不安定なリフトの上。当然無事なわけもなく──。

「ちょ……ジェイクゥウウウウ!!?」

足場を固定していたバネが爆風で外れたらしい。リフトは勢い良く回転しながら落下する。心臓が押し上げられるような感覚がして、その数秒後に激しい衝撃が全身に襲いかかった。

「っ……!」

弾んだ身体が足場から投げ出される。遥か下には煮えたぎる溶鉱炉が蒸気を巻き上げながら、俺達を待ち構えていた。手を伸ばし、何かを掴もうとしたが空を切るばかりで身体は重力に引かれて落ちていく。

駄目だ。届かない──離れていく足場がコマ送りのように視界を流れた。

「ナツキッ!」

腕を引かれて、落下が止まる。険しい顔をしたジェイクが片手で足場の縁を、片方でナツキの手首を握りしめていた。

「……っく!先に上がれ……!」
「そんな……ジェイク、無理だよ!」

普通の体勢であったとしても腕一本で大人一人を引き上げるのは難しい。ましてやこんな状況下では不可能に近いだろう。自分と俺一人を片手で支えてることさえ奇跡だっていうのに。

「諦めんな!クソガキ!!」

消極的なナツキを叱咤して、ジェイクは腕に力を込めて持ち上げようとする。じわじわともたげられる身体にナツキも同じ様に、掴まれている手とは逆の腕を足場に伸ばした。

後、数センチ──

震える指先で必死に腕を伸ばす。後僅かに届かない。もう少しなのに。モタモタしていたらジェイク共々溶鉱炉にぼちゃん、だ。自分だけならまだしも、ジェイクまで巻き込んだら死んでも死にきれない。

歯を食い縛り、全身全霊を込めた。

「と、届いたっ!!」

縁をしっかりと握り締め、ジェイクの力も借りつつナツキは素早く身体をリフトに滑り込ませる。二つあるリフトの間にはもはや立てる程のスペースはない。鈍く軋むような音が頭上から聞こえていて、徐々に迫る天井が焦燥感を掻き立てた。

「ジェイク、ナツキ!早くしないと……!」

先にリフトを脱出していたシェリーが俺達を呼ぶ。こちらを見つめる眼は不安げに揺らいでいる。

「ジェイク!上がれる!?」
「こんぐらい問題ねぇ!お前はシェリーのとこに急げ!」

急かされるままに頷き、ナツキは動き始めた。もう座るのも難しくなってきていて、身を屈めて匍匐前進で進む。その背後でジェイクは容易く足場へと上がっていた。きっとジェイク一人だったならもっと早く脱出出来ていたんだろう。
少しだけ申し訳なさを抱きながら、今は前に進むことだけに集中した。

「チッ!後ろから来やがった!」

ちょうどナツキがやっと端に辿り着いたタイミングでジェイクが苦々しげに舌打ちをする。肩越しに背後を確認すると吹き飛ばしたラスラパンネが上半身と下半身に別れた状態で迫っていた。

「ナツキ!飛んで!」
「うん!」

狭い中で姿勢を整えて、足に力をいれて跳躍する。うまく着地して、胸を撫で下ろす。残すはジェイクだけだ。

リフトの上部はジェイクの頭すれすれまで下がっており、思うように進めないようでジェイクの動きは鈍い。それにラスラパンネもジェイクを捕らえようと手を伸ばしている。

もし、ジェイクがあの手に捕まってしまったら──嫌な想像が頭を過った。今度は俺が助ける番だ。ハンドガンを握りしめて、ラスラパンネに照準を向けた。ジェイクの身体に隠れていて狙うのが難しい。が、やるしかない。

「狙うなんて無茶よ……ジェイクに当たるわ!」
「大丈夫だよ、シェリー。俺を信じて」

難色を示すシェリーに微笑む。いつだって狙い撃つのは得意だった。このくらいなら朝飯前。見え隠れするラスラパンネに合わせて引き金を引いた。

タァン──乾いた破裂音が響く。

ジェイクを道連れにしようと伸ばされていた手が銃撃に怯み、のたうった。僅かな時間稼ぎだったが、それでもジェイクが逃げ切るには十分だ。隙間から這い出してジェイクは軽やかに跳躍し、俺の隣に着地する。

「やるじゃねぇか、ナツキ!助かったぜ」
「へへ……俺もジェイクに助けられたから、おあいこ!」
「ヒヤヒヤしたんだから……二人とももう無茶はしないでね」

笑い合う二人に釣られるようにシェリーは小さく息を吐き出しながらも小さく微笑んだ。


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