- ナノ -


ウビストヴォはエイダさんの策略で船の大型ファンに巻き込まれて擂り潰された。流石にミンチになったら奴でも復活はできないだろう。その光景はスプラッタすぎてもう二度と思い出したくもないけれど。

ふう、と三者三様に息を吐き出し、荒れた呼気を整えた。と、不意に電子音が響く。シェリーがモバイルを取り出して応答した。自然と視線がシェリーに集中して、無意識に息を潜め、耳をそばだてる。

「──はい」

相手の声は聞こえなかったが、シェリーの浮かない表情でピンときた──シモンズだ。

「近くまで来ています」

相槌を打ちながら、シェリーは答える。

「はい。急ぎます」

簡単な返事をしてシェリーは通話を終えた。モバイルを両手で握りしめて、シェリーは神妙な面持ちで顔を俯ける。

「上司か?」

「……今のところは」

取り繕うように笑顔を張り付けて、シェリーはジェイクの問いに答えた。

今までシェリーがシモンズから与えられた任務がどういった物だったのかは知るよしもないが、知らずの内に悪事に加担していたかもしれないのだ。ジョークだったとしても笑えない。ナツキもクリスやシェバが悪人だ、なんて言われたらショックで寝込むだろう。万が一にもそんな事はありはしないが。

「行こう」

波板とドラム缶が並ぶ川沿いを走る。シモンズが指定した待ち合わせ場所はもうすぐそこだ。

所々に錆のある両開き扉の前でシェリーは立ち止まった。息を吸って、吐く。深呼吸をひとつ。心に決めたように振り返り、シェリーは切り出した。

「レオンの言った事が本当だったら……私を置いて逃げて。たとえ何が起きても……」

「シェリー……」

ジェイクは顔をしかめて目を反らす。当たり前だ。自分より年下の女性を見捨て、置いていく、なんて。俺がジェイクの立場だったとしても、その選択肢は選びたくない。

「──約束して」

「……分かった」

真剣な眼差しにジェイクは不承不承ながらも了承した。答えを聞いたシェリーは安堵したように息を吐き出し、それから俺を見た。

「まだ会ったばかりでこんな事を頼むのもなんだけど……ジェイクを助けてあげて……お願い」

「……うん」

「ありがとう。ナツキ」

嘘を知らない純粋な瞳が緩やかに弧を描く。感謝の言葉が良心を咎めて、俺は気まずさに顔を背けた。ジェイクも同じ気持ちだっただろう。

「──うん。大丈夫。行きましょ」

俺達の胸中も知らず、シェリーは気を引き締めると扉のノブに手をかけた。扉が軋みながらゆっくりと開いて、向こう側の景色が視界に飛び込んでくる。

レオンとヘレナ。そして二人の視線の先にいるのはシモンズとその部下数人。両者ともに銃を構え、一触即発の状態にシェリーが叫んだ。

「──待ってください!」

駆けていくシェリーの背中を追い、ジェイクと共に走る。

「おい、ナツキ」

「何?」

声を潜めたそれに自然とナツキも合わせるようにトーンを下げた。

「シェリーの約束なんざ、くそ食らえだ」

やけに真剣な顔から飛び出した言葉に、俺は一瞬きょとんとして、それから苦笑混じりに頷く。

「──そうだね。置いていける訳ないもん」






ナツキとジェイクがレオン達の元へと駆けつけると、シモンズは忌々しそうに顔を歪めながら此方を睨み付けた。そして唸るようにシェリーに問う。

「彼らにここを教えたのは君か?」

「このテロに貴方が関係しているって本当ですか?」

シモンズには答えず、シェリーはやや食いぎみに質問を投げ掛けた。ひくり、とシモンズの眉が動く。そして長い溜め息を吐き出し、肩を竦める。

「余計な事まで吹き込まれたか」

「答えてください!」

明確な答えではなかったが、その反応こそが答えだった。シェリーはほんの僅かな良心を信じていたのだろう。眉を寄せ泣き出しそうな声色でシモンズを問い詰める。

ナツキは口をつぐんだまま成り行きを見守った。いつでも応戦できるよう銃のグリップを握り締める。

「アメリカのため、ひいては世界の安定のためだ」

「それが……大統領を殺した理由か!」

レオンが声を荒らげる。怒りに満ちたそれを浴びせられてもシモンズは顔色ひとつ変えず、それどころか首を傾げて可笑しそうに笑った。

「何を言ってる。大統領を殺したのは君だろ?」

「シモンズ!」

「──やれ」

話は一方的に打ち切られ、シモンズの手下がマシンガンを間髪入れずに乱射する。マズルフラッシュが瞬いて、雑な狙いの銃弾があちこちを抉った。

「レオン!ヘレナ!」

狙われた二人は素早く物陰に飛び込んだが、銃撃は止まない。レオンとヘレナを追い掛けるように銃弾の雨の中に飛び込んだのはシェリーだ。

「やめて!」

「ちょ!シェリー!危ない!!」

「チッ……」

自分の身の危険も顧みず走り足した彼女を追ってジェイクが抱き締めるように庇い、そのままレオン達の隠れている物陰に転がった。

「あの二人は殺すな!」

シモンズの指示で銃弾が一旦止んだ。状況が飲み込めないまま一人取り残されていた俺とシモンズの視線が絡む。そして始まる恋──な訳もなく、下卑た笑みを浮かべてシモンズが俺を指差して口を開いた。

「あいつは殺せ」

それを合図に鈍く光る銃口が此方を向いて弾丸を吐き出す。

「きゃああああああああ!!!!」

ズダダダダ、と容赦なく放たれる無数の弾に、俺は甲高い悲鳴を響かせながら横に飛び退った。いくらウロボロスに強化された身体だといえ、致命傷を受ければどうなるかは分からない。それに何より当たると痛い。

飛び込むように勢いよく逃げたのはいいが、着地のことを考えていなくてスライディングのように地面を滑った──俯せで。すんでのところで手を付いたから顔面は無事だが、手の平が重傷だ。じくじくと痛む擦り傷に半分泣きながら顔を上げると、苦笑したレオンと目があった。

そう長い時間離れていた訳ではなかったが、レオンの顔を見ると安心感が凄い。じわじわと胸に溢れてくる温もりに手の平の痛みさえ忘れた。

「良かった。無事だったんだな、ナツキ」

「何とかね……シェリーとジェイクがいてくれたお陰」

目の前に差し出された手を握り立ち上がると、ぽんぽんと頭を撫でられる。それが嬉しくて俺はへにゃりと表情を緩めた。

「こっから先、英雄さんならどうする?」

感動の再会もすぐに打ち切られ、レオンは状況を打開すべく辺りを見回す。そして、現在地の丁度反対側にある灰色の扉を示した。

「あの扉まで走れるか?」

レオンの提案は無謀だが、逃げるには銃撃を掻い潜って扉に向かうしか道は無さそうだ。距離は五メートル程。脇目もふらず全力で走れば、当たらずに済むかもしれない。幸い、敵はシェリーとジェイクを殺したくないらしいから、飛び出してすぐに撃たれたりはしないだろう。

「全員ぶっ殺したっていいぜ」

「ちょ……それはいくらなんでも無茶でしょ!?」

血の気の多いジェイクの発言に顔をひきつらせて突っ込みを入れたら「あ?」と凄まれてナツキは押し黙った。好戦的な男はこれだから嫌だ。

「……いや、シェリーを守ってくれ。ナツキもジェイクと行くんだ。いいな?」

「え?でも……」

食い下がろうとしたが、激しい銃声がナツキの言葉を打ち消した。すぐそばの地面に無数の穴が開く。隠れたまま出てこないナツキ達に痺れを切らしたようだ。

「往生際が悪いぞ。早く出てきたまえ」

もたもたしていたら折角の逃げるチャンスもふいになる。顔を強張らせてナツキはどうするのかと視線を投げ掛けた。意を決したようにシェリーがポーチからなにかを取り出してレオンに手渡す。

「この中にシモンズが求める情報が入ってる。C-ウイルスの脅威から世界を救う方法よ」

手の平に収まる小さなSDカードを受け取りレオンは頷いた。情報がシモンズに奪われさえしなければ、ナツキ達は一歩シモンズより優位に立てる筈だ。その為にはまずこの窮地をどうにか抜け出さねばならないが。

SDカードを仕舞い、レオンは両手にハンドガンを握り、全員に合図を送った。ごくりと唾を飲み、動き出すその瞬間を待つ。

「──行け!!」

弾けるようにナツキ達は飛び出した。レオンとヘレナが視界の端でシモンズに向かって激しい銃撃を浴びせている。張り詰めた緊張感で足が縺れそうだったが、必死に駆け抜けた。

大丈夫、大丈夫だ。二人は強いんだから。

心の中で自分に言い聞かせる。一歩先を走っていたジェイクが扉を蹴破るように開け、ナツキもその後に続いた。遠退いていく銃声に後ろ髪を引かれつつ、ただひたすらに三人は走り続ける。

「──っ!」

が、すぐに立ち止まることになった。頭上から飛び降りてきたジュアヴォが進路を阻む。どこに潜んでいたのか、背後からもゾロゾロと姿を現す。

あっという間に退路を絶たれ、苛立たしげにジェイクが舌打ちをした。銃を構え、相手の出方を見計らう。

「逃げて!」

「やなこった」

「嫌だ」

シェリーが危惧していた最悪の状況。しかし、シェリーの約束を守るつもりなんて毛頭ない俺達は言葉を被らせながら拒否した。

「約束したじゃない!」

話が違う、とシェリーが噛みつくが返事もろくにせずに、赤黒い腕を振るってきたジュアヴォを迎撃する。狙い澄ました弾丸は見事ジュアヴォの脳天を撃ち抜いた。

「悪いけどさ。最初からシェリーを置いて逃げる気なんてないから。俺も、ジェイクも」

「そういうこった!」

背中合わせでそれぞれ正面のジュアヴォを蹴散らしていく。しかし、次から次へと現れるジュアヴォの猛攻は止まることをしらない。空になったマガジンを投げ捨てて、新たなマガジンを挿入し、引き金を引いた。

「──っジェイク!ナツキ!!」

シェリーの悲鳴に振り返る。二体のジュアヴォに捕らえられ、引き摺られていくシェリーの姿に冷や汗が滲んだ。

「シェリー!」

ジェイクが向かおうとしたがジュアヴォが立ち塞がる。どれだけ倒してもまた遮られて、シェリーとの距離は離れていく。まずい。肩越しに二人を確認していたナツキは手助けに入るべく踵を返したが、それが良くなかった。

「ナツキ!後ろだっ!」

気が付いたときには赤黒い腕がナツキの視界を埋め尽くしていた。




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