- ナノ -


キュイン──


どこかで聞き覚えのある嫌な音が聞こえた。気のせいだと思いたくても、冴え渡る直感が気のせいではないと告げている。冷たい汗が背中を伝い、俺は軋んだ機械のように後ろを振り返った。

「──ったぁーーー!」

振り下ろされたチェーンソーを反射的に仰け反って避けた。逃げ遅れた前髪が少しばかり、チェーンソーに切り取られて宙を舞う。

「逃げるぞ!!」

「い、言われなくてもっ!!」

体勢を整えるのもそこそこに走り出す。河につけられていた作業用のフラットボートにジェイクがシェリーの手を引いて飛び乗る。ナツキもそのあとを追い、ボートに飛び乗った。

ジェイクが素早くエンジンを掛けたが、唸り声を上げるだけで中々動かない。そのもどかしさに舌打ちしながら、ハンドガンを取り出してチェーンソーを持つジュアヴォ──ウビストヴォの脳天を狙った。

「え?」

ナツキが引き金を引くよりも先に高い銃声が響き渡り、弾丸がウビストヴォを貫いた。目の前で崩れ落ちるウビストヴォにナツキはきょとんとして二人に振り返る。だが、ジェイクもシェリーも銃なんて構えていない。

「……誰がやった?」

「俺じゃないよ?」

ジェイクの問いにナツキは肩を竦めて首を振る。あの威力からするにライフルあたりの銃撃だ。ナツキ達ではなく、ウビストヴォを狙ったということは少なくとも敵ではないのだろう。誰かはわからないけれども。

何はともあれ、危険は去った。ジェイクがボートを発進させ、舵輪を握りしめた。

「クソッタレが!」

行く手を遮る燃え盛る船をジェイクは悪態づきながらも、舵を取り上手く避ける。急な方向転換でボートがグラグラと揺れて、ナツキはうっかり転げ落ちぬよう姿勢を低くした。

燃え盛る瓦礫とジュアヴォの襲撃を退けて、一旦ボートを降りる。どこも家屋は炎上していて、全身を撫でる熱気に顔をしかめた。身体を焦がすあの痛みを思い出して、ナツキは火を避けるように距離を取る。クーチェンはまだ先だ。ここからどうするのか訊ねようと二人を振り返った。

「どっちに進めばい──」

ナツキの言葉はすぐそばの建物の壁が破壊される音に飲み込まれた。吹き飛んだ瓦礫がナツキの鼻先を掠め、河に落ちて水飛沫を上げる。チェーンを巻き上げる鋭い音がして、三人は顔を見合わせて瞬時に銃を抜いた。

「追い付いて来やがった!いい根性してるぜ!」

チェーンソーを唸らせながらウビストヴォは、シェリーに向かっていく。瓦礫まで滅多切りにして荒々しく突進するウビストヴォを止めようと発砲するがハンドガンの微々たる攻撃ではびくともしない。

「シェリー!逃げろ!」

「う、うん!」

ジェイクがシェリーを背に庇い、ウビストヴォを狙い撃つがやはり怯む気配がない。徐々に迫り来るウビストヴォにジェイクが舌打ちをした。

──タァン

また、だ。またどこからか銃声が響き、ウビストヴォを狙い撃つ。さっきからずっとナツキ達を見ているらしい。だが、今はそれに助けられっぱなしだ。

「チッ、騒ぎを聞きつけやがったか!」

仮面をつけたジュアヴォが物陰からぞろぞろと現れた。その手にはマシンガンや青龍刀が握られている。ウビストヴォだけでも手に余っているというのに敵の増援は辛い。

「雑魚は俺に任せて!二人はそいつを!」

二人に攻撃を加えようとするジュアヴォを怯ませながら叫ぶ。ジェイクは俺を一瞥してから小さく頷いた。了解──意思の疎通を確認してナツキはたたらを踏んだジュアヴォに一気に距離を詰めて、拳を振り抜く。吹き飛んでいく敵を最後まで見届けることなく、次の敵に狙いを定めた。





目の前のジュアヴォを叩き潰す。ウロボロスの力のお陰で何とか奴らを蹴散らし、残り数体まで減らすことができた。

僅かな隙に息を整えて、振りかざされた青龍刀を間一髪避ける。

「ナツキ!後ろ!!」

シェリーの声で俺は背後に迫る鈍色に気づく。だが、すでにチェーンソーは振り上げられていて、俺は息をするのも忘れた。
心臓は早鐘を打つのに、世界はまるでコマ送りのようにゆっくりと進んで──。
ずっと死線をくぐり抜けてきたけれど、今度こそは死ぬかもしれない。

(死──)

脳裏に浮かんだその一文字に心が震えた。熱くて、痛くて、切なくて、苦しい。二度と味わいたくないあの日の感覚を思い出す。それと同時に思い出したのは"生きろ"と言ったウェスカーの言葉だった。

そうだ。俺はもっと生きなきゃいけない。だってまだクリスにさえ会えていないんだから。こんなところで死んだら心残りがありすぎるし、ウェスカーにも怒られかねない。

「──まだっ死ねないんだよ!!」

チェーンソーがナツキの身を削るより前にウビストヴォの腕を掴んで軌道をずらす。強引にチェーンソーを下ろさせて、無防備になったウビストヴォの胴体を掴んで壁に叩きつけた。

衝撃でネオン管が割れ、火花を放つ。目前で弾けた火の粉を物ともせずに振り払おうともがくウビストヴォを力で封じ込め、押し潰す勢いで腕に力を込めた。

「ナツキ!建物が崩れる!!」

悲鳴にも似たシェリーの叫び声で熱くなった脳内が冷え、我に返る。頭上にある看板が危なげに揺れて今にも落ちそうになっていた。

「──っ」

ウビストヴォを押し飛ばし、ナツキは即座に退く。その直後、耐えきれなくなった看板が落下し、ウビストヴォを下敷きにする。燃え盛る炎は勢いを増して、ウビストヴォの姿は見えなくなった。

こうなれば流石に頑丈なウビストヴォも死んだだろう。胸を撫で下ろし、二人のもとに駆け寄った。

「お前……目は赤色だったか?」

「え……」

ジェイクがナツキの瞳を指して、眉を潜めた。覗きこむように顔を寄せられて、ナツキは二、三歩後退する。ウロボロスの力を使った余韻で瞳が赤くなってしまったようだ。

真実を二人に言えるわけもなく、俺は口をもごつかせて顔を俯けた。

「ったく……」

ため息混じりのそれに肩が跳ねた。"バケモノ"と罵られたっておかしくはない。

「……!」

ぽん、と壊れ物に触れるように優しく頭に手が置かれた。

「言いたくないなら、俺は無理に聞かねぇよ」

「ジェイク……」

顔を上げるとにまりと笑うジェイクと目が合う。その瞳に責めるような色は全く無くて、俺は目尻に浮かんでいた涙を拭い、つられるように笑みを浮かべた。




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